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インド駐在500日:文化圏と経済圏を繋ぎ、あらゆる境界を横断できる人の存在

そうだ、『逃げるは恥だが役に立つ』だった。「やりがい搾取」という言葉が広く言語化されたのは。

もともと、このやりがい搾取という言葉は、社会学者の本田由紀氏が著書『軋む社会---教育・仕事・若者の現在』(河出書房新社)の中などで使ったものだということも、後から調べて知った。

普段「手ごわい仕事相手」と言われるインドでそれなりに奮闘し、瞬時の決断力や実行力が試されるなかでもとりわけ、教育・文化・広報・芸術・研究の世界という、非常に根気のいる、時間がかかる、成果が見えにくい、それでも、非常に魅力的な方々との出会いに支えられて、全てを同時進行で行い、次に繋いでいる。伝統武道から芸術から茶道や華道からサブカルから日本食からはたまた日系企業のCSR活動まで、ひとつひとつを紡いで、日本の魅力を発信する、企業の活動へとも繋いでいく。MCやファシリテーターとして表に出ることもあれば、裏方で根回しに徹底することもある。ゼロイチで文化事業を立ち上げることもあれば、面接官になるときもある。

駐在員としての「苦労」は、そのほとんどが現場と本社との板挟みになること、そして、その両方との交渉事、スピード感の違い、あらゆる制約、もしくは少数規模の現場内での人間関係にある気がするけれど、文化圏と経済圏をうまく行き来する必要もあり、また、産学官民がそれぞれの思惑でそれぞれの国益・利益のもと活動している社会をうまく生きていき、その過程でも自分にも譲れないところがあるということに気づく。

予算カットされ、大体調整する必要に迫られるのはまず「文化や芸術」。例えば、インドには、日本人以上に空手を極めている、プロとして、師範として、私が生まれる前からずっとこの地でご活躍されている方々がいるとする。というか、そういう人々は驚くことに現にたくさんいる。駐在で数年居住して、他の地に移駐するか、帰国するか、という我々外国人と異なり、我々以上に日本の精神、哲学、価値観を学び、茶道や華道、三味線を演奏し、次の世代へ受け継ぐために10年も20年も、教えている方々もいる。日本大好きすぎて、インドのご自宅に、茶室をつくった方もいる。

そういうプロの方々への対価を、予算縮小という理由で、調整するのはいかがなものか。これは国籍は関係ない。完全に実力の世界であるはずなのに、これもまた「やりがい搾取」なのではないか、とふと思った。数年前まで文化庁が実施していた文化交流使も、いつのまにか事業自体が終了していた。そんなとき、冒頭で書いたように、『逃げ恥』を思い出した。文化圏と経済圏のその両方の価値を理解し、媒介できる人とは。

同時に、これは政府だけの問題ではない、ということ。ビジネス側は、政府がやってくれと考え、政府側は企業が文化促進も担ってほしいという考えはあると思う。クールジャパン戦略は、失敗したら政府の責任、成功していても誰もその価値を知らない。海外に出ないとわからないことも多々ある。インドで、ありとあらゆる国々の広報や文化関係の事業や交流を見ていて、元をたどっていくと、政府組織から始まったものなんていうのは、たかが知れている。たまたま、美術館の館長がインドに来て、たまたまその時にいた芸術家の想いと意気投合し、個々人の繋がりが派生して、海外での美術展、個展実施に繋がったり、アートレジデンスとして最初は数週間の滞在だったのが、その土地が気に入って今は職員として美術展のキューレーションをされている方。その方がたまたま英国出身だったので、英国とインドの大型文化行事実施へと繋がっていく。たまたまインドで現地採用として働き始めて、インド人と結婚し、日印文化交流の事業を拡げていった方々。コミコンやコスプレが世界で流行っているのは、いつの間にか外で受け入れられて独自に進化した日本文化の一部が、我々の手の届かないところまで広がっていき、逆輸入されている。インドのコミコンは、とりわけチェンナイのコミコンは、ご家族の参加者が圧倒的に多いということは、どのくらいの人々がご存知だろうか。こんな環境も、経済と文化が越境しなければ、生まれなかったかもしれない。

企業の駐在員でも、いろんな方々を見ていて思うのは、結構日本の本社が中心で「数年の駐在」と割り切っている方(とにかく問題を起こさぬよう帰っていく方々、もしくは体調をくずされて帰国を余儀なくされる方もいる)と、「数年の駐在」だからこそ、とことんその土地を楽しんでいる方に分かれる気がする。そして、後者は、一緒に仕事をしていてとても楽しい。なぜなら、自分と同様、走りながら考える人々で、予測不可能な未来を創り出す「共犯者」になってくれる。そして、そういう方々の在籍されている企業もいたって、斬新的な考えをお持ちのようで、芸術や文化関係の重要性、価値、翻って自社への還元も考慮に入れていらっしゃると思う。

我々も同様で、たかが数年の駐在である。たかが数年だから、何も起こさずにただ過ぎていく日を過ごすのか。たかが数年だからこそ、思いっきり派手に新しいことを創造し、価値あるものを残していけるのか、という考えに至ることができるのか。自分自身が所属する内々でも、あらゆる制約があり、「なんじゃこりゃー」と思う場面も多々ありつつも、やっぱり最後までやり通すGRITがある方々の気持ちや熱意には答えたいと思うし、できる限り外の人にもわかりやすく伝えたい。

産官学民連携とはよく言ったもので、それぞれの専門家を集めるだけではなく、それぞれの団体を実務レベルで経験した方々の存在というのは非常にでかい。あらゆる境界を横断できる人の存在。

「やりがい搾取」という言葉がなかなか思い出せなかった、インド国内移動中の車内トーク。所属企業や団体の一員としての自分と、個人として感じる違和感や譲れないところ、それを誰かや外部の責任にするのではなくて、なぜそうなのかを辿っていくと、なんか見えてくるものがある気がする。全ては現在進行形で。

以前、日本に一時帰国ならぬ一瞬帰国したときのテーマは、「文化圏と経済圏を繋ぎ、より豊かな世界をつくる」旅。Forbes JAPANと国立西洋美術館コラボテーマの言葉を借りて、目指す世界というか、自分の在り方にも通じるところがあった。

最後に、「いつもお忙しそうで」とお気遣い頂く方々へ。非常に有難くお言葉を頂戴しながらも、私が「しんどい」と感じるのは、ただ忙しいときではなく、知的好奇心が刺激されない、面白くなく、必要性も感じない、自らのビジョンに沿わない事をやるときであり、そんな時間を極力減らすことができる仕事を創り出すのもまた自分の仕事であると感じているので、私は、そういう意味で非常に元気です。そんな思いをうまく文章にしてくれていた言葉を以下に。

"You often feel tired, not because you've done too much, but because you've done too little of what sparks a light in you. Many of us spend our working days running from desk to desk, solving urgent but insignificant problems. Our managers are constantly searching for ways to get more out of us. We’re habitually living in the future, thinking about the next quota to make, the next meeting, the next car to buy, the weekend. We’re constantly trying to get somewhere instead of being where we are. We miss the only moment we ever have access to. The Now. We spend more time at work than with our loved ones. And when we come home, we are busier connecting to our devices than to the people we love. We have become little more than zombies. Yet we wonder, ‘Why am I so tired?’ We figure it’s because we work too much. What if we’re not doing too much, but rather we’re just doing too little of what truly matters? It’s not hard work that exhausts us most, it’s meaningless work that exhausts us most." ~Alexander Den Heijer

By Book: Nothing You Don't Already Know: Remarkable reminders about meaning, purpose, and self-realization

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