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第三部 銃・病原菌・鉄の謎【本:銃・病原菌・鉄】

前回から時間が経ってしまったけれど、前回の第二部では、農作物や食糧生産技術の伝播速度が大陸によって異なっていたこと、食料生産をすることにより、狩猟採集民よりも人口の稠密な集団を形成できたこと。同時に、農耕民は、より進歩した技術を持っていた。また、さまざまな病原菌に対する免疫を持っていたこと、を考察した。

そして、これから、食料生産が、病原菌に対する免疫、文字や技術の発達、集権的な集団の形成といったことに、どのように結びついていったかを読み進める。

第一部
第一章:1万3000年前のスタートライン
第二章:平和の民と戦う民の分かれ道
第三章:スペイン人とインカ帝国の激突

第二部
第四章:食糧生産と征服戦争
第五章:持てるものと持たざるものの歴史
第六章:農耕を始めた人と始めなかった人
第七章:毒のないアーモンドのつくり方
第八章:リンゴのせいか、インディアンのせいか
第九章:なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第十章:大地の広がる方向と住民の運命

第三部
第十一章:家畜がくれた死の贈り物
第十二章:文字をつくった人と借りた人
第十三章:発明は必要の母である
第十四章:平等な社会から集権的な社会へ

第四部
第十五章:オーストラリアとニューギニアのミステリー
第十六章:中国はいかにして中国になったのか
第十七章:太平洋に広がっていった人びと
第十八章:旧世界と新世界の遭遇
第十九章:アフリカはいかにして黒人の世界になったか


第十一章:家畜がくれた死の贈り物

ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌の犠牲になったアメリカ先住民や非ユーラシア人の数は、彼らの銃や鋼鉄製の武器になった数よりもはるかに多い。それとは対照的に、新世界に侵略してきたヨーロッパ人は、致死性の病原菌にはほとんど遭遇していない。

人間に感染する病原菌の進化と食料生産の開始との結びつきは、南北アメリカ大陸においてよりもユーラシア大陸において強かったことは、最近の分子生物学の研究によって明らかになっている。

家畜や農作物の病原菌が人間に感染。ペットの動物から病気をもらってしまう人もいる。人間の死因でいちばん多いのは病死である。

過去の戦争で勝利したのは、かならずしももっとも優れた将軍や武器を持った側ではなかった。過去の戦争において勝利できたのは、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができた側。

なぜ、ヨーロッパ側の持ち込んだ病原菌の犠牲に、アメリカ側が一方的にならなかったのだろう。なぜ、アフリカやアジアの熱帯地方では、ヨーロッパ人が大勢死んでいるのだろう。人類は、動物から人間に感染するようになった病気の影響を、歴史上の長きにわたって受けてきた。現代人の健康をおびやかす病気のなかにも、もともとは動物のかかる病気だったものがいくつかある。(アフリカの野生猿のウイルスが変化して人間に感染するようになったエイズも、この種の病気である)

進化の産物としての病原菌

病気に対して、われわれは人間の立場で考え、どうしたら病原菌を退治して命を救えるかに頭をひねる。病原菌がなぜわれわれを病気にするかなどいちいち気にせず、悪い奴らはとっととやっつければいい、というのがごく一般的な考えである。しかし、敵を知らねば戦いに勝つことはできない。

基本的に、病原菌も、われわれ人間と同様、自然淘汰の産物なのである。

自分の子孫を適正な生存環境にばらまくことによって生き残る。病原菌にとって、自分の子孫をばらまくという行為は、どれくらい多くの人間につぎからつぎへと感染できるかという数学的な問題である。そして、感染者の数がどれくらいになるかは、罹患者(りかんしゃ)がどのくらい長いあいだ感染源として生き延びられるかということ、病原菌がどのくらい効率よく感染するかによって決まる。

