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焼き鳥の日

 8月10日は道の日でもあり、世界ライオンデーでもあり、焼き鳥の日でもある。
 ◯道の日
 道の日というのは、建設省が1920年に道路の青写真(計画)ができた!といった日である。”そんなもんてめぇの仕事だろ!あとは民間にぶん投げて、リベートとるんじゃね?”とでも言いたくなる。私のそんな空想は脇においておくとしても、なんだか仕事の途中発表みたいな記念日ではないだろうか。。。
 高速道路が開通とかのほうが記念日らしい。”こういう計画を書きました”が、どういう意味を持つのか、皆目わからない。各地で道路に関するPR活動をしたとWikiにあって、つまりは町おこしに使ったんじゃないかと、さきほと脇においたものを懐に直したくなる。こういうの、詮索してもつまらない結果になるのがオチなので、やっぱり捨てちゃおう。
 何かを捨てると何かが入ってくる。。。突然、フランク永井の”夜霧の第二国道”という歌が浮かんだ。第二国道というのは第二京浜のことであるという。国道は区間によって名称が変わる。
国道1号線は起点〜五反田までを桜田通りといい、五反田〜横浜までを第二京浜と呼ぶ。つまり第二国道=国道1号のことである。そもそも国道1号は、旧東海道に沿って作られている。もともと第一京浜が第二京浜の南にあったのだが、交通量の増大とともに新京浜を作らないと間に合わなくなった。それで新京浜を第二京浜、旧京浜を第一京浜ということになり、番号を付け替えて、旧京浜を国道15号としたのである。このあたりは松波成行さんの本に任せよう。国道1号は東京都中央区〜大阪府大阪市まで続く638.8kmの道程だ。現在では2番めに永井(失礼!)長い道路である。では1番長いのは、というと、国道4号で、東京都中央区〜青森県青森市まで。日光街道・奥州街道を元に沿って作られた道路だ。全長742.8km。 
 
◯奥の細道
 道路という言葉は芭蕉の”奥の細道”に出てくるという。

遙なる行末をかゝへてかゝる病ひ覺束なしといへど羇旅邊土の行脚捨身無常の觀念道路に死なん是天命なりと氣力聊とり直し路縱橫にふんで伊達の大木戶を越す鐙摺白石の城を過笠島の郡に入れは[...]

出だしはまさに、名文である。

月日は百代の過客にしてゆきかふ年も又旅人なり舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふるものは日く旅にして旅をすみかとす古人も多く旅に死せるあり
フランス語のWikiによると、
Quoi qu’il en soit, le spécialiste du bouddhisme zen japonais Daisetz Teitaro Suzuki décrit la philosophie de Bashō comme « l’annihilation totale du sujet et de l’objet » dans la méditation. Yuasa apporte une analyse similaire : « Bashō a rejeté ses plus anciennes convictions, une par une, dans les années avant son voyage, si bien qu’il ne lui restait plus rien d’autre à rejeter que lui-même, intérieurement et extérieurement. Il était obligé de se rejeter pour pouvoir reconstruire son identité réelle (ce qu’il nomme le "moi éternel qui devient poésie"). » Yuasa ajoute que « La Sente du Bout-du-Monde est une étude de l’éternité, si profonde qu’elle en devient un point fixe dressé contre le cours du temps. »
●annihilation  ... 無に帰すこと
●La Sente du Bout-du-Monde ... 奥の細道
抄訳)
鈴木大拙がいうには、芭蕉は主体と客体を両方消滅させたのであるという
湯浅(奥の細道の英訳者)も似たような分析をしており、芭蕉は旅に出る前の数年間で古い信念を一つ一つ捨てていった。それでもはや内面でも外面でも自分自身以外は捨てるものが残っていなかった。実在理念を再構築するため、(”永遠の自分が詩になった”)自分自身を捨てなければいけなかった。
奥の細道は永遠の学びであり、時間の流れにを一点に固定するほど深いのである。

と随分、格好いいことが書いてある。”芭蕉は旅に出る前の数年間で古い信念を一つ一つ捨てていった”という作業は俳句の成就のためであるというが、実際はどんな作業なのか・・・芭蕉というある種の権威に逆らうわけではないが、いささか格好良すぎな気がする。
 ちなみに芭蕉の道程を地図上で表すと

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 随分と歩いている。この健脚ぶりから、実は忍者ではないか、という説があるそうである。それを裏付ける状況証拠として、松島が目標のはずなのに、松島に逗留がたった一日であったり、そのくせ軍事拠点で長逗留したり、芭蕉自身が伊賀の生まれだったり、同行した曽良の文章と齟齬があったり・・・と見方によってはグレーだ。まぁ、ロマンはロマンのままにしておこう。
 それより、俳句の方である。川柳から芸術へのまさに過渡期を歩いた旅であるという見方で私は楽しみたい。
 芭蕉の句にこんなのがある

一つ家に遊女も寝たり萩と月

この句の方が文学的には記念碑ではないかと私は思うのである。
新潟県市振で詠んだとされている。遊女と同宿になった奇遇にドギマギする芭蕉の様子が浮かぶようである。萩は鹿と対で、恋慕の情を唄うのが定式であった。月は鈴木大拙がいったような、悟りの世界の象徴であり、清浄感あふれるアイテムであり、これを萩と組み合わせることでプラトニックな句となる。こういった句を奥の細道の旅程のしかも半ばも過ぎたころに詠んだというと、親しみさえ湧いてくる。
 ここで鹿→月を、俳諧→俳句のターニングポイントとみると記念碑だが、しかしこれは専門家に云わせればパロディの一つとなるようである。このあたりは、まだまだ勉強が足りないのであろう。

