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子どもは「想像力」という名のかけがえのない宝物を持っている【本:幼い頃に戻る切符をください】

『早く大人になろうと頑張る前に、たまには子どもになってみた方が人生はうまくいく』

とても美しいベトナムの文学作品と出会った。

まず最初に興味を持ったのがベトナム映画の色彩美と田舎の風景。その後、ベトナム映画『草原に黄色い花を見つける』の原作は、Nguyễn Nhật Ánhという作家によって書かれたことを知った。そして、その作家の他の文学作品である『Cho tôi xin một vé đi tuổi thơ』という本は、『幼い頃に戻る切符をください』と日本語訳されて、昨年出版されたということを知った。

それが、この本との出会い。(ちなみに、『草原に黄色い花を見つける』という映画の1970年頃のベトナム中部の風景もとても美しいので是非ご覧ください)

ベトナムのメコンデルタに住んで、愛国心、家族愛、咲き誇る花々、誇り、全てに「打ちのめされて」、でも決してそれはネガティブな意味じゃなくて、とにかく感動した。ベトナム人の家族と一緒に住んで、日本社会で過ごしていただけじゃ決してわからない多様な家族の姿を知った。

ベトナムの文学や小説、映画を語るときに、切っても切り離せないのがドイモイ政策(1986年)で、それまでのベトナム戦争や国家統制の影響でとにかく出版規制、映画のロケ地規制が厳く、内容も戦争や国家万歳みたいな風潮があったものが、一気に「市場開放」されていくようになった。

私は、この政策以降に生まれた、混沌とした社会を生きる力強い同世代のベトナムの人々の姿が羨ましかったけれど、同時に彼らは、桜を代表する「諸行無常」の日本文化に想いをはせるように、幼い頃の「懐かしい風景」と目まぐるしく発展する社会に、果敢に向き合っているような気もした。

作者は、「本当は別の女性と結婚したかったが」と、奥さんを料理ができないとけなしながら(?)も、色味も誠実、心も誠実、話す言葉も誠実だと、まるで、私のベトナムのホストファミリーのお父さんが、お母さんのことを話すように話しながら、「僕が間違っていたと気づいた」と自身の誤りも素直に打ち明ける。そして、この本は、本当はベトナムユネスコ委員会が教育省と合同で行う「ひとつの世界としての子ども」シンポジウムの報告書になるはずだったけれど、あまりに素直に子ども心を書きすぎて、出版社行になったという逸話つき。毎日が文化祭のように生きる人々に囲まれたとき、私もきっと『幼い頃に戻る切符をください』と切実に願えるんだとも思った。

この自分が見ている世界を、ひとつの本にまとめたいなと思い立ち、「私、ベトナム語で小説書くわ」と周りの人々に言いまくった。もちろん、知っている。多大なる努力が必要なこと。時間やお金の制約があること。作家でも翻訳家でもないこと。でも、真剣に、「それ、イイね!」「ベトナム人が読んだら、きっと喜ぶよ」「楽しみにしている」と満面の笑顔で答えてくれるベトナムの皆に、私はずっと救われながら、少しずつ歩んでいる。

子どもの頃の素敵な思い出
子どもたちにとってもっとも身近な場である過程や学校を作品の舞台とした

作者のNguyễn Nhật Ánh氏は、1955年にベトナムで生まれ、ベトナム戦争終結の翌年1976年に大学を卒業し、1980年代末から作家として本格的なデビューを果たした。ドイモイ政策の進展と歩みを一にしてきた作家である。ベトナムは1960年以降、長期にわたる戦争と国家による出版統制の影響で、文学活動にはさまざまな規制がかけられてきた。児童文学もその例外ではなく、民族解放や国家建設という大義に沿った作品が求められた。そこに描かれたのは、道徳的・教育的な理想を負わされ、現実の困難に耐えながら、大人たちの手足となって奮闘するあるべき子ども像であったが、それは欠点もあれば失敗もする現実の子ども像とはかけ離れたものだった。
それが、1986年のドイモイ政策による市場経済への移行によって、海外の人気作が盛んに翻訳・出版されるようになり、外国映画のビデオや漫画やゲームのような気軽に楽しめる娯楽が怒涛のごとく流入してくるようになった。

本気で、生まれ変われるなら、ベトナム南部で子どもの頃を過ごしたいと思ったことがあって(今もだけど)、私自身は「幼い頃に戻る切符をください」を「ベトナムで幼い頃に戻る切符をください」と声高らかに言いたいと思っている。