病気になったときに出てくる様々な症状は、病原菌が感染を広げる手段に人間を使おうとして、感染個体の体のはたらきをいろいろ巧妙に変化させていることの表れ。

ニューギニア高地の笑い病の病原体は、人肉を食べた人間に感染した。

なぜ、病原菌は、自分の宿主を死に追いやって、自分で自分の住処をうばうようなことをするのだろうか。病原菌から見れば、それはたんに有効な伝播を促そうとした結果の副産物にすぎない。平均して1人以上の新しい犠牲者を出すことができれば、最初の感染個体が死んでしまっても、コレラ菌は伝播の目的を達成できる。

人間の体は病気にかかると発熱する。人間の体温調節には遺伝子が関与しており、体温を上げることにより、自分たちが病原菌によってやられる前に侵入した菌を焼き殺そうとする。

通常、いったん感染症にかかると、その病原菌に対する抗体が体内にできて、同じ感染症に再度かかりにくくなる。が、病原菌によっては、人間の抗体が認識する抗原と呼ばれる部分を変化させ、人間の免疫システムをだます。二年前にインフルエンザにかかった人も、今年のインフルエンザが新種であれば、そのウイルスに対する抗体を持っていない。

どの病気であろうと、他の人びとにくらべて遺伝的に強い抵抗力を持っている人がいる。疫病が大流行したときでも、その病原菌に対する遺伝子を持っている人びとは、持っていない人びとより生き残れる可能性が高い。歴史上、同じ病原菌に繰り返しさらされてきた民族は、その病原菌に対する抵抗力を持った人びとの割合が高い。

自然淘汰による防衛メカニズム。
戦いのすべてを判断するのは、自然淘汰という名の審判である。

疫病の場合、たくさんの発症例があったあと、まったく発症が見られない時期がしばらくつづき、そのあとでふたたびたくさんの発症例がみられる、という波状的なパターンを示す。

1918年~1920年頃スペイン風邪
日本では、当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。ただ、第一次世界大戦中の出来事であり、世界では2000万人から1憶人の死者数という、数に大きな隔たりがある。

突然大流行する感染症の共通する特徴
1.感染が非常に効率的で速いため、短期間のうちに、集団全体が病原菌にさらされる
2.これらの感染症は進行が急性である。感染者は、短期間のうちに、死亡してしまうか、完全に回復してしまうかのどちらか
3.一度感染し、回復した者はその病原菌に対して抗体を持つようになり、それ以降のかなりの長きにわたって、同じ病気にかからない
4.こうした感染症を引き起こす病原菌は、人間の体の中でしか生きられないようで、地中や動物の体内で生存していくことができない

集団感染症は、狩猟採集民や焼畑農業の集落などではびこりつづけることができない。この種の病気がそうした少人数の集団に登場するのは、病原菌が外部から持ち込まれたとき。

農業の勃興によって、集団感染症はなぜ出現したのだろう。農耕が支えられる人口密度と、狩猟採集が支えられる人口密度の差である。農耕民は、汚水が居住地内を流れる環境に定住し、感染者の排泄物とつぎなる犠牲者が口にする飲料水を結ぶ距離も近かった。病原菌は、農業が実践されるようになってとてつもない繁殖環境を獲得したと言える。しかし、病原菌にもっと素晴らしい幸運をもたらしたのが都市の台頭だった。また、交易路の発展は、病原菌にとってもう一つの幸運だった。

人間は野生動物を9000年前に家畜化して以来、家畜と密接な接触を保ちつづけている。

動物由来の病気は、4つの段階を経て、人間だけがかかる病気に変化する
第一段階:動物や家畜から直接うつされる猫ひっかき病、犬からうつるレプトスピラ症、オウム病など。これらの病気の病原菌はまだ、人間だけに感染する病原菌になる進化の途上にあり、人間から人間へと感染することは無い
第二段階:もともと動物のものだった病原菌が、人間のあいだで直接感染するようになり、流行するもの。ただ、患者はすぐに回復し、免疫を獲得をしたり、長引くことなく収束する。突然流行して突然謎のように姿を消してしまった恐ろしい病気もいくつもある。
第三段階:もともと動物だけに感染する病原菌だったものが、人間に感染するようになり、まだ絶滅しておらず、将来的に大量の犠牲者を出すかどうかがまだ不明な病原菌。ラッサ熱、ライム病など。
第四段階:人間だけがかかり、昔から大流行することで知られている疫病。こうした病気の病原菌は、動物からわれわれ人間へと宿主を切り替える段階で、自然淘汰されずに子孫を残せた数少ない成功者。

