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コラーゲンの日

1960年1月26日、ニッピの研究員だった西原富雄氏が、コラーゲンの可溶化に成功し、特許を出願したことにちなんで制定された記念日。

コラーゲンについて、皮膚の日に書いた。健康に関する話題の多くに誤解がある。コラーゲンは加齢とともに作られる体内で作られる量が減ってくる。ここまではわかるが、それが経口摂取によってどんな影響になるのかは科学的に不明だ。これ以上でも以下でもない。
 たいていの誤解は、解けたあとから考えてみれば、なんでそんな誤解をしたのかということが多い。この場合なぜこういう誤解が生じたのかというと理解不足というより、集める情報が正しい判断を歪めているのだと推察する。テレビなどでは、女性が好きなコラーゲン、肌によいコラーゲン、あるいは膝の痛みはコラーゲン不足から、、、というだから摂取せよと。。。こうしたCMやらテレビ番組などが脳にミスリードを誘うのではないかと思う。もしそうなら、この誤解は環境起因である。その根本原因がコラーゲンが入った皮膚関連の商品ということになる。
”またそういう変なことをいう、機能性表示食品なのだから。”という言説もある。もし本気でそういうことをいうなら、今度は消費者庁の案内不足だ。
消費者庁のページをみてみよう。

事業者の責任において、科学的根拠に基づいた機能性を表示した食品です。販売前に安全性及び機能性の根拠に関する情報などが消費者庁長官へ届け出られたものです。ただし、特定保健用食品とは異なり、消費者庁長官の個別の許可を受けたものではありません。

あくまでも事業者側が機能性を言っているだけに過ぎず、消費者庁はなんの審査もしていない。これ以上私が何を書いても仕方ない。環境を変える力をもっていないし、変えるつもりもない(遮断する自由は許してほしい)。せいぜい私ができることは専門家に確認してみるだけの話である。

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 これと似たような話が、”仕事にやりがいなんてない”という言説だ。これも、おかしなことで、ムキになって否定に掛かる人もいる。たとえば「コンビニ人間」というベストセラーを持ち出してきて、コンビニのマニュアル作業で「自己実現」する人を引き合いに出してくる人もいる。そして、自己実現は人を幸福にするのだから、そんなに水を差すなよ、といわれる。
 もしそうなら、同一労働同一賃金なのだから、経営者は自己実現を利用して労働者のやりがいを搾取できることになる。つまりやりがいをもってやっていようといまいと同じ給料のはずである。
 とくに昨今の現実問題、コロナ禍で日本の医療が崩壊するかどうかは、医療従事者の”やりがい”にかかっている。これを危機といわず、なんというのだろうか。すでに医療崩壊は構造的な理由で起こっているのだという見方があってもおかしくないだろう。感染者の数は目安ではあるがそれ以前の問題だ。
 ”医療従事者の皆様、頭が下がります。”といっても、構造を変える力はなにもない。つまり国民は医療従事者のやりがいや誠意を搾取しているのだ。

 そして、この構造は、サラリーマン社会であることも大きい。欧米の企業がジョブ型であるのに対し、日本の企業の多くはメンバーシップ型である。
(医者に金持ちが多いが、それは開業医でサラリーマンではないからだ。)
そして、TVドラマなどの多くの場面で語られるのが、サラリーマンをやめると途端に生活が困窮するといった事態である。それは正社員という身分制度がいまだに日本に残っているからである。
でも、そんな日本の身分制度も外圧によって変わるだろうなと想っている。
労働人口は少子化の日本では減少傾向であるので、外国人労働者を雇うか、そもそも海外に拠点を移すか、AI化を考える、、、それじゃ、ますます仕事がなくなる!といっている人がいたら、それは誰かさんが安い商品をのぞんだ結果であり、原因をつくったのは企業だけではない。身から出た錆そのものである。政府がいくらインフレにリードしても効果的でなかったこともこれと同じ原因だ。インフレは怖いというが、歴史的にみると、だいたい4年で混乱は収まる。だから4年間を耐え忍ぶだけの資産をつくるという人もいるが、海外に4年移住をすればもっと簡単に解決する。もし日本が元にもどらないなら、そのまま住めばよい。世の中はグローバル化が進んでいるので、この考え方もそう奇抜な時代でもないのである。こうしたことは逆にCMやTVではやらない・・・。
 あ、私のような経済オンチがこんなことを書いてもやはり力がないのであろう。これも専門家にきいておこう。

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 私は情弱であるので当然、時代錯誤的なことも書いてしまう。そもそも私が引用する”現代思想”も30年前の”現代”だ。
 でも、私は自分の幸せを考えると、アナクロニズムにならざるを得ない。
セザンヌが、パリ・コミューンの最中に果物の絵を書いたように、そして、ウィトゲンシュタインが戦火かいくぐっている横で”砲弾など枝葉末節にとらわれている場合でない”といったように・・・・。何が枝葉で何が幹なのかは、人によって違うのだと、コラーゲンの話になると思い出す。

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<来年の宿題>
・アナクロニズム(種村季弘)再読
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