222回 Shall we dance?


社交ダンスを習ったことがある。
とはいえそんなたいしたことではなく、大学の部活で1年程やったという程度だ。いまとなってはなぜ社交ダンス部に入ろうと思ったのか、きれいさっぱり忘れているのだが、スポーツや運動といったものに縁のない私にとっては、少しかじっただけでも良い経験だったと思う。

そう、社交ダンスはれっきとしたスポーツなのだ。
特に大学の社交ダンス部は、競技として競う方向に特化しているようで、大学対抗の大会も開催されている。私が入学したひとつめの大学である東京理科大学でも、現在は「舞踏研究部」という名前で、競技ダンスとして技術や芸術要素を競うスポーツを行う部活として活動しているらしい。
そういう意味では、競技ダンスとしての社交ダンスは、板の間で行うフィギュアスケートみたいなものと言えよう。競技大会でしのぎをけずる様子を見ると、優雅に踊っているように見えてもかなりハードな訓練を要することがわかる。

私が入部した頃はそんなアグレッシブな様子ではなく、かなりゆるい雰囲気だった。と言っても練習は基礎から訓練を行うので、普段使わない体の筋肉があちこち悲鳴を上げた。
社交ダンスは、スタンダードと呼ばれる5種目をまずマスターする必要がある。スタンダードとは、誰もがまず思い浮かべるであろうワルツ、そしてタンゴ、それにスローフォックストロットとクイックステップ、そしてヴェニーズワルツ(ウィンナワルツ)の5種目だ。
最初はワルツからステップを学ぶ。ステップだけならそれほど難しいものではないのだが、それを美しく滑らかに、そして優雅にダイナミックに動くためには、強靭な筋力が必要となる。

入部してまず指導されたのは、立っているときはできるだけ爪先立ちをしているように、ということだった。普段ヒールの靴など履かない大学生にとって、これはなかなかの苦行である。如何に自分が意識して重心を保っていないか、よくわかった。まず爪先立ちができないのだ。
足が攣りそうになりながら