われわれは常に動物のまき散らす病原菌にさらされている。しかし、それらの病原菌も自然の摂理によって選別的に淘汰され、人間の病気へと進化できたのはほんの一握りの種類だけであった。

病原菌は、新しい宿主や媒介動物に適応すれば生き残り、適応できなければ自然淘汰によって排除される

新大陸特有の集団感染症がない。旧大陸を起源とする感染症のうち、10種類以上が新大陸の人びとに感染している。しかし、新大陸からヨーロッパに伝播した致死性の感染症はおそらく一つもない。可能性として考えられるのは、人口の稠密な人間集団が新世界では旧世界より時代的に遅くはっつぇいしたこと、中米やアンデス等は定期的な交易で相互に結ばれることが無かったこと、南北アメリカにはもともと群居性の動物が5種類しか生存していなかったこと、そもそも南北アメリカ大陸では野生の大型哺乳類の80%が、およそ1万3000年前の最終氷河期の末期に絶滅してしまっていることが考えられる。

非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたこと、より進歩した技術やより発達した政治機構を持っていたことは間違いないが、同時に、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだったのである。

第十二章:文字をつくった人と借りた人

文字の発祥地は、古くに食料生産が開始された地域のなかでも、その開始年代がもっと古い地域である。文字は知識をもたらし、知識が力をもたらす。文字は、武器、病原菌、そして集権化された政治機構などとともに、近代ヨーロッパ人の海外遠征に付随して、世界のさまざまな場所に伝播していった。

文字システムは、「実体の模倣」か「アイデアの模倣」のいずれかによって一つの社会から別の社会へと広がっていった。たとえば、15世紀の朝鮮国王、世宗大王は西暦1446年にハングル文字の起源「訓民正音」を編み出しているが、このとき彼は、中国語からヒントを得て部首の使用を思いついている。ハングルの原理は、モンゴル地方やチベット地方で仏教の記述に使用されていた表記法からヒントを得ている。4世紀頃からアイルランドや英国のケルト地方で使われるようになったオガム文字も、ヨーロッパ大陸ですでに使用されていたアルファベットの表記原理を借用している。

太平洋のイースター島、中国、エジプトについては、文字の起源についての議論がいまだに決着をみていない。

第十三章:発明は必要の母である

農耕によって食料生産と余剰食料の蓄積が可能になり、余剰食料の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとりを社会に生み出し、技術の発達を可能にした。

「必要は発明の母」という格言で表現される、何らかの必要があるときに発明が生まれるという考え方。既存の技術の限界が社会的に広く認識されると、新しい技術がもたらすであろう富や名声にかられて、誰かがその解決策を見つけ出そうとする。その結果、既存の技術よりも優れたものが発明され、社会的価値観に合致し、他の技術とも両立しうるものであれば、それが社会によって取り入れられる、という考え方。

ただ、実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作り出そうとして生み出されたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考え出されている。発明が用途を生む。火薬とガソリンは、人類が試行錯誤を通じて知識を獲得したことを示す格好の例。ガソリンが使われるようになったのは、内燃機関の燃料として理想的だとわかってからのこと。

異なる発明がどのように受容されたかを調べてみると、そこには少なくとも4つの要因が作用していることがわかる。

1.既存の技術とくらべての経済性
2.経済性より社会的ステータスが重要視され、それが受容性に影響する
3.既存のものとの互換性の問題
4.受け容れるメリットの見分けがつきやすいか否か

ただ、必要とされる地理的な関連性に欠けている。特許や、資本主義や、ある種の宗教が技術を促進するというのなら、どうして中世以降のヨーロッパが選択され、現在の中国やインドが選択されないのだろうか。戦争、集権的な政治機構の確立の度合、気候のちがい、そして資源の有無といった要因は、技術の進展をうながすこともあれば、抑制することもある。