◯焼き鳥
そうだ、焼き鳥の日であった。
焼き鳥ときいて、日本にいる私がすぐ思い浮かべるのは、串に刺したそれである。サラリーマンがストレスを発散するのに、上品に箸を使うより、そして、食べるというより頬張るで、串の方が趣向にあっている。かつて、新橋の銘店 鳥藤 について書いたことがある。
 食の大国フランスでも、もちろん鳥料理がある。poulets rôtis という有名な料理がある。poulet が鶏、rôtisが焼くだから文字通り焼き鳥である。
次の記事(Les meilleurs poulets rôtis de Paris)では次のようだ。

Lors d'un entretien accordé au Figaro en 2010, l'immense Paul Bocuse avait pourtant déclaré: «Quand je commande un poulet, je n'ai pas besoin que le maître d'hôtel me parle du grand-père de celui-ci. La seule question à poser est: “C'est bon?”.» Probable que personne n'aurait non plus osé lui servir un spécimen de batterie. D'ailleurs, comme nous avons pu le constater au cours de ce test, le pedigree des volatiles est presque toujours indiqué sur les cartes des restaurants sélectionnés. Gimmick de l'époque, mais pas seulement. Au même titre que les conditions d'élevage, le terroir influence la chair. Et ce n'est pas Antoine Westermann, vainqueur de notre palmarès avec sa volaille de Challans au Coq Rico, qui nous contredira.Un bon poulet rôti relève de l'alchimie entre un produit de belle extraction et un chef compétent. À lui de le sublimer avec quelque tour de main qu'il gardera secret. En fait, si nous nous montrons si exigeants avec ce plat, c'est qu'il fait partie de notre patrimoine gastronomique. Qui n'a gardé le souvenir ému de déjeuners dominicaux, où il trônait sur la table, tout beau et tout bronzé? Raison de plus pour ne pas se faire plumer au restaurant.
●un spécimen de batterie ...  電池のサンプル
●palmarès ... 受賞者名簿 ここでは名だたる鶏の飼育所のことを指す
●l'alchimie ... 錬金術
●plumer ... 羽根をむしること レストランで食事をせっかくするのに、鶏の羽根をむしらせることなんてしないもっともな理由 → 料理人の腕が大事だという意味

 ポール・ボキューズは、鶏を注文するのにいちいち血統をきくことはしないという。この意味はおそらく、いい材料を手に入れることも大事だが、それよりも料理人の腕によるところが大きいからそういうのであろう。(c'est qu'il fait partie de notre patrimoine gastronomique.)美食の遺産の一部をなすとまでいうのである。この料理をフランスがいかに大事にしているか伝わる記事である。

焼き鳥の有名な店になると、火入れに細心の注意をする。
鶏肉の部位も多種多様である。
ボンジリ、まるはつ、せせり、はつもと、砂肝、ちょうちん・・
そして、焼き鳥の有名な店で見かける部位がソリレスだ。
ソリレスはフランス語(sot-l’y-laisse)という。(どうしてこの言葉になったのかは後述)鶏あるいは七面鳥のもっとも繊細な部分であるという。
腸骨のくぼみにある肉なのだが、ある人はボンジリの上にあるというが、実はそこではないので混同はしないほうがいい。それはスポンジ状であるが、ソリレスはものすごく美味いのだ。賢明な愛好家は最後までとっておきにし、そうでない人は忘れてしまう部位だ。

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Le sot-l’y-laisse, mot invariable, est la partie la plus fine d’une volaille, plus particulièrement du poulet ou de la dinde. Il désigne le petit morceau de chair qui se niche aux creux des os iliaques. Certains prétendent qu’il se situe au-dessus du croupion, mais ce n’est pas le cas et il vaudrait mieux ne pas les confondre, l’un étant spongieux, l’autre délicieux. Et il y en a deux par volaille que les amateurs éclairés se réservent pour la fin et que les autres oublient.
●iliaques ... 腸骨
●se niche ... 身を隠す

この部位の名前(ソリレス)の起源については1798に笑い話が用意されている。たくさんの起源話があるが、最初はバカ(le sot )である。それは、こんな美味しい部位を放っておくなんてお馬鹿さん、という意味である。2つめが、逆に、この部位の美味しさを忘れるためにはバカでないといけない。3つめが、ルイ14世が大好物で、鶏というと、この部位しか食べず、他はすべて残したという逸話から・・・

L’origine de ce mot qui prête à sourire remonte en 1798. Il existe plusieurs significations. La première est que le sot, puisqu’il l’est, ne connaît pas cette partie et la laisse une fois la volaille dégustée. La deuxième, c’est presque le contraire. À savoir qu’il faudrait vraiment être stupide pour oublier cette délicatesse. La troisième veut qu’il s’agissait du mets favori du roi Louis XIV, lequel, loin d’être un abruti, ne mangeait dans le poulet que le sot-l’y-laisse, laissant, pour une fois, le reste pour les autres.

 まさに唯名論だ。名がないと、その他の部位と混同して、埋没し、存在しないも同じである。名前をつけた途端に煌めく。
こういった部位を気にして、慎重に火入れをして、一本一本丁寧に出す。
食べる側としても、身が引き締まる、背筋が伸びる。大衆と離れて別の形に昇華している焼き鳥だ。東京の代表格では”鳥しき”のようなお店だ。
 芭蕉が俳諧から俳句へと昇華させたように、焼き鳥も料理人の腕によって懐石料理のような洗練まで昇華するのである。

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<来年の宿題>
・poulets rôtis の有名店
・中華料理の焼き鳥
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ソリレスで作った料理 引用記事の中で紹介があったレシピ


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