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『VIOLETOPIA』というシンドローム

『VIOLETOPIA』という、美しい かつ 退廃的で、悪夢のような、しかし心地の良い世界観が、私に刺さってしまった。これは完全に"シンドローム"です。

『龍の宮物語』から心を掴まれてしまった指田珠子先生の大劇場デビュー作。そして初めてのショー作品ということで、決定からずっと楽しみにしていました。

初めて見た時、ああ指田先生のこの独特の世界観だ、、!という感想、とともに、それが飲み込みきれない自分がいた。全てに深い意味がありそうなのは漠然とわかるが、それが何なのか全く理解できない、消化不良で気持ち悪い、というのが正直な感想。まあタカラジェンヌの美と一緒にあの世界観を観せられて、1回で飲み込めるわけがないのですが。何度か観劇して感じた、私なりの、私だけのVIOLETOPIAを文章に書き起こしてみようと思います。

◆VIOLETOPIAの概要

プロローグは礼さん演じる青年が、廃墟になった劇場を訪れるところからスタート。スミレの花に触れると廃墟が劇場に生まれ変わる、、、私はこの青年は昔、劇場で輝きを放っていたスターだと考える。しかし今は時が過ぎ、ごく普通の人間を生きている。そしてこの廃墟は、青年が輝いていた劇場。もう今は廃れてしまい、廃墟と化している。当時の記憶もままならない青年がふと足を運ぶと、そこにはスミレの花が。これに触れた途端、紐がほどけていくように彼の記憶が蘇る、、、彼の中でこのスミレの花には、当時のなにか深い思い出があったのだろう。これが全てのトリガーになっているわけだから。

そしてなこちゃんを筆頭とする追憶の男女に導かれて青年はスターとなる。これは彼の夢の中か、はたまた幻想、幻覚か。とにかく、私たちは彼の追憶を一緒に辿っている、辿っていくのです。

 第2場 バックステージは虚構
 第3場 サーカス小屋の宿命

この2場面は、青年が過去に演じた舞台の、彼の中の追憶。

 第4場 宮廷と役者と青春

この場面は、青年がこの劇場で輝いていた過去の、彼の中の葛藤と希望を表現した場面。彼はこの廃墟となった劇場で追憶を辿りながら、当時の自分の心情を思い出すのだ。

 第6場 狂乱の酒・観客・酒

この場面は、過去の追憶というよりかは、彼の中で、このVIOLETOPIAという幻想の夢から醒めかけている時の悪夢。悪夢と言っても現実との狭間です。

 第7場 孤独

この場面は、追憶の旅を終え、現実世界に戻った青年の、その果ての心情である。

◇ サーカス小屋の宿命

赤い照明に照らされて、平沢進の "♪パレード" とともに、旅芸人の行列が来る。不気味であるのに美しい。私が客席でその行列に目を奪われているのと同じように、それに惹かれて見物に来た少女。巻き込まれていくようにテントに入っていく。極美くん演じる座長が全てを操り、支配するこのサーカス小屋の中は、異様な空気に包まれている。

少女が心惹かれたのは1匹のヘビ。しかしこのヘビもまた、座長に支配されるものの一つである。人間の心を知らないこのヘビは、少女と出会い、初めて"人間"を知ってしまったのか。少女に惹かれていく。
しかし座長に引き離され、ヘビは彼の支配下に引き戻されてしまう。悪夢のようにサーカスの衆に巻き込まれていく少女。

気づくとサーカス小屋は消え去り、騒々しかった空気はしんと静まり返る。遠く彼方には先程の行列が。そしてヘビは少女に花を差し出そうとするが気づきもしない少女、、、

この場面で1番好きなのはテントが消え去り、音がなくなる瞬間の虚無感、空白。今さっきまで私たちが見ていたものはなんだったのか、夢と現実の狭間にいるような、気味の悪い感覚。夢から醒めて、ハッとさせられる感覚ではないのです。その後の旅芸人の行列と、遠くから聞こえる "♪パレード "の余韻がそうさせるのだ。この日常で得ることの無い、劇場でしか得ることのない感覚が、何故か心地よくなってくる。つまり中毒、シンドロームなのです。

