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肉の日

語呂合わせにちなんで、2月9日に制定された記念日。
毎月29日に設定されていたりする。特に11月29日は、いい肉の日だ。
そして、8月29日は焼き肉の日だったりする。

 肉には禁忌がある。たとえば、江戸時代は肉食は禁止(薬喰いは例外)だった。イスラムは豚は食べない。
 英語の侮蔑語でsome of a bitchがある。子犬なのだが、どうしてこれが侮蔑を意味するのか文化が違うとわからない。狼は侮蔑語にならない。それは、遠い存在だからだそうだ。この辺りも文化圏から遠いとわからない。傾向としては、日常に近いか遠いかで分類する。近いと親しみがあり、遠いと荘厳な雰囲気がある。ところが、どっちつかずのものは分類不能でどう扱っていいかわからない。こういったものは排除する傾向があるそうだ。故にbitchは侮蔑語になったと説明する。これと同様に、イスラム文化圏にとっても豚も家畜なわけでもなければ、食用にもしなかった。それで、分類不能である、それで不浄と分類されるということである。(到底、納得いかないが・・・)なんだか見た目や印象で決めているような気もする。
 東京に出てくるときに、実妹に止められたことがある。「イルカを食べることは云わない方がいいよ」
 イルカを常食しているわけではない。たまにイルカの煮物を食べることがあった。根菜と一緒に煮ると根菜にイルカの出汁が滲みて美味しかった。お弁当にも入っていたことがあるから、それでも結構な頻度で食べていたと思う。反応は、妹の推察が正しかった。「なんだって可哀想なことするんだ」みたいな反応だった。人間は勝手に動物に役目(ロール)をつけたがるものなのであろうか、イルカは曲芸をみるもので、食べ物ではないとか・・・。牛や豚は食らうものである。したがって可哀想ではないという具合か・・・。食べるということは、殺すわけである。それに罪や穢れを感じて禁忌にするわけであろう。

ここで過去ログをおめにかけよう。犬を食べることについて少し論じている。2017年の11月1日の記事である。

今日は犬の日だという
よく土用の丑に鰻を食べようという
でも”犬の日に犬を食べよう”とはならない
いうまでもないが、犬食は文化であるし
中国や韓国だけでなく犬は日本だって食べた。
牛肉や豚肉を食べる文化が明治期に入ってきて食べなくなっただけだ
(戦時中の飢餓期は食べたという記述も散見される)
野犬が街をうろついていた時代に
食糧難の時勢と合えば それはタンパク源とみなされる。
犬を愛玩用として家族同様の方々もいる
そういう人から見たら、禁忌食に思えるのである。
バーナード・ショーは動物は人間の仲間だ
仲間を食べる気にはなれないとして肉食はしなかった。

豚を嫌って食べない宗教もあれば
牛を神様とみなす宗教だってある
自分の国のことは自分ではわからない
あるいはわかると言っても意味はない。
La fondue au chien est un plat traditionnelcoréen. EnCorée du Sudnotamment, la période decanicule(du latincanicula,petite chienne, période la plus chaude de l'année), est appelé ≪ Jours du chien ≫ (삼복/三伏/Sambok/trois saisons chaude) ou (복날/伏날/Bognal). Les 3 saisons sont :초복(初伏/cobog, littéralement,début de saison),중복(中伏/jungbog, littéralement,milieu de saison),말복(末伏/malbog, littéralement,fin de saison). La vente de viande de chien y a été officiellement interdite en 1988, lors des jeux olympiques, mais elle y est toujours tolérée. Une campagne d'inspection de l'hygiène des restaurants servant de la viande de chien y est lancée en 2008. Le ragoût de chien appelébosintang(보신탕) y est toujours apprécié. Une autre spécialité est le Gaegogi(개고기), fondue au chien. Il est également possible de consommer ces spécialités dans certains restaurants coréens du Nord-Est de la Chine (Pékin,Shandong,Dongbei notamment), où vit la minorité coréenne chinoise (un des 56 groupes ethniques officiels) ou originaire de la péninsule coréenne.
Le Japon semble faire exception en Extrême-Orient pour la consommation de viande de chien. Il s'agit encore une fois d'une réprobation culturelle. Dans la culture de ce pays, le chien est très respecté. On peut, par exemple, citer Hachikō.
日本は、フランスのwikiによると
犬をリスペクトする文化があり、極東アジア文化圏において例外とされている。
そうなのか
リスペクトしているのか、、、違うと思う。

