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好きなものは似るという話

ブログを書くのに必要なイメージ画像を検索していたときに気付いたことだが、一つの検索ワードに対して画像だけを見て選んでいるのに、撮影者をみると同じ方が案外多い。素敵だと思う感覚には、どうやら自分の中で型がありそうだ。

自分の好みは日常の中で作られる。だからなるべく、嫌いなものや違和感のあるものは日常に入れたくない。それはわがままじゃない?汚れた水も飲むのが大人だと言われたとしても、じゃああなたが汚れた水を飲めばいいと思う。私の日常は、あなたのものではない。私が必要を感じて飲むのが、誰かにとって汚れた水であろうとも、私にとってはそれが栄養ドリンクなのかもしれない。誰かにとって美しい水でも、私にとっては何じゃそれな水かもしれない。好みというものはそういうものだ。

noteは自分の雑記なので、タイトル画像は完全な好みだが、WEBサイトの記事は読んでもらうことを意識して書いているので、なるべくそれに沿う画像を選ぶ。完全な好みではない。ないけれど、やっぱり選んでいるのは私なので私が反映される。AIに選んでもらうなら、どういうものになるだろうか。指示を出すのは私だから、やっぱり私に寄るのだろうか。この言葉で画像を選ぶというのを何人かでやってみたら面白そうだなとふんわり思いながら、慌ただしい年末が迫ってきていることにドキドキしている今日この頃です。

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