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人間関係というのは、死なない生き物だと思う

ここ数日の生活を振り返って、今お風呂に片足を突っ込んで、はっと気づいたことがあるので、
この気づきがどこかに逃げてしまわないように浴槽の中で書き殴っております。
今日は偏頭痛で一日中気持ち悪かったです。
(偏頭痛で気持ち悪くなるタイプです、厄介です)
でもジモティーでいらない掃除機を他人にあげました。
掃除機元気でね、達者で!

人間関係というのは生き物だと、ふと思いました。
生きているのでずっと変化し続けます、成長します、退化もします、病気にもなります。
だから、ずっとケアしなきゃいけないし、ケアしなければ朽ちていきます。
でも、人間関係と生き物に違うところがあります。
それは、死なないこと。
人間関係は死なない、と私は思います。
お休みすることは出来ても、人間関係を殺すことは出来ない。
(もちろんもう関わりたくない人と縁を切る、とか、意識的に関係に終わりを持たせる、ということは出来ます)
何が言いたいかと言うと、どんなに最悪の別れ方をしようが、死ななきゃまた会える、ということです。

ここで一つ断っておきたいのが、どうしても会いたくない人とはもう会わなくていいと断固として思う、と言うことです。
親だからとかお世話になったから、とか関係なく、会いたくないと思う自分の気持ちを尊重出来るのは自分だけなので会わなくていいと思います。
私が書きたいのは、色んな理由で「また会えたらいいな、でも今は(別れたり喧嘩したりしたし)難しい」と感じている関係の話です。
どちらかが完全に再会を拒否しているなら、心身の安全を保つため、二度と会わない、関わらない、のが重要、と思います。当事者を守ることが何より大切。
誤解を招きそうな表現になっては嫌なので、念のため断りをいれました。

さて、話を元に戻しますが、
例え過去のことであっても、人間関係は私の心の中で生きている、と思うのです。
例えば昔の恋人が、私に向けてくれた真心とか。
幼い頃お母さんが何度も抱きしめてくれたこととか。
その人が私に向けてくれた想いというのは、一生私の中で生き続けるものだと思うんです。
例え相手が、そんなことをしたっけ?とそれ自体忘れていたとしても。
私のことを今でも憎んでいたとしても。
もはや私のことなんか思い出せなくても。
私の中で、誰かが私に向けてくれた真心は、ずっと生き続けて、ふとした日常の中で蘇ってもう一回助けてくれたりもするものです。
そうやって、私がこれから死ぬまでずっと寄り添ってくれるんじゃないかと思うんです。

永遠の感情なんてないと思います。
だから永遠の愛、というのも信じていない派の人間です。
あの時あんな真心を私に向けてくれたのに、いつからおかしくなったの!私はこんなにまだあなたのことが好きなのに…
(backnumber?)
みたいなことってよくあると思ってて、というかパートナーの不倫が発覚した時の自分に言いたいのですが、
皆生きてるんだから、そりゃそう、です。
でも、私はそんな風にクソスカした言葉かますような今の私なんて嫌いなので、そうなったら思い切り泣いて苦しめばいい、と思います。
でも、生きてるんだからしょうがない、それは心から思います。
人間関係すら生きてるんだから、全部変わるよ。
だから、自分に向けられた真心が永遠だなんて期待したら、その先には地獄が待っていると思います。
(しかしその地獄から学べることは五万とあると思うので経験しなくていいことなんて無いです)

例えもう会うことが無くたって、話すことが無くたって、
あの日あの時、真心を私に向けてくれた人がいて、
一生懸命向き合おうとしてくれた人がいて、
っていう、
その経験とずっと一緒に生きていきたいって思います。
それが美化されたものだとしても、美化したいくらい素敵なものがあるだけで贅沢セレブだと思うのですよ。

人というのは群れで生活する生き物なので、助け合って共生してしか生きていけないんじゃないかと私は思います。
誰もが何かしらの情報に触れ、誰かと軽く会釈を交わしたり、誰かを羨んだり妬んだり好かれたり嫌われたりしながら生きているんじゃないかと。
だから、誰もが誰かしらに影響を与えて生きている、と言えると思います。
それは今生きてる人だけじゃなくていい。
美しい思い出だっていい、と思います。
それを蔑ろにしたくない、と心から思います。
過去を振り返るのはどうだこうだと言う人がいても、私は、
過去に振り返りたいくらいの思い出があるこの人生が、心の底から大切すぎて、胸が苦しいのです。
同じように思う人がいるなれば、私は自分ごとのようにその気持ちを尊重したい次第です。

生きるのは寂しいものだと思います。
でも、自分のことをこの世界のどこかで想ってくれる、想ってくれた人はいるものです。
そういう経験を大切に出来ると、未来はどこまでも大きく広がって楽しみなものになる気がします。
だから、私を想ってくれたひと、本当にありがとう、と改めて思う今宵でした。
まとまりがない今宵でした。

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