最近考えていること(あるいは、次なるテーマ)
今日は、久しぶりに海を見に行った。
なんだか夏らしくて、胸が高鳴っていた。
天気は一日中こっちを向いてくれなかったけど、
総じて幻想みたいな1日だった。
ただそこに海があり、ただ楽しいという、自分史上珍しい日だった。
そしてなにより、ずっとひとりな気がしていた自分のことを少しわかってもらえた気がした。
そんな1日に嬉々としている自分の簡単さが恥ずかしくて、最終的に今少し失望している。
自分が抱えている永遠のテーマの一つに、
「ひとり」であることがあると思っている。
恋人がいないとか、家族がいないとか、
そういうことではなくて、もっと精神的なレベルの話。
僕は、全ての関係性は「理解」から始まると思っている。相手のことをどれくらい理解しようとするか。理解を諦めないか。
自分のことを理解しようとしてくれている人は、きっと自分にとって大切な人だし、理解したいと思う人もまた、大切な人なのだと思う。
僕が書く「君」は、恋人とか、愛する人とかそういうメロウなことではなくて、自分にとっての理解者の存在のことを指しているのだろう。
しかし、「完全な理解」を求めることは、
それはそれで傲慢極まりないし、
そもそも不可能な現象だと思う。
きっと完全な理解が、世界のあらゆるところで起きていれば、もっと世の中は完璧な幸福と、完璧な地獄で溢れているはずだし。理解し合えないグレーな部分がこの世のバランスを保たせている気もして、むず痒い。
僕の中で、
「ひとり」であること=「理解者」の不在
がずっと燻っている。
今日はちょっと、
海を眺めながら、自分のことを理解された気がしたから、少し嬉しかった。でも酔いが覚めてこの文と向き合ったら、やっぱりそんなものはなかったんじゃないか?という気持ちになってきた。
多分今日の気持ちは夏の幻想だった。
「理解」は難しい。
完全な理解は不可能。でも、
わかり合おうとする人たちのつながり合いの中で、
人生を過ごせたらなあ。胸が高鳴る瞬間をつくれたらなあ。
もう少し時間をかけて、
この気持ちを、掘り下げてみようと思う。
寝れないので、取り止めもない乱文を書く3連休の初日。何気ない1日だったが、何かに気づいた1日だった。
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