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私の上司、私も上司


バイト先に新しい子が入った。その子の名前を仮に谷村さんとしよう。

ちょうど、谷村さんの初日と私のシフトが重なった。
私はいわゆる上司の立場になった。1年前、自分が初めてこの職場に入った時のことを思い出しながら、谷村さんに仕事の基本を教えた。谷村さんは、はぁはぁ、と言いながら私の後を付いて回った。
新人の気持ちがわかると思った。なぜなら、まさにこの私も通ってきた道だから。どこをどう分からなくなるか、何が難しいと感じるか、ちょっと前の自分を思い出しながら丁寧に説明をした。


以前のバイト先で経験したことだけど、理不尽で意地の悪い先輩がいて、私はその人が大嫌いだった。
その人は適当に早口で説明するくせに、2度聞きすると「前も教えたんだけどね」と嫌味っぽく言った。そのくせ自分は一向に働かず、キッチンの人とだらだらおしゃべりばかり。でもこちらよりは経験があるので、いざという時はその人に頼るしかないというのが屈辱的で悔しかった。

今思えば、先輩は先輩なりの美学があったのだと思う。
本人は長年そこに勤めていたベテランだったし、下っ端に任せる、叱ることで伸ばす、というのはある意味飲食業界では常識の育て方で、先輩はそれを忠実に実行していただけなのかもしれない。でも、こちらが頭で先輩なりの正義に気づくことができても、向こうは私の正義を全否定してくる鋼の女だ。私はどうしたところであの先輩とウマが合う可能性は0.01%もなかった。

結局私は先輩の存在に耐えきれず、退職した。


今のバイト先は個人店で、経営者の人は全部自分の責任で回っているからか、どこか余裕があった。決められたルールがないので、訳の分からない制限やルーティーンもなく、メニューも接客も柔軟に対応するのが普通だった。それだからか、バイトの子たちもみんな優しくて落ち着いていて、適度な距離をもって仕事のできるいい人たちだった。みんな自分が率先して動くし、何かハプニングが起きたらみんなで解決しようとした。私たちホールは一心同体だった。他の人があれをやっていたら私はこれをやる。一つ一つクリアするべきミッションが頭の中に見えている。手が足りないところに他のバイトが入っている。私は目の前のやるべきことを淡々とこなしていく。
この、ホールを回す感じ、が段々つかめてくると、初めてバイトを楽しいと思えるようになった。
そうして1年が経った。


その日は団体客が2階と1階に2組、他に予約のお客様が2組ある、そこそこ忙しい日だった。
途中から他に2人入り、4人体制でホールを回していく。
中盤、段々忙しくなる。団体客の注文が2組続けて入る。
私は1階の団体客の皿を下げにかかる。すると、廊下であたふたしている谷村さんが視界に入る。
「ここのお皿下げるの手伝って!」
私は谷村さんに声をかける。
「ええ!」
谷村さんが苦虫を噛み潰したような表情をする。でも私はお客に呼ばれて谷村さんに向き合うことができない。
お客の飲み物の注文を取る。目の前に並ぶ空のお皿たち。一向に現れない谷村さん。早くお皿下げてよ!
注文を聞き終わり、数人の空き皿を下げつつ廊下に出ると、2階の階段から山のように積んだ空き皿を持っておりてくる谷村さん。足元を神妙な面持ちでじっと見つめている。一階から見上げる私に気づくと、なにやら恨みのこもった目でこちらを睨んでくる谷村さん。

あ、上の階から「お皿を下げて」指示が出ているのに、私が被せて1階の「お皿を下げて」という理不尽な指示をしたから、さっきは困った顔をしていたのね。いっぺんに言われても同時になんてできないし、困るよね、そりゃあ。


いい上司ってどうしたらなれるのかな…。



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