第114回 幕が上がれば


「観劇」という言葉がある。
文字通り「劇を観る」という意味だが、映画を観たりコンサートに行ったりすることに対する同様の言い方はないので、劇というものの歴史を感じさせる言葉である。
劇というのは、舞台と言い換えることもできるだろう。あるいはお芝居や演劇と言ってもいいかもしれない。そこには能や歌舞伎といった伝統芸能から、ミュージカルや宝塚、あるいは小劇団の野外演劇まで、幅広い内容が含まれる。
そういえば劇を上演する場所にも「劇場」という特別な言葉が与えられており、映画館やコンサートホールといった言い方よりもドラマチックな感じがする。まあ、劇=ドラマなのだから当然なのだが。

子供の頃は、子供向けミュージカルやオペラやバレエなどを、親に連れられてよく観に行った。
自分からどうしても観たいと言ってチケットを取ってもらったのは、中学生当時大ブームを巻き起こしていた『ベルサイユのばら』の宝塚公演である。初演の時から東京宝塚劇場に通い詰め、組違い・演目違いで何回観たことだろう。学校の昼休みに、仲の良かった宝塚好きの同級生と、パンフレットと一緒に販売されていた脚本の読み合わせをしていた程だから、如何にはまっていたかよくわかる。
高校生になると、前にも書いたように玉三郎に夢中になり、歌舞伎や新劇に足繁く通うようになった。

この頃一番印象的だった観劇は、PARCO劇場で上映された森茉莉原作・美輪明宏演出の『枯れ葉の寝床』である。
原作が好きだったので、どんな風に舞台化されるのかとても楽しみで、一緒に同人誌を作っていた耽美好きの友人と、わくわくしながら出かけた。お芝居自体は楽しめたのだが、美輪明宏が考えるところの「美少年」と私がイメージする「美少年」の間の果てしない隔たりに、なかなかのショックを受けたものである。ちなみに聞くところによると、原作者の森茉莉は初日に豪華なドレスを着て観に訪れたが、あまりのイメージの違いに怒って帰ってしまったそうだ。気持ちはわかる。
終演後の余韻に浸ってなんとなく去り難かった友人と私は、渋谷パルコ1Fにあったガラス張りのカフェで歓談する美輪明宏の姿を、遠くから眺めながら語り合い、終電の銀座線で帰宅して午前様になってこっぴどく怒られたものであった。

独身時代最後に今は無き日本青年館で観たのが、劇団夢の遊民社の『贋作・桜の森の満開の下』だ。
野田秀樹の最高傑作と名高いこの戯曲は、坂口安吾の短編「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きに創作者のルサンチマンと業を描き、大変素晴らしい舞台であった。
最後近くの場面で、主演の野田秀樹が梯子の高い位置から転落したのがてっきり演出かと思ったら、あとでそれはアクシデントであり野田秀樹は腎臓の位置を強打して血尿が出たということを知って驚いたのが、鮮烈な記憶となって残っている。

信州大学のある松本は演劇が盛んな場所で、対人口比でみると全国の地方都市の中で1位2位を争うほど劇団が多いそうだ。年に一度「まつもと演劇祭」という全国最大規模の地域演劇の祭典も開催されている。
また市内にある「まつもと市民芸術館」は、串田和美を芸術監督に迎えているためだろう、東京でしか上演されない演劇もここでは観られることが多い。東京よりかえってチケットが取りやすいと、人気のある劇団が来る際には遠征してくるファンもいるとのこと。
ここで観た中では、大竹しのぶと堺雅人が共演した『喪服の似合うエレクトラ』がダントツで凄かった。ユージン・オニールのこの戯曲はギリシャ神話を土台にしているのだが、その膨大なセリフは主演の二人に至っては文庫本1冊分くらいずつあるのではという量であり、それを一度も噛むことなく何時間も演じ続ける役者につくづく驚嘆した。なかなかに観る側にも緊張を強いる凄まじい舞台であったので終演後ぐったりしたが、役者は当然それ以上のエネルギーを使うわけで、凄いものだと感心したものである。
とにかく目の前で生身の役者が演じるのをリアルタイムで観るという経験は、なにものにも代えがたい。

観劇という特別な言葉に見合うように、行くからにはやはりそれなりのお洒落をして出かけたい。
誰かに見せるためではなく、特別な経験をする自分のために。


登場した戯曲:「喪服の似合うエレクトラ」
→実はこのタイトル、往年の少女漫画・西谷祥子作の「喪服のにあうエレクトラ」で知ったのだった。内容は全く異なるが。
今回のBGM:「情熱CD」by 鶴
→私の3大桜ソングの中の1曲である「桜」。喪失ということばがこれほど沁みる曲もない。安吾の桜の森を思い浮かべて聴くと尚のこと。

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