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物足りなさと愛おしさ

スマホアプリで聞く音楽がなにかずっと物足りない。
曲数、アーティスト数に不満がある、というわけではない。
自分でも自分が何を欲してるのか理解できないからそのまま目を瞑ってた。


実家へ帰省した。
ふと思い立ってウォークマンを引っ張り出してみる。
年季が入っていて充電はない。まだ使えるのかも分からない。画面の日付は4年前の1月。
物足りなさの答えはここにあるのではないか、根拠のない期待を持った。
イヤホンはお気に入りだった黄緑色。重低音をしっかり聞きたくていろいろと悩んだ末に買ったもの。
今ではもうワイヤレスばかりを使っていたんだと気付く。
ロックの解除パターンはすんなり解けた。案外覚えてるものだな、安心した。
音が出るのか、聞こえるのか、微かな緊張感のもとイヤホンを挿し再生ボタンを押す。


1音目で体の内側が揺れた。

1フレーズで物足りなさの正体を確信した。

たった数秒でスマホのアプリで聞くよりも、何倍もの言葉にしきれない思いが、体内だけでは収まらず自分の周りにまで、音と、色と、振動で広がった。
流れてくる曲に、音に、それぞれの思い出や当時の状況が乗せられて現れ、「懐かしい」だけでは形容がしきれなかった。
すごく、すごく、愛おしかった。

あの時の嫌で、嫌で、嫌で仕方ない、消えてしまいたくて、消えてしまえよと思ってた事にさえも愛おしさを覚えた。
嫌なモノが浄化されたわけではないけれど、あの時の大切なモノのひとつとして受け入れることができた。


「時間が解決する」

こういうことだったりするのだろうか。



音楽は受けた側が置かれてる状況、抱く感情、描く光景によって姿が変わる。自分にとっては救いになった時も、負が増幅した時もあった。過去形で書いたが今も同じ、現在進行形。
自分自身の機嫌の取り方も、コントロール方法も未だに分からないから、ただ音楽とともに堕ちて、音楽とともに少しずつ起き上がってきた。
それほどに自分の生は音楽と共にあるのだと思い知る。


物足りなさの正体はわかった、けれど、愛おしさに慣れるのはなんだかもったいない、だから、たまに触れるくらいにしよう。
その間にきっと、少し先の自分が愛おしいと思えることがまたできてるはず、
と、少し心を躍らせた。


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