作者の本は、詩的で哲学的で、世界中の歴史や作家、ベトナムの民謡、哲学者の話が散りばめられている。

・童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン
「人生を長く生きた人ほど、感動も多い」
・「子どもの頃の気持ちをいつまでも持ち続けられる人ほど、幸せだ」
・感動する心

・富士山のふもとの小さな町に幼い頃住んでいた村が思い出された
・まるでろうそくに火が灯るように皆さんの子ども時代が明るく輝きだすのを願っている

・永遠に失われたと思っていた大切な宝物、子ども時代という奇跡へと導く

・15歳で試験に落ちた時、24歳で失恋した時、33歳で失業した時、40歳であらゆる成功を収めた時

・生きる意味:正月のないモロッコで正月を待つようなもの(イスラム歴)

・僕は8歳にして、人生に新しい発見など一つもないと悟った
・来る日も来る日も太陽はさんさんと照り、夜が来れば必ず日は沈む

・健康と愛情とお金
・学校と家までの道のり
・数学者がユークリッドの定理を信じ、キリスト教徒がイエス・キリストの復活を信じるみたいに

・昼食が終わると、昼寝をする
(ベトナムは校舎の数が足りないため、午前と午後で生徒の入れ替えを行っている小学校が多い)

・単調と繰り返し、安定

・人の心の「成長率」が正確に計れたとしたら、人生というものが綿密に科学的に計画され、すべての事柄が予定していた通りにしか進まないとしたら、人生は無感動なものになってしまうんじゃないだろうか

・「そんな彼女をすすんで妻にしようと思ったのは、彼女が僕を好きで、僕の言うことなら何でも聞いてくれたからだ」

・僕らが世界を名付ける
・当時の僕は、そんなのは子どもの遊び(言葉を言い換えること)であって、こんな遊びを思い付き、熱中できるのは子どもしかいないと思っていた。僕らの望みはものの呼び名を変えることであり、できることなら、この世界に存在するすべてのものの名前を僕ら自身で付け替えたかった。その目的は、世界を新しく生まれ変わったように新鮮でまっさらなものに変えたいということだけだった。しかし僕たちの年齢と比べて世界は年をとりすぎており、そこだけはどうにも変えようがなかった。だからせめて自分たちだけの生まれたてで豊かな世界が僕らには必要だった。

・概念をすり替えるのは、誰の目にも明らかなことを曖昧にするためである

・文学者たちは恋愛の物語を書いたのであり、結婚の物語を書いたのではない

・チュオン・チー青年
ベトナムの民話に出てくる美しい歌声を持った漁師青年。その歌声はミ・ヌオンを惹きつけたが、彼の顔があまりに醜かったため捨てられてしまう。美しいミ・ヌオンに一目惚れしたチュオン・チーは自分の境遇に嫌気がさし、自ら命を絶つ

・幸せは相手の心変わりだとか、性格の不一致だけが原因で壊れるわけではなく、食卓が原因で壊れる時もある。

・ニュートンの感動に負けないくらい僕は感動している。
昔からずっと、人生における偉大な発見というのはそんなふうにシンプルなものなのだ

・僕の間違いはもう一つある。
もし料理が下手くそという弱点を幸福したなら、ティー・スンは世の気難しい男性陣にとって、妻の鑑というふさわしい女性になるだろう。とても努力家だし、我慢強いし、夫に尽くす女性だ。だが、努力家で我慢強く、夫につくす女性は世の中にごまんといる。彼女のもっともすばらしい点は、しゃべるべき時にしゃべり、黙るべき時に黙っている点だ。これは一般の女性にはない珍しい性質で、この点で彼女は世の奥さんたちより優れている。

・彼女は色味も誠実、心も誠実、話す言葉も誠実だ。

・チェー:ベトナム風のぜんざい。小豆や緑豆、白玉団子、果物などにココナッツミルクがかかっている

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そのわけは後で話すことにしよう。ーいや、やはりすぐに話そう。

この語り口調が面白くて、思わず写メ。ベトナムユネスコ委員会が教育省と合同で行う「ひとつの世界としての子ども」シンポジウム
教育研究者、心理カウンセラー、学校や家庭教育関連のジャーナリスト、児童文学作家!なるほど、ここにユネスコと作家が関係してくるのか。

