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Human-beingでいられない


「Human-being でいられない」ということ
ある先生に呼ばれた対談の最後に、バーーーーっと喋ってしまってうまく伝えられなかった気がするので文字起こし
今年一年、いろんな人に言いまくってたことを

わたし=パンの人

コロナで緊急事態宣言が出た時、みんな家でお菓子作りとかパンとか焼き始めて小麦粉の売り切れとかあったよね

私は、2019年の1月から外出自粛してて(半月板の手術を前に歩けなくなってた笑)自分がアウトドアだってこと忘れるくらいstay homeのプロみたいになった
パンを焼いたり、刺繍したり

せっかく早起きしてトビタテの仲間と朝活するなら、パンも焼いちゃえと毎朝パンを焼いてたら、自画自賛だけど本当にどんどん上達した笑 以下、自慢笑

朝4時に起きて、食パンからサンドイッチを作ったり、

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ベーコンエピ とかレシピ見なくても作れるようになって、
元気がなかった友達にUber Breadsをしたり、

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オンラインでパン教室の先生をさせてくれる人がいたりで、

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みんなからの印象が

私=山の人
から
私=パンの人
になってしまった笑

手でパンを捏ねる時って、足は使わなくていいんだけど、
全身を使って捏ねるし、叩くし、ストレス発散になる

そのストレスが美味しくなるって最高じゃない?
というわけで、悲しいかな私のパンは愛情よりストレスたっぷり笑

注:誰かにあげるときは、ちゃんと愛情込めてるよ!!!

あれ、わたしインドアも行けるらしいという気づきがあった

インスタの @yamabaker_titi で他のパンも見れます笑(山で使えなくなったカメラが寂しそうだったのでパン撮ってます😭)


パンを焼き始めたわけ

そもそも、なんでパンを焼き始めたかって
歩けなくて、家にいるしかなかったからなんだけど

それは、一部でしかなくて
本当は、生産性のない自分に耐えきれなくなったから
だから、物理的にパンの生産を始めた

今の社会は生産性を求めて、生産性に価値をおいてまわっているよね
その人が、誰であるかということよりも、その人が何ができるかを
資格だったり、TOIECの点数だったり、〇〇スキルだったり
本屋さんに行けば、沢山のスキルアップのための本が並んでいる

何もできなければ社会から取り残されてしまうし、
良い人材にはなれない。

でも人材って所詮「資源」でしかなくて代替可能
代わりのもっといい材料になりそうなものだったり、人がいればすぐに交換される
バイトのシフト交換なんてそのいい例だし、突き詰めれば人でなくてもいい場合もある

だから、みんな必死になって、自分には何ができるか、何をして生きていきたいかを考える。
就職しても何ができるかがついて一生付いて回って、生涯学習の時代!って言われてるよね〜(学生の小娘が生意気にすみません…)

そうそう、生産性が求められる社会で、みんなが就活してる中で、
松葉杖で動けないとか、バイトできないとか、何もできずに「ただ、家にいるだけ」ってのは結構精神的に辛かった。
だから、できる範囲で生産性を生み出すためにパンを焼いた
バンバン叩いて・捏ねてストレス発散にもなったし、家族に美味しいと言ってもらえるし、社会とまでは言えないけど、人に貢献できている感覚があった。
家にいることが楽になった。


Human-beingの人間

いつから人間は生産性に価値を置くようになったんだろう。
詳しいことはわかんないけど、人間って英語でHuman-beingだよね

Beingって「ある」「いる」ってことを意味していて
つまり人間は、「いる」ことに価値が置かれていたんだと思う

神学的には、13世期の神学者トマス・アクィナスが「存在は善である」っていうEns est bonunっていうラテン語を残している。
シンプルな真理。存在していることそのものが善い。それ以上でも以下でもない。

トマス・アクィナスが信仰していたキリスト教の神の名前の”ヤハウェ ”は「わたしはある」という意味だし、創世記では神が人間をつくったのを見て「それは極めて善かった」と言ったらしい。

それが真実か否かは置いといて、人間は「いる」こと、あなたで「ある」ことに価値が置かれていたんだと思う

「すること・できること」は代替可能。誰かとすぐに交換されちゃう。
それでも、あなたで「いる」ことあなたで「ある」ことはだけは、他の人でも物でも機械でも置き換えることができない。
だから、人間は Human-being だった。確実に。

それなのに、今の社会で、人間としてただ「いる」ことってめっちゃつらい
どうしてそうなってしまったんだろう…


human-doingになってない??

今の社会は、さっき言ったみたいにその人を見る基準は
何をしているか。何ができるか。 
求められるものがとっても多い。


Human-being からHuman-doingの時代になった。

そして、とかく言うわたしも自分の生産性のなさに耐えられなかった一人
私も、結局Human-doingだった。

何かをすること。できること。そんなことに価値を置く社会にコロナがやってきた2020

オリンピックができるはずだった。
留学するはずだった。

するはずだったことができなくなって、2020年を無駄な時間を過ごした。無意味だったという人。
逆に、2020年を英語や資格の勉強、ヨガ、パンなどなどおうちでできることを探して、何かをした人。

きっと、何かをしたいけど、何もできない。それが2020年のストレスだった。
それは、普段Human-doingになっているから起こるストレスだったようにも思う。やりたいことがたくさんある人、すること・しなきゃいけないことがたくさんある人、普段たくさん頑張ってる人ほど、きっと辛いんじゃないかな

何かをできること、すること自体悪いことじゃない。
だって、人類全員がナマケモノと同じ生活したら、ご飯食べれなくなっちゃう

逆にそんな世界も見てみたいけど笑

すること・できることがあったり、それをできる人はすればいい。努力できる人はかっこいいし、やっぱりバリバリ仕事できる人もかっこいい。

でも、それだけが全てではないことをちゃんと知っていなきゃよね

だって、いつ自分が何もできない時が来るかわからんし
てか、すでに何かしたいけどできないコロナがやってきたわけで

すること・できることを価値判断基準にするHuman-doingな社会は、
たぶん、ヤバイしコワイ


というより、もう悲しい事件は起きてる

障害を持つ姉がいるきょうだい として、高校生ながらに恐怖に怯えていた
その恐怖感は、危害を加えらることよりも社会の価値観に向いていたと思う。それは今も変わらない。


何が言いたいかって、

何もしてなくても、何もできなくても、「いる」だけで本当に素敵だと思うから

だから安心してさ、たまにはさ、なんにもしないでさ、なんにもできなくてもさ、それでもいいじゃんってさ、紅茶でも飲んでさ、ついついクッキー食べすぎたりして太ってもさ、まぁそんなこともあるよね〜くらいな感じでさ、生産性なんて無視してさ、Human-beingを楽しんでみようよ

そんなの無理って人は、オカヤマ家にきたらいい
一緒に焼き立てのパンでも食べようよ。やっぱ焼き立てが一番美味しいんだよ。

そしたらさ、私にも生産性が生まれてさ、っていうのは違うか笑


おわりに

ここにたどり着いた某教授との対談授業の動画をきちんとみた学生さんたち、
真面目すぎます。偉すぎます。授業参加点を加点してあげたい。
権限なくてごめんなさい笑 
授業の対談動画で何を言ったかあんまり覚えてないんだけど、私は皆さんと違う人種じゃないから笑
他の回に登場するような何かを成し遂げた人でもなければ、超意識高い系でもない。
ただ、神学部が特殊すぎて、使用言語が違うからいいこと言ってる感出てるだけ
英語で自己紹介してもすごいってならないけど、インドネシア語で自己紹介したら大したこと言ってなくても「おぉおおおおおお」ってなるみたいな笑

ネパール行ったのは、ノリで海外とか大学生っぽって思ったからでしかない。
(あと、ヒマラヤ見たい!あわよくば登りたいって思ってた…結局山です⛰)

まぁ。こいつの話もっと聞いてみたいとか、話してみたいとか、今なんかつらいとか、自分もきょうだいですとか、あれば遠慮なくコメントでも、パンのインスタからでもメッセージしていただいて構わないので。お気軽にどうぞ。

対談で登場したおすすめ本
このnoteを読んでくださった人にもおすすめよん

📚『いるのはつらいよ』

「いる」ことを極めた精神科医のまなざし
今なら、彼のつらさがめっちゃわかる


そして、対談対談って何の話だ?!と思っているであろう某教授を知らない読者の方に
私のnoteを一番楽しみにしてくれていて、なぜか私の話をことあるごとに聴きたがり、オカヤマのファンであることを公言している変わった教授がいます。詳細↓↓

大学も違うし、対面でお会いしたのは2回しかないんだけれど、なんでだか気にかけてくれている。(なんででしょう笑)ありがたいです。
もはや、noteが先生へのレポート提出みたいになってきました。笑






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