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コンプレックスからの脱却

大学生(または同級生間)の、あのうるさくて軽いノリが大の苦手で、学歴や趣味が同じ仲間が集まっている場所に行ってもなお、そういうノリにノレる人たちが多くいて、私はそんなチャラチャラした輪の中でただ苦笑いするしかなくて、そうすると周りの人たちが腫れ物を触るように私を扱い始める、あの空気が嫌で嫌で仕方ない。

私は一時期私の真面目さを心底嫌った。軽い冗談を言ったり、友達の冗談を大きな声で笑い飛ばすという芸当ができなかった。饒舌な人や面白い人ばかり目立って、うまく喋れない私は席の端っこでただ笑っていて、どんどんみんなと距離が遠くなって私の周りに透明な膜が張り付いて、いじってはいけない人、みたいな暗黙なルールが課されて、それを理解した私はなんでいつもこうなんだろう、なんでうまくみんなの輪の中に入れないんだろうという自責の念でどろどろになった心を顔に貼り付けた笑顔の仮面でごまかす。そんなことをしているうちにごまかしの態度がどんどん癖になっていって、まるでそれが本当の自分であるかのような演技の上達を遂げているのだった。

私は苦しかった、みんなと違うことが。リラックスしていれば私は決して大人しくも硬くもないし、冗談も言えるし、腹から笑うことができるのに、軽いノリを強要されるような場にさらされると途端に緊張してしまって、うまく喋れなくなって、でも別に病気でもなんでもなくそれはただの私の性格で、原因の言い訳ができないことが余計に私を苦しめた。私は私をうまく作れないせいでチグハグな行動を取ってしまい、余計に周囲の人に理解できない人と思わせていると思う。そして今まで私みたいなタイプの人に出会ったことがない。

でも、私のことを理解してくれる人たちは確かにいる。お互いにお互いの魅力に気づき、本心から付き合っていたいと思える、そんな関係の人たちがいる。彼らの優しさを思うと幸福な自分に涙してしまう、そんな人たちがいる。そして彼らの前では、私は私らしくいられる。自然な、明るくて本心を喋ることのできる自分に。だから私はきっと人に恵まれていると思う。そして、開放的な自分がちゃんといることに気づいた時、私は私をやっと好きになることができた。


「大学生」という字面を見ると、どうしても想像してしまうイメージがある。でも、その中にこぼれ落ちる大学生も大勢いるのだということ、それを私自身が一番わかっていなかった。饒舌な人や大きい声の人は嫌が応にも目立つので、そちらにばかり目が行きがちだけど、そこに馴れ合ってしまっていたらむしろ私は私をもっと嫌っていたかもしれない。その方向への演技が上達したとしても、それだって本当の自分じゃないのは確かなのだから。
私たちは大学生である前に、同級生である前に、唯一無二のただ1人の人間同士だった。仲のいい輪の中でやっていける人を否定するわけではない、それはそれで幸福で素晴らしい才能だと思う。だけど、私は無理して大声を出す必要も、早口で喋る必要もない。だからといって孤独ではないし、周りから嫌われているわけでも、疎まれているわけでもないのだから。もし無理せずともリラックスして付き合える人と出会ったら、大切にしていけばいいのだ。今いる大切な友人や恋人と同じように。



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