・トー・ヴ―:ベトナムの現代音楽の発展に影響を与えた音楽家(1923年‐2014年)

・人が気持ちを新たにするには、どんな時でもまず、新しい環境に身を置く必要がある。それからそのついでに他のことも新しくしていく。そのため、大人はなにかの都合ですぐさま環境を変える。

・僕とハイ・コーが食事の仕方を変えたからって、世界平和になんらかの影響があるわけじゃない。

・僕が母を理解しているほどには、母は僕を理解していないことが悲しかった

・子どもは常識にとらわれずに行動する生き物だ。彼らはそうすることで、少しでも退屈さを減らそうとしているにすぎない。実に健全な動機ではないか!

・大人の言うことはすべて理屈として正しい。それは子どももわかっている。それでも子どもたちには目には見えない何かに背中を押されて、常識外れなことをしてしまう。それは単に、子どもが大人とは違った空気を吸い、違った光の下で暮らしているというだけのことだ。そこで子どもたちは、自分たちのやり方で世界と接している。つまり自分の周りにあるすべてのものを「使う」という観点では見ていない。これが大人と子どもの決定的な違いだ。大人にとっては、世の中のすべてのものの意味や価値が「役割」という二文字に集約される。一方、子どもは役割には興味がない。単純に、子どもは「想像力」という名のかけがえのない宝物を持っているからだ。

・おとぎ話は大人が書いたものだ。それなのに、子どもたちが自分たちのように大人になる日までその世界に住んでいられるようにと願って書いたことを、当の本人たちがすっかり忘れている。

・大人たちが歓迎するのは、なんでも人に合わせる子どもだ。人と同じであること、それは大人が崇拝する基本ルールだからである。人と同じとはつまり、枠からはみ出さない、規律を乱さない、もめ事を起こさないということだ。それは秩序があるということで、さらに重要なのは安全であるということだ。もし、皆がお互いに見分けがつかないほどそっくりで、考え方までそっくり同じであったなら、これはもう絶対に安全と言える。

・人と違うことを考えたり、言ったり、したりすることは、それがたとえ正しい考え、正しい主張、正しい行いであったとしても、その選択をすることは潜在的な危うさを抱えている。

・ジョルダー・ブルーノ:イタリア出身の哲学者でドミニコ会の修道士。境界の教える宇宙の概念を否定し、異端と見なされ火刑に処された。ガリレオ・ガリレイは彼の死を知り、地動説を撤回した。

・いい子の「役割」は、大人が決めた「役割」通りに物を使うことであると承諾させられたのだ。

・僕はもともと、あまり集中力のない子どもだった。勉強中、ちょっとしたことが気になると、いつも意識がどこか別のところへ飛んでしまう。アルファベット表を習った時、先生は「『O』は鶏の卵みたいに丸く。『Ô』は帽子をかぶせて、『Ơ』にはヒゲをつけましょう」と言った。その言い回しを聞いた時、僕はそれぞれの文字をどうやって区別するかではなく、ニエンおじさんの帽子を思い浮かべていた。それは魔法使いがかぶるような、てっぺんがとがった紺色のフェルト帽だった

・子どもの持つ「ヒーロー像」と大人の考えるそれは、必ずしも一致するわけじゃない

・本来ならユネスコ主催のシンポジウムに提出されるはずだった僕の報告書は、一転して出版社に持ち込まれることとなった

・ティー・スンは、賢いと同時に正直でもある。言い方を変えると、知的な誠実さがある。「夫が気に入っているから、私も気に入ってるの」ティー・スンは照れたり、のろけたりせず、正直な自分の気持ちを述べた。ゆえに、このセリフは賢い。愛情の本質を突いている。

・大人も子どもでも、大切なのは度胸があるかないかだろ
・「大人になるまで待ちましょう。大人になれば、どこへ行こうと誰にも邪魔されないわ」

・後になって徐々にわかってきたことなのだが、子どもの頃は自分のやりたいことができないのが辛かったのに対し、大人になるとそれとは別の悩み、つまり自由がありすぎて逆にどうすればいいのかわからなくなってしまうという悩みが出てくることだ。しかも大人の衝動的な欲求は、子どもに比べ愚かくて危険なことが多い。