◇ 狂乱の酒・観客・酒

キャバレーに足を踏み入れた演出家。人々はみなシャンパンを飲んで狂乱していく。演出家はその人々に「もっともっとその先へ」と酒を煽られるも戸惑い、逃げ惑う。シャンパンに手を伸ばすが手に入れることはできず、人々はみな消え去る、、、

この場面の妙な一体感に気持ち悪さを覚えながら、私自身も狂乱の渦に巻き込まれていく感覚。人々はみな同じ服装をし、一斉に笑ったかと思えば真顔に変わる。この妙な一体感が恐ろしい。これは私たち、観客を表現しているのかなあと考察しています。劇場では、何百人、何千人もの人々が同じものを観ている。人の数だけ、感想、感情はあるはずなのに、舞台からみると全員が同じ顔をしている。舞台という、言ってしまえば "作り物" "紛い物" を、何百、何千の人々が同じ顔をして観ている、この異常さ。それでもって私たちは、より素晴らしく美しい "紛い物" を求める。「もっともっとその先へ」。

演出家は、狂乱する人々、この異常さの中に生きているのだ。ちなみに、ありちゃんが女装をして演じているシャンパン、これは "紛い物" を表現しているのではないかと。男役が女を演じることで、現実的にも言ってしまえば紛い物なわけで。

この場面ははじめ、単なるキャバレーのワンシーンだと思っており、解釈にとても苦労しました。今でも噛み砕くことができたわけではない。この考察は私なりの、私の小さな頭の中だけのものなので、悪しからず。

◇孤独


人々が消え去り、青年は孤独になる。舞台セットははじめの廃墟のように様変わりしてしまっている。青年はもう一度スミレの花に触れるが、何も起こらない、、、。小さな機械音とともに、青年のまわりにスポットライトが複数降り注ぎ、私たちも覗いてきた彼の追憶の中から、何人かの姿がよぎる。彼の頭の中を覗いているよう。彼が追いかけてスポットライトの下に行くも、その姿は逃げるように消えていく。かつて劇場で輝いていたスターの姿も、時が経つと消え、観客の心の中だけに生息する "追憶"となる。形には残らないのだ。

この場面で青年・礼さんが歌う歌詞を引用する。

 沈黙が浮かべた真実
 紛い物のお前  紛い物の僕よ
 止まらない  終わらない  くだらない世界
 何故影法師は知らない
 眠りを忘れて  いつまで踊る  いつまでも踊る
 この広い大海原  拾った土塊の忘れ星
 この紛い物たちの下
 悲しい  恐ろしい
 でも  ただ  ただ 愛おしい

青年が追憶の先に辿り着いた答えは、「愛おしい」なのです。ここで、客席で観ていた私は救われた気がした。美しい悪夢のような場面が重なったこのショーで、青年の追憶を一緒に辿ってきたこのショーで、行き着いた先は「愛おしい」ということ。作りもの、紛い物には違いないが、役者が演じるひとつひとつのキャラクターには、必ず愛が詰め込まれており、役者のキャラクターに対する愛があるからこそ、私たちはそれを観て陶酔し、魅了されるのだ。

◆ VIOLETOPIAシンドローム

『VIOLETOPIA』は、誰の心の中にでもある。劇場での記憶を思い起こしたとき、もうそこはVIOLETOPIAなのです。そして、つい思い起こしてしまうほどに愛する役者、舞台、劇場。言わば、紛い物に中毒を起こしている私たちは、もうそれはシンドロームなのだ。

この、VIOLETOPIAという、美しくて不気味なショー作品にすっかり虜になってしまった私は、またひとつ、シンドロームを重ねるのでした。罹って幸せなシンドローム、、、

VIOLETOPIAを観ないことには人生のうちに感じることの出来ない感情、感覚が存在する。誇張ではなく、この世の人間は、VIOLETOPIAを観たか、観ていないか、で分けれるのではないかと思うほど。大袈裟ですかね^^ 是非あなたもこちら側へ。





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