一方で
ニホンオオカミは絶滅してしまった。
オオカミと犬は違うという
似たところと同じぐらいの数の違いがある。
犬はリスペクトされ
オオカミは、絶滅してしまった。
トキのように、無理やり延命するようなプロジェクトも組まれなかった。
そんな技術や余裕がなかったのかもしれない。
オオカミが飼いならされ
今のイヌという種別ができたというが
これにも異説がある。
オオカミとイヌの共通の祖先のような種がいて、枝分かれしてオオカミとイヌになったとDNA調べで言えるとのことである。
オオカミをどんな風に育てても
イヌにはならない。
イヌを野生に放してもオオカミにはならない。
でも、それが問題なのではない。
同じイヌ科でも、食用とそうでないのがいる、
というだけである。

乳を出させる牛と犬食の文化を持つ国でも同じである。
いずれ家畜は食べないのだ。

肉を食らう牛を育て分けるのと同じだ。
サラブレッドと食用の馬がいるのと変わらない。
つまり、自分のペットは食べないというだけだ。
牛はペットでないから食らう。
犬食の文化を持つ国でも同じである。

いずれ家畜は食べないのだ。

それにしたって、人間の傲慢さの枠はでないのである。
日本ではニワトリは食べるが鳩は食べない。

単なる好みの問題で、生命の選択をしているということだ。

さて、
東京で犬を食べようと思ったら

実は池袋である。
大久保ではあるにはあるが
いずれにせよ言えるのは、

韓国料理でなく
中国の韓民族が作った料理である。

キーワードは延辺料理。

北朝鮮と中国の国境あたりの地域の
料理である。
羊肉串が有名なお店では
犬鍋などの料理を食べることができる。

池袋の有名店、四季香や
延辺チェーンの千里香などである。
深夜もやっているので
便利で楽しい。
犬と豆腐の鍋が人気があるという。

犬の牧場みたいなところがあり、肉質も柔らかである。
たしかに、独特の臭いがあるので香辛料と一緒に食べる。
それも慣れの問題だと思う。
牛だって特有の臭いがある。
日本人は牛のそれに慣れているだけだ。

小さい頃から食べなれたものの
素材の臭いには鈍感になる。
逆に食べなれない食品には刺激を感じる。

大人はこれを克服していって
刺激を楽しさに変える。
漬物や塩辛
馴れ寿司やクサヤ
もそうなのではあるまいか。

さて、本場の韓国料理の犬を食べようと思ったら、韓国に行くしかない。
ところがソウルオリンピックの頃から
犬肉は減少の一途を辿っているという。

文化も広義には気分の問題だから
仕方ないといえば仕方ないが
政治的商業的な圧力の結果そうなっているのなら、嘆かわしいことだ。

 肉を禁忌にするというのは、生理的なものに近いくらい染み付いている事柄である。そうなんだけれども、逆に禁忌を感じない人間からみれば奇異なことにも思える。とどのつまりは、好みに過ぎないと思うのだ。
菜食主義だろうがなんだろうが生命を奪って食べているということに変わりはない。けれども感覚の問題として、植物は死んでも生生しくはないが、動物が死ぬのを見るのも、感じるのも、生々しく嫌なことであるという人は多い。血はみたくないのが共有事項なのかもしれない。私とて、目の前で牛を殺して、頭と一緒に出てきたら、爽快とはかけ離れた感情もうまれてくるのであろう。そのくせ、お頭つきは平気で食う。もはや理屈では割り切れないことだ。