・大人にとっての「母親」が道徳心だとしたら、「父親」は法律だ

・8歳というのは、苦難に満ちているものなのだ。人生はどっちを向いても不自由なことだらけだ。ティー・スンを見やると、茫漠とした世界に埋もれそうになっている小さな生き物みたいに見えた。その一方、かくいう自分も、哀れなことにこれまたちっぽけで無力なのだった。

・大人たちはいとも簡単に「自己」を「他者」に転換させることができる。僕は大人になって、哲学者たちがそんなふうに議論し合うのを耳にした。

・実際、この世に欠点のない人間なんて一人もいない。子どもは子どもで誤りを親に隠そうとするし、親も自分の誤りを子どもの目に触れさせまいとして必死になる。

・子どもも親も同等に相手を非難する権利があるというのに。おそらく親を恨んだことのない子どもなど、この世に存在しないだろう。

・大人はよく、自分たちは孤独で自分を理解してくれる者など一人もいないと愚痴りたがるが、誰よりも深くそれを感じているのは子どもの方に違いない。

・大人と子どもの格差を無くすことは、社会の貧富の差を無くすのと同じくらい難しい。ひりひりと痛む頬をさすり続けていた八歳の頃、僕はその不公平さを感じていた。この世の多くの子どもたちは、たとえ自分ともっとも親しい人であっても、自分を理解してくれることなどないと思っているだろう。その悲しみの深さといったら、大人のそれとは比べ物にならないはずだ。

・大事にする、と、尊重する、は別よ

・なぜ僕らの子ども時代に起こったことを隠さなきゃならないんだろう。世界中の子どもたちにとって、こんなことは秘密でもなんでもないはずだ。人生をより輝かせ豊かなものにするために、いつの時代も普通の子どもなら皆やりたがることなのに。

・大人は簡単に騙せても、子どもはそうはいかない。大人は理性的な頭で物事を分析するが、子どもは直感的に物事を感じとっているからだ。

・幼い頃これはすばらしいものだと直感が教えてくれたものを、彼らはいま理性で消し去ろうとしている。直感が子どもたちの青鉛筆なら、理性は教師の赤鉛筆のようなものだ。

・「結婚前、人は愛する練習をしているだけで、まだ本当の愛がわかってるわけじゃない。愛っていうのは、一生学んだり努力したりしなきゃ得られないものなんだ。愛するとは何かってことは、結婚が教えてくれるんだよ。いくら勉強しても身につかない人間ももちろんいて、結婚が終りになることもある。怠け者の生徒が学校から追い出されるようにね。」

・寂しさを恐れる人は多いが、僕は恐れない。幼い頃から、僕は寂しさを怖いと思ったことは一度もない。それより、寂しいことも楽しいこともまるでない、味気ない暮らしの方が僕には恐ろしい。皆、時には寂しさと友達になることも必要だ。

・28歳の時、僕は結婚を間近に控えたトゥンに、この20年間、僕が彼女に抱いていた気持ちを思い切って打ち明けた。「あの時は私もあなたのことが好きだった」ー「好きだったからこそ、あなたとは遊ばなかったのよ」

・28歳の若さで、女のことを理解できる男なんているわけがない。それどころか、女なんて一生理解できないかもしれない。「女性を愛せ。しかしゆめゆめ理解しようなどとは考えるな」と、言うじゃないか。

・この原稿を書いている今、十分な人生経験を積んでいろいろ知り尽くした末に出した結論は実に単純だ。つまり女性自身もたまに自分で自分のことがわからなくなるのだ。それで、いわゆる読みづらい行動に出てしまうのだ。それはまさに、神が女性に与えた防衛本能なのだろう。女性は腕力では男性には敵わない。だからそう簡単に男に支配されないように、女性は理解しにくい存在になることで身を守っているのだ。

「僕は薔薇を愛している」これで十分だ!
「そして僕は撃沈した」これも十分すぎる!