1.人類史を通じて、戦争はしばしば技術革新の起爆剤となった。たとえば第一次世界大戦では、トラックの開発に、第二次世界大戦では核兵器の開発に、それぞれ巨額の資本が投下され、新しい技術分野が開拓された。しかし、せんそうによって、技術の発達が破壊的に後退してしまったこともある。

2.19世紀後半のドイツや日本では、強力な中央政府の力によって科学技術が発展したが、西暦1500年以降の中国では、科学技術が抑圧されてしまった。

3.多くの北ヨーロッパ人は、気候の厳しいところでは生存するために技術が進歩するが、バナナが実って落ちてくるような温和な気候のところでは、衣食住に苦労しないので技術も進歩しない、と考えている。しかし逆の見方をすれば、温和な気候のもとでは、人は生きるために苦労しなくてすむので、発明に没頭できるともいえる。

4.技術は、資源が豊富なところで進歩するのか、欠如しているところで進歩するのあについては、まだ意見の一致が見られていない。特定の資源が豊富にあれば、雨が多く河川もたくさんある北ヨーロッパで水車技術が発達したように、その資源を使う技術が促進されるかもしれない。しかし、北ヨーロッパよりも雨の多いニューギニアで、水車技術が早く進歩しなかったのはなぜだろうか。

しかし、こうした指摘はすべて推測にもとづいている。社会的および経済的に類似した社会を、2つの大陸でそれぞれ調査した結果にもとづき、それぞれの大陸に居住民のあいだにイデオロギー的(概念的)なちがいが体系的に存在することを示した研究は、これまでになされていない。一般的な議論は、異なる大陸の居住民のあいだに技術的なちがいがあるので、それに対応するイデオロギー的(概念的)ちがいの存在が推論されるという、堂々めぐりの議論なのである。

第十四章:平等な社会から集権的な社会へ

首長や王や官僚といった人びとが出現したのは、定住生活を送りながら食料生産をおこなう人口の稠密な人間集団が誕生して以降のこと。

保守的な社会と革新的な社会。

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権力を行使できる人間を首長だけに限定することも、もめごとやいざこざを問題化させずに解決するには有効である。首長は、部族社会のビッグ・マンと異なり、さまざまな権限を世襲で受け継ぎ、それとわかる場所で執務をとっている。首長は、集権化された恒久的な権威である。

部族社会と首長社会は、寺院などの複雑な公共建造物の遺跡の有無によっても区別できる。

富の分配:首長社会は、集権的に統治されている社会であり、そうした非平等な社会につきもののジレンマに陥っていたことは明らかである。首長社会は、個人で得るには費用がかかりすぎて実現不能なサービスを提供できる。その反面、富を平民からすいあげ、首長たちによる搾取をいとも簡単に可能にする。

平民より上等な生活を堪能しながら、彼らのあいだで不人気にならないためにはどうしたらいいのか。

1.民衆から武器を取り上げ、エリート階級を武装させる。
2.集めた富の多くを、民衆に人気のあるやり方で再配分して彼らを喜ばせる
3.独占的な権力を利用して、暴力沙汰を減らし、公共の秩序を維持して、民衆が安心して暮らせるようにする。(ただ、これは、集権的な社会のメリットとしてあまり認められていない)
4.民衆の支持を得るためのもう一つの方法は、イデオロギーや宗教でエリート階級の存在や行為を正当化する方法(ハワイの首長は、みずからの神格性や、神との血縁関係や、神との直接対話能力を持つと主張する点で、典型的な首長であったといえる。)

国家の成立の説明としてもっともよく知られる理論は、フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの提唱した社会契約説。

宗教と愛国心
・長期的に見れば、人間の集団はだんだん大きくなり、より複雑になって国家を形成するという傾向にあった。国教や愛国心が兵士を決死の覚悟で戦わせる。愛国心のために戦うという考え方は、国家成立以前の集団の考え方と根底から異なる。われわれがこのことに理解がおよばないのは、学校や教会や政府によって、愛国心の偉大さを頭にたたき込まれているからである。その証拠に、どの国家にも、必要とあらば国のために市民に命を捧げさせるスローガンがあるー英国では「祖国と王のために」、スペインでは「神とスペインの名において」であう。

