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愛と絶望とキャミソール!

 大人になるにつれて付き合っていく友達というものが選抜されていくのは仕方ないことではあるがさみしく思う。大人になると自身の思う価値観や考え方が明確になる。それらがほぼ同一またはそれらに沿う人などあまりいないのだから。いま付き合っている友達を大切にしたいとより思うようになった。

 怒ると言う行為を最近した覚えがない。人にむかつくというのがあまりないのである。流石に理不尽が過ぎたら怒ることはあるだろうが、少しでもこちらに非があるなと思ったらすぐに謝るようにしている。ここで勘違いして欲しくないのは謝りすぎているわけではない。謝りすぎると舐められて扱いが雑になるためである。「こいつすぐ謝るやん」と思い舐めてくる人はなんで謝るのかを理解できない人なんだなと優越感に浸れていい気分になる。

 怒ることと注意を混同してしまう人がいる。すぐに怒られたという人を見かけるのだが話をよくよく聞くとただ注意されていたことが多いのだがそういう子に限って被害妄想が強い子が多いのでほかる場合が多い。

 去年流行った曲にも書いてあったが「説教するってぶっちゃけ快楽」という歌詞、説教=怒るだと思っている。なぜここで一緒というのかというと感情のベクトルが同じだと感じるからである。カッとしたことをそこで感情と一緒に言葉をまくしたてるのは感情に自分を支配されているように見えて滑稽である。

 例えばそこで一回冷静になって深呼吸してみたらそこまで言わないくてもいいんじゃないかという場面も多くないと思う。自身の感情をコントロールできないのはそこで自分の意見をまとめられずに感情にのせてその場しのぎの勢いで言葉を発するから。だからこそ自分の感情を言葉にできるように練習しないといけないと思う。

 毎日友達と話して感情を言葉にすることや本を読んで語彙を増やすことnoteのような媒体で文字を書くことも十分練習になる。自分の感情を文字にすることもnoteをはじめたきっかけのうちの一つである。

綺麗な日本語使いたいンゴね~


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ほろ酔い文学

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