・人生はなぜこんなにつまらないんだろうと思った八歳のある日から始まり、人生はつまらなくはないけれど、どうしてこんなに切ないんだときづいた八歳のある日で終わった。

・こうして僕らの味気ない人生は終わりを告げ、各自に与えられた運命に従って生きるようになった。

・世界を自分の思い描いたように構成し直したいという元気はもう残っていないように思えた。自分の思い通りに人生を動かすことなんかできやしないのだと僕は悟った。

・フランス人は「あなたがどんな本を読むのか教えてください。それを聞けば、あなたがどんな人だかわかります!」と言う

・母(ベトナム人)は「あなたの娘さんが家事をどんなふうにこなすか教えてください。それを聞けば、あなたがどんな人だかわかります!」と言う

・親が子どもを見ているように、子どもだっていつも厳しく親を見ているんだってことを、親は知っておくべきだよ。そうすれば、自分の行いにもっと気をつけるようになるはずだろう。

・「あなたの本というすばらしい切符がある。その切符のおかげで、私たちは幼い頃に戻る汽車に乗れたの。私たちは戻るきっかけをもらったのよ。」

・早く大人になろうと頑張る前に、たまには子どもになってみた方が人生はうまくいく。この本を夢中になって書きながら、僕はそんなふうに思った。

幼い頃への切符(作者はこの詩に触発され、同作品のタイトルを決めた)
静まり返った夢のような町が
どこか遠くにある

曇った鏡みたいな
川が静かに流れる
埃っぽい町

その町はどこか遠くにある
遠い昔に

そこはとてもあたたかで、
子どもの頃の僕らがいる
ずっと昔、遠く過ぎ去った昔に・・・

今夜僕は家を飛び出し、
駅の切符売り場に並ぶ

「千年に一度のチャンスだ、
幼い頃に戻る切符をください、
二等車の切符を」

駅員は仏頂面で答える

「売り切れだよ」

どうしよう!
売り切れだなんて、どうすれば!
幼い頃へ戻るには誰に訊けばいい?

誰も教えてくれないなら
幼い頃の記憶をたどって行くしかないのか

幼い頃の町
おとぎ話の町へ

いたずら好きの風がたわむれに
僕らをその町へと誘えば
僕らは目くるめく世界に酔いしれる

雲をつらぬくモミの木に
空高くそびえる尖塔に
夜の闇に紛れ
白くやわらかな雪に覆われた原野を越え、
足音を忍ばせてやってくる冬に

ああ、幼い頃の町よ
君に捧げる歌を歌おう
今までずっとありがとう!
だけど僕らは戻らない、
だから待つのはもうやめて!
この広い世界にはたくさんの道がある
僕らは大人になって
こころ出ていくけれど・・・

でもお願い、僕らを信じて!
そして許してほしい!

ロベルト・ロジェストヴェンスキー


私は、2021年には、自分の論文研究内容とは全く異なる文学や小説を100冊読もうと決めていて、60冊以上読んだ今、この『幼い頃に戻る切符をください』は間違いなく自分のトップ5に入る。そんなとき、落合陽一氏の言葉を思い出す。

「金と時間の問題じゃない。タイミングと目的の問題だ。」
「論理的に説明しようとして、説明しきれなかったことこそが、それでも心が動いたことこそが、自分にとって重要な感覚であり、感情を大切にして生きるということは、いろいろな体験を経て、あらゆることに説明がつくようになっても、説明がつかないものを探し続ける、心の若さを保ち続けることなんだ。」

そして、「時間はとまらない」
そんなことを、偶然今日、日本語を学んでいるベトナム人技能実習生のスピーチで言っている子がいた。それでも、人生で大切なものを見誤らない限り、歩み続けられる気がしている。

訳者:伊藤宏美さん

1976年石川県生まれ。2002年、ハノイ・ホーチミンを一人旅し、ベトナムにはまる。日本で2年間ベトナム語を習うも、ほとんど上達せず。2008年、夫を日本に置いて単身ベトナム留学。ハノイ国家大学人文社会科学大学で1年間ベトナム語を学ぶ。2009年には夫とともにベトナムを再訪し、ハノイでの新生活をはじめ、2年半滞在。ベトナムで出産も経験した。(引用)

日本への帰国直前に、ベトナム語書籍が今までのように簡単に手に入らなくなるのだとふと思い立ち、近所のFAHASA書店への出向いた。その中で、「2010年アセアン文学賞受賞」と書かれた本を見つける。

2012年に帰国後も、ベトナム語の会話本の出版、ベトナム映画の上映会や日越交流イベントなどを開催する他、留学や仕事で日本に来ているベトナム人にインタビューしたり、日本人向けのベトナム語チャンネルをYouTubeに立ち上げたり、在日ベトナム人の子どもたちに日本語のサポートを行う。ベトナム映画上映会のつながりで、ベトナム現代文学研究者である加藤栄先生にお会いする機会を得て、先生の指導の下、ベトナム文学の翻訳を学ぶこととなった。


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