ちなみに、こういう思いを小規模血縁集団や部族社会の人びとが持つとは想像しにくい。ニューギニアの友人たちから、彼らがかつて戦った部族抗争の話をいくつも聞かされたが、そこには愛国心とか決死の襲撃とか、殺されるのを覚悟のうえでの戦闘、といった言葉は一度も出てこなかった。むしろ彼らは、村のために誰かが命を落とす危険を最小限にくい止めるために、待ち伏せをしたり、戦力が圧倒的に有利なときに戦っていたりした。しかし、こうした戦闘精神は、国家社会のそれとくらべると、部族社会の軍事上の選択肢を狭めてしまう。愛国者や狂言者が恐ろしいのは、自分たちの一部は死んでもかまわないと思って戦うからである。

食料生産と国家:
大規模な人口を有する集団、あるいは人口の稠密な集団は、これまで見てきたように、食料生産がおこなわれている場所か、狩猟採集可能な食物が例外的に豊富な場所でしか出現しない。

1.農閑期に開放される農民の労働力を使って、エジプトのピラミッドなどのような公共建造物を、国家がみずからの力を誇示するために建設できるようになった。ハワイの灌漑施設や養殖池などのような、より多くの人口を養うための公共建造物を構築できるようにもなった。
2.食料の生産によって余剰食料が生まれ、その結果、労働の分化や社会階層の形式が可能となった。首長階級、官僚階級、その他のエリート階級をまかなったのは余剰食料である。
3.食料生産は、人々に定住生活を可能にさせたあるいは、定住生活を要求した。そして、人々は定住生活に入ったことで、さまざまな所有物を貯め込むことができるようになった。

食料生産は、人口の増加を可能にし、複雑な社会の形成を可能にする。

集権化:集団が大きくなるにつれ、他人同士の紛争が天文学的に増大することにる。1対1の人間関係は、人口20人の集団では(20×19÷2で)190通りしかない。しかし人口2000人の集団では、199万9000通りある。また、人口が増加するにつれて社会的な意思決定が難しくなる。

大規模な人間集団は、経済的な理由によっても複雑化し、集権化する。集団が経済的に機能するには、物々交換のシステムにくわえて、再配分経済のシステムが発達し、個人の余剰分が、権力の手によって、それを必要とする人びとへと再配分されるようにされなければならない。

地域の人口密度が高ければ高いほど、集団あたりの生活面積が減少するので、人びとはより多くの生活必需品を外部から入手しなければならない。人口の稠密な大規模集団は、複雑な社会性を持たざるを得ない。

食料生産と社会間の競合が大本の原因となって、詳細において少しずつ異なるものの、いずれも人口密度の高さと定住生活が関与する原因結果の連鎖がはじまる。そして、その過程を通じて、疫病を引き起こすような病原体が現れ、文字が発明され、さまざまな技術革新が起こり、集権化された政治組織が登場したことが要因となって、征服という行為が可能となった。


ジャレド氏の以下インタビュー記事を読み、もしかしたら私が「愛国心」がひとつのキーワードだと考えていたベトナムでのコロナ対策成功事例は、ナショナル・アイデンティティというほうが適切なのかもしれない、とも思った。国民意識。それは「勝利」という誇りにも繋がり、今回もコロナに「国民総動員で戦った」という感覚がある。

・危機を乗り越える国と失敗する国
・明治維新を乗り越えた日本
・一国が危機を乗り越えるうえで重要なのがナショナル・アイデンティティ(国民意識)
・現実的に自己評価できる能力(→優先順位)
・他国の優れたところを学び、変えるべきところを変えられる能力
・社会や政治で妥協できる柔軟点

19世紀の明治の改革の頃は、現実的に自己評価ができ、変えるべきところを変えた。明治の指導者たちは、産業の近代化で西洋に遅れをとっていることを理解し、西洋に倣って自国の制度を刷新していき、改革は段階的に進められた。国内の旧政治秩序の抵抗があり、その制限内で改革をしなければならないこともわかっていたので、過激で拙速な改革を避けられた。


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