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「なぜ走るのか?」と問われて改めて考えた答え

2017年末から2018年は、私にとってのマラソン元年だった。もともと、運動をやっていたわけでもないし、何も得意なスポーツも無かった。それが、走ることは1年以上経った今も続いている。ホノルルマラソンに始まり、ヤフオク!ドームのリレーマラソンや済州島マラソン、福岡マラソンや那覇マラソン等、全て言っちゃえば興味本位で応募し、当選したから走るの繰り返し。

毎回、走っていて30㎞の時点で、「もう走りたくない」と思う。思うけど、そこに容赦なく、声援。子どもたちが、大声で、声枯らして「頑張れー」と応援してくれる。一緒に走る人々がいる。とにかく前に進むしかない。

旅行が好き。歩くことが好き。食べることが好き。運動が好き。ダイエットしたい。健康維持。ふわっとした答えは、いつでも答えられて、でも、軽いジョギングと違い、マラソン大会、しかもフルマラソンは、なぜ大金を支払ってでも、走りたいと思えるのだろうか。なぜ、継続できているのだろうか。

いくつか理由があって、超絶飽き性の私が、継続できているシンプルなもの。

・「無」になれる

・「走った距離は裏切らない」

・自尊心

これらだと思う。私が走る理由。

「無」になれる
私たちは、生まれながらにしてネットで繋がり、物に埋もれ、情報過多。所有することがある種のステータスだった時代は終わり、情報も溢れすぎて価値がなくなった。そんな時代には、半ば強制的に「無」になれる場所を探す。それが、道具も何もいらない、ただ走ることだった。シンプルで、何も考えなくても動ける。

「走った距離は裏切らない」
これは、那覇マラソンを走っていたときに、偶然前を走る人のTシャツに書かれていた言葉。「だよね」と同感。会社では競争社会に生き、誰かに評価され、昇給したり、減給したり、理不尽なことだらけ。だけど、走った距離は裏切らない。必ず、自分の糧になっている。それが、距離であれ、走行時間であれ、数値化されて、自分に返ってくる。同時に、全ての責任と自由は自分次第。

自尊心
最初は、10㎞、そして次は少し景色を楽しみながらの21㎞。友人達を応援しながら、いつかフルマラソンを走りたくなる。走っていると、会社とか家族とか、いつもの友人以外の、また別のコミュニティでのランナー仲間ができる。フルマラソンを走るという目標を達成すると、次はいろんな大会に出たくなる。そんな繰り返し。それは、自分が成長していることを実感する瞬間でもある。毎日は数㎞だけかもしれないけど、それが少しずつ自信に繋がる。そして、自尊心が芽生える。必ず、自分の人生にプラスになる。

「健康維持の為」や「痩せたいから」、「私は食べることが好きだから走っている」は、あくまでも表向きの理由で、もっとより心が満たされる理由がある。別に誰かに走れと言われるものでもなく、ただ、継続しているのが、一番シンプルでかつ大事な、全身を使ったマラソン。

きっと、私は走り続けると思う。

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