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Why Bamboo is the Future of Asian Construction:アジアにおける建築材料としての竹のより大きな役割は、伝統的な建築のアイデンティティを取り戻すことである

「東南アジアの竹建築をバイクで巡っている」というと、少し(めっちゃ?)驚かれるけれど、なんだか私にとっては、必然的な、運命のような気もしている。東南アジアの、名も知られていない街や混沌とした道路に、突如現れる竹建築。

自分が何かやりたいことを考えたとき、優先するのは好奇心と健康と人間関係が無いとできないことだと思っていて、バイク巡りは、どれひとつ欠けても不可能なこと。健康に関しても、日常の生活から、そもそも視覚や聴覚等、何も問題ないのは奇跡だと思っていて、それらを最大限生かして、あらゆる景色を肌で感じ続けたい。お金の問題もあるかもしれないけれど、例えば東京から大阪まで片道新幹線を1回利用するのと同じ金額で、数か月分のバイク代とガソリン代をほぼ賄えると考えると、深く考えるべきことは、お金の儲け方じゃなくて、使い方だと感じる。そして、良い人々へと繋げてくれる友人達の存在。そうして得た知識と経験は、公共機関の広報や政策へ、必ずや通じると信じている。

"Why bamboo is the future of asian construction?" (なぜ竹は未来のアジアの建造物なのか)というタイトルのArchDailyの記事を読んで、竹建築は、より大枠の、都市計画やインフラ整備、自然環境等へ導いてくれたと考える自分の想いと繋がった。日本の都市開発の過去を見て、インナーシティ問題やスロープ現象をどう解決していっていたのか、という考え方も面白いと思う。竹という材料は、ある意味「貧乏の象徴」「発展途上国の田舎の村の建築」とされていたし、そして、地域の人々がどこか「劣等感」を感じていた対象だったけれど、今、至る所で人々を魅了していると思う。

http://www.zeri.org/bamboo.html

少し比喩が入るかもしれないけれど、アジアの竹建築は、コンクリートを中心とした西洋の近代建築への反骨精神もあるかもしれないな、とか思いながら。

ー---以下、日本語訳ー---

「竹」に対する各国の印象として、フィリピン人は、男性と女性が最初に竹の茎の節から現れたと信じている。中国人は竹を自分たちの文化と価値観の象徴と見なし、「竹なしで住む場所はない」と述べている。 日本では竹は繁栄を意味し、インドでは友好の象徴である。近代以前のアジアで、竹で作られた頑丈な建造物が栄えた。

竹建築の構造自体は、各国の神話、環境、気候、文化などの影響を受けて異なるが、東南アジア全体での竹に対する共通点は、「自然生態系への敬意」を表現していることである。

21 世紀のアジアでは、まだ合成建造物と比較すると珍しいものの、竹の建造物が流行り出した。 竹は、インドネシアの暑い熱帯地域からチベットの寒い山々まで、幅広いビオトープ(野生動植物の安定した生息地)に自生している。 アジア全体で、竹はその強さ、柔軟性、入手しやすさから、実現可能な建設資材としての地位を確立していた。 近年、都市化によるセメントや鉄鋼などの人工材料と競合するのに苦労している。

竹は、文化的概念、材料の制限、および経済的理由により、「未来の材料」としては、ほとんど認知されていない現状がある。加工された材料とは異なり、自然に育った植物にはさまざまな形やサイズがあり、建設規範や基準を一般化することは困難である。規制が多い建築基準法と材料の等級付けができないことも、竹の採用を妨げている。竹の建設技術には、特に鋼、コンクリート、またはガラスと組み合わせて使用する場合に技術が必要なのだ。

昨今、「持続可能性」と地元の素材の概念を強調する国際的な建築論議の高まりで、竹はその価値を証明している。 竹の最強の資産価値は、炭素隔離とファイトレメディエーション (植物を用いて、土壌や水などから汚染物質を除去する環境修復技術のこと) であり、初期のアジアの竹集落は、常に地元の生態系と調和して建設され、バランスの取れた建築環境をもたらしていた。 現代の竹の構造は、より「審美的な動機」で開始され、環境への配慮が追及されている。

都市化は、多くのアジア諸国で同様の課題を明らかにしている。各国の都市は急速に成長しており、2030 年までに国の人口の 55% を占めると推定されている。中国、インド、バングラデシュ、インドネシアなどの巨大な人口を抱える国々では、指数関数的(ある量が増大する速さが、増大する量に比例する現象)な速度で住宅とインフラ整備をする責任に直面している。世界の他の地域と同様に、環境破壊は拡大する都市スプロール現象(都市計画がほとんど実行されなかった結果として、住宅、商業開発、道路などが、都市周縁の広範な地帯に無秩序に拡大すること、加えてそうした現象が社会環境にもたらす影響のこと(ほぼ批判的に使われる))の最も目に見える代償である。グローバル・サウス(the Global South)特有であり、特に急速に発展を遂げるアジアの都市の課題は、構築されたランドスケープの中で文化的アイデンティティを再発見することである。アジアの他都市は過去を振り返り、現地の技術と地元の素材を使って都市の危機を解決することに、手を差し伸べることができるはずだ。

「都市スプロール現象」の例:中国のスーパーブロック(巨大な住宅街)は、高層建築物にもかかわらず、大部分が単一用途であり、巨大な幹線道路に囲まれているため、都市のさまざまな機能が切り離され、歩行者には不親切な環境になっていると説明している。

Wikipedia「都市スプロール現象」

ベトナム・ホーチミン市9区の友人が住んでいた巨大アパートも、1階にはある程度の日用品が揃うお店があったけれど、何が問題かって、そこへ行くまでの道のり(車かバイク)で、一方通行の幹線なので一度道を間違えたりすると、戻るのに時間がかかることや、歩いて行くことは困難(というかほぼ不可能)だったこと。

竹は、その固有の特性と状況に応じた適合性により、都市化から生じる問題への取り組みを支援できる建築材料だ。新しい葉の表面の急速な成長と継続的な生産能力により、竹は現在、急速に成長するアジアの都市にとって魅力的な素材の選択肢となっている。この植物は 3 ~ 5 年で収穫できますが、従来の木材源は 10 倍の時間を必要とする。この特性を生かし、ネパールとバングラデシュでは、竹の構造物が災害救援シェルターとして急速に建てられ、利用された。

ロヒンギャ族難民キャンプのコミュニティースペース

竹構造に加えて、アジアの国々のコンテキストでは、手頃な価格の素材が必要になることがよくある為、地域で入手可能で、丈夫で用途が広い竹は、実用的な低コストの建設資材である。木材に代わる費用対効果の高い代替品として機能し、同等の構造品質を提供する。竹は、アジアの開発途上地域や弱経済的地域で、低コストの住宅に広く使用されてきた。竹の成長と生産はコミュニティの手に力を取り戻し、そのプロセスの周りに「循環経済」を生み出す。

アジアの都市は、公害、猛暑、気候変動、自然災害などの環境問題による最大のリスクに直面している。精製プロセスがほとんどない自然に育った建築材料である竹は、地球環境に最適である。収穫すればするほど成長が速くなり、野生生物の生息地を提供し、流域の回復を促進し、先住民コミュニティを支援する。竹は大気中の炭素を固体状態で捕捉して貯蔵することができるため、二酸化炭素排出量をマイナスにさせ、竹林は、劣化した土壌や土地の回復にも役立つ。

先進都市の一般的なステレオタイプである「高層ビル」に関しては、「現地の知識」にギャップが見られる。 高層構造物は、特にムンバイ、マニラ、東京、北京などの人口密度の高い都市で、都市のスプロール現象を解消する実用的な方法を提供している。 竹の超高層ビルは、鋼、コンクリート、または木材と組み合わせて材料を使用することで現実のものになる可能性がある。

構造の接合部は、建物を固定するために最も重要であり、多くの場合、鋼で補強されている。 三角測量(構造を最適化するために、竹の茎を三角形に配置する、三角法および幾何学を用いた測量方法)は、竹を空にそびえ立たせるもう 1 つの手法である。 軽量 3D プリントされた竹の構造を実験することで、この素材をより広く使用する機会を与える。 竹&コンクリートと竹&木材のハイブリッドは、建物の伝統的で環境に優しいタッチを維持しながら、構造強度と実用性を向上させている。

"The greater role of bamboo as a construction material in Asia is to reclaim traditional architectural identity."

アジアにおける建築材料としての竹のより大きな役割は、伝統的な建築のアイデンティティを取り戻すことである。 太古の昔から、竹はアジア文化の中心で重要な位置を占めてきた。 「先進国」のように見せるために、アジアの都市は、寒い環境により適したガラスとスチールの構造を採用することにより、西洋世界のエコーとなっている(どこも同じようになっている意味を含む)。竹は、長い間「貧乏を象徴する材料」「非植民地」の慣行として、どちらかというと劣等感に値する建築材料のようなものとして分類されてきた。

そのような環境下、アジアにおける竹建築の「ルネッサンス」が進行中である。 アジアの建築家が「発展した」という意味を再解釈し、竹を使って世界への重要な貢献者としての地位を主張する時が来ている。 高度な技術の促進と竹建築の実験により、成長するアジアの都市では実験的な構造物が「ホーム」を見つけている。 竹は、アジア人に自分たちのルーツと自然界との深いつながりを思い出させ、持続的に進歩した未来の人間の生息地への道を開くのだ。


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