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イルカは食べていけなくて、牛は食べていいなんて線引はどこにもない。
そういう議論もいいが、そんないい争いをしなくても済む時代が来そうである。今日は、そんな話をしよう。
実は、この話は必然に迫られて希求されてもいるである。牛を一頭育てて、食肉加工するまでには、年単位の歳月がかかる。牛の餌にはかなりの植物を必要とする。鶏肉もまるで、材料かのように、工業製品のように飼育される。しかも人間の都合に合わせて遺伝子も配合されていたりする。だったら、、、という話である。
 この流れは前から危惧されていて、ずいぶん前からフェイクミート(大豆で作った肉に似せたもの)が作られ、流通している。日本では大豆は”畑の肉”とあだ名されていた。これは高タンパクだからこの謂なのだが、フェイクミートは文字通り”肉化”してしまったわけだ。ところが、味はやはり肉に劣ると云われる。植物を肉にするというのは無理があるからだ。けれども培養肉を作るというクリーンミートは組織も成分も肉とまったく変わらない。
 マイクロソフトの創業者で有名なビル・ゲイツをはじめ、ジェフ・ベソズ、リチャード・ブランソンらは、ベンチャーキャピタルを作った。その投資先の一つにフェイクミートを製造する会社はリストされていた。そして2017年8月には、クリーンミートも投資先リストに加えられた。
ブランソンはこの投資を大変を喜び

動物を殺して食べていたなんて祖父祖母の時代はずいぶん野蛮だったんだ、って将来思われるんだろうね。。。

このように述懐して顔をほころばせたという。
 ヒトの皮膚細胞組織から、皮膚を培養する技術がある。皮膚が機能しないほどひどい火傷を負ったときにこの皮膚を移植するわけである。本人の皮膚組織を採取して培養するので、細胞レベルで拒絶反応などはない。これを食肉に応用したのが、クリーンミートである。もっとも、牛皮革の分野でこれは発展した。皮を培養して、牛革を作るのである。これによって、腰に巻くものや財布を作るために牛を殺す必要なくなった。しかし、牛は牛肉の培養をしない限り、どのみち殺され続けるのである。

 食肉を大量生産するのもリスクがある。先程押し詰まったとしたが、これには人口問題と関係がある。増える人口の見合う量の牛肉を生産するには、どれだけの干し草が必要か・・・さらに生産効率をあげるために、飼料になんか細工するとか、なんらかの工夫がされるんだろう。
ぎゅうぎゅうに鶏小屋に詰めて育てられたニワトリはいかにも不健康だし、伝染病の危険もある。毎年のように鳥インフルは発生したりもしている。そうでなくても、畜産のもたらす糞尿が河川に流れ込み環境汚染にもなっているという。
 このような諸問題を解決するのがフェイクミートであり、そして培養肉事業のクリーンミートだというわけだ。ベンチャー企業のメンフィス・ミーツでは、培養肉を肉眼でみえるぐらいの大きさにするプロジェクトを開始した。クリーンとは、狂牛病や鳥インフルだけでなく、細菌のむやみな発生も防ぐのである。これで悪臭のしない肉を作れるということである。
 けれども開発はやはり楽ではなかった。培養を少しでも早めるために、子牛が飼料を食べて肉を形成する生理学的な諸段階をたどるペプチドやビタミンやミネラルなどといった栄養分が酸素ともに加えられたりした。生体内で筋肉が育つプロセスをできるだけ忠実に真似する方法をつきとめたりした。
”手引書なしでビールをつくるような作業”だったと開発者は語る。あれやこれや試さないと先に進めなかったのである。
 クリーンミートは、最初30gのハンバーグになった。しかし30万ドルもした。試作を続けた結果ミートボールができた。今度は1200ドルで済んだ。技術が向上すればもっと安価になるであろう。前途は多難だが、清潔で(試食した人の中には、肉の味が濃くなると評した人もいる)、罪や穢のない肉が食卓に並ぶ日は近いのだ。もう肉食を禁忌する必要は、少なくとも感情論としてはなくなるのである。これはものすごく画期的なことだと思うのである。

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<来年の宿題>
・培養肉
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●見出しの画像
培養肉(画像はお借りしました)環境にやさしいと、創業者はいうが
質量保存の法則があるので、培養肉になったからといってCO2削減については、そこまで効果があるのかは疑問視されてはいる。

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