見出し画像

数年ぶりに、東京で「通勤生活」をして思ったこと

前回この街で暮らし仕事をしていたのは、もう5年程前になるだろうか。

久しぶりに、東京で短期間の「通勤生活」をしてみて、思ったことを羅列する。自分にとっては、「テレワークが増えたらよいよね」とかそういう感覚じゃないことに気がついた。やっぱり私は、予定通りに過ぎ去る毎日よりも、完璧に準備をして予防する日々よりも、自ら道を切り開いていくタイプなのだ。クリエイティブ・マインドを刺激するものが必要なのだ。そして、移動しながらも、何か社会に良いものを残していく人生を送りたいのだ。

でもきっと、心の何処かで、本当はみんなそう思っているのかもしれない。善意に溢れながら、優しい心を持った人々ほど、この大都市の中で、組織で、もがき苦しんでいるのかもしれない。

・まず、通勤は、1週間~2週間が限界(笑)(自分も弱くなったものだ)
・「通勤ラッシュ」は相変わらず存在していた
・メトロ(地下)という空間は、便利な反面エネルギーを奪う
・でも、「降りまーす」と大声で言って降りていく人々を尊敬する
・通勤途中、「人身事故」という文字を見ただけで、気分が下がる(日常で触れる言葉って大事)

・朝食(6時~8時頃)を食べられる場所が、チェーン店しかない(吉野家、ガスト、松屋、やよい軒、そしてコンビニの飲食スペースなど)

・旅行には最高な街
・美術館、博物館、図書館の宝庫で、貯蔵品や貯蔵方法が優れている
・東京は、人口動態的に30年後くらいが面白そう。(2030年には人口減、労働人口全体の変化)
・言い換えれば、「変化」に20年、30年かかる

・行政手続きが全て昼休みになる
・そして時間がかかる
・決まりは決まり。ルールはルール。だけれど、「海外行く」を理由に押し通すときは押し通す。
・成城石井は、あらゆる食の宝庫(でも、ドライマンゴーやバナナチップスは、東南アジアが安くて美味しい)

・東京は大都会に静寂が生きる稀有な街
・人口密度が非常に高くても、静けさがある
・でも、人口密度が非常に高いとは、つまり・・・
・どこ行っても待つ時間が長い
ランチ休憩はどこ行っても混む、妥協する、場所代が高くて料理は普通、そして、立ち食い寿司屋&そば屋ができる環境がここにあるのだと気づく(昼食場所を探す&行く(15分)、待つ(10分)、入店&注文&待つ(10分)、食べる(10分)、帰る(10分)、トイレ行く)で、結局休憩にならない
・都内の「ワーキングスペース」は1時間1200円ほど

・人口密度が高いというものは、どうしようもない。減るのを待つしかない。そして待っている間は自分も加担しているのだ。

・自分が必死に交渉をしているその相手は、一切の決定権を持たず、何も決まらないかもしれない

・レストランのお手拭きは、いくら使っても無料、水もお茶も無料
・でも未だにコロナ感染対策用のパーテーションがあった(一部のクレーマー対策だろうな)
・レストランやカフェに自分以外に客がいなくても、時間制がある(2時間制が多い)(そして、時間制を予め設定されている場所ほど、ご飯やコーヒーが美味しくない笑)

・休日を挟んで2週間以上滞在するときは、休前日は東京の浅草や上野辺りの旅館に泊まるのも気分転換になって良い。ホテル環境とは全く異なる、伝統建築、武道、芸術、文化に触れることができる。(当然、予算との兼ね合いがあるけれど、通常出張には旅館は使わない(だいたい、ビジネスには向いていない不便さがある為))から、ビジネスホテルよりも安い場合がある)
・浅草にある木造建築の繊細さ

・日本円の小銭は重い、面倒、人を待たせる
・街中に、猫がいない!猫カフェとやらに行って、お金を払わないと猫に出会えない!(悲報)

・結局、全てのものが、箱に収まっている。建築も猫も、ワーキングスペースも、その中に入るのにはお金がかかる。

ー数年前、出張続きでほとんど帰らない自宅の家賃払いを疑問に思い、通勤ラッシュに揺られる毎日に疲れていた。

だからといって、「生きづらい社会」って言うのも何だか違和感があって、自分が試したことも体験したことも動かしたこともないものを批判するのは論外で、そもそも、今までの世の中で、「生きやすい社会」なんてものが存在したのだろうかと。

無いんだよね。

大都市かつ超過密都市の東京に限って言えば、これだけ人口密度が高い大都市で、全てのインフラが正常に運営されていて、健康管理や医療の安全性が保たれていて、治安が良くて静けさを保っているのもまた、ニューヨークやロンドン、パリなどの世界の大都市からみても非常に稀有な光景だよね、とも思うのだ。そういう意味では、東京はとても「生きやすい」。自ら命を断たない限り、生き長らえる場所。

そして、東京だけの課題ではない。
何度も言うけれど、むしろ、この大都市は、世界でも稀な、とてもよく機能している都市だ。

ただ、どうしても、自分には「人口密度が高い場所」が合わないんだろうな。英国やインド、タイ、ベトナム等、海外に住むときも、だいたい第二以下の都市か地方を選ぶ笑 だから、こうやって選び抜いたとき、「首都圏の恩恵を受けつつも、自分にとって環境が良い場所はどこなのか?」を基準のひとつとしていることに気づく。日本の都会か地方か、というスケールではない。

あと、(外資系企業時代の)社内にいる身近な「1か月休み取って、語学留学でも行ってくるわ」という上司たちの存在が、でかかったんだなーって思う。そして、ベトナムの朝早く(7時頃)出社→昼休憩2時間半→5時退社のルーティンが自分の身体にも合っていたね。

「余裕」や「余白」が無いと、目の前の人が、何に幸せを感じ、夢中になり、イライラし、心配しているのか、聴く環境も無い、官僚主義社会でもあるのだ。

そして、誰かの「評価基準」に合わせて生きていたら、苦しくなる。

自分で自分を自分基準で褒めること
「本当にやりたかったことなのか」と
「世の中の役に立っているのか」と
「この仕事には意味があるのか」と
そんな気持ちが過ることもあるかもしれないけれど。

まず健康に生きている自分に感謝すること。でも、これって、結構、価値観が全く異なる人々とか、全く異なる次元で暮らしている人々とか、自分の予想を超越する世界と出会っておかないと、この境地に達するのって結構難しい。

たまに、迷ったときに、海外で出会った友人に話すと、同感したり、感情移入するとかっていう「空気」を全く読まない、とびぬけた考え方とか、生き方共有してくれることがあって、なんだか、迷いが消えるというか、良い意味で打ち消されていた。

沢山の人々の思考と感情が渦巻くこの大都市で、好奇心と反骨精神だけを頼りに進む。この超巨大な街を日々動かしている人々に感謝しながら。今回出会った、「この人々と一緒に仕事をしたい!!」と思える人々とまた再会する日々を楽しみにしながら。寒い日々を後にする。

創造の場所であるカフェ代のサポートを頂けると嬉しいです! 旅先で出会った料理、カフェ、空間、建築、熱帯植物を紹介していきます。 感性=知識×経験 மிக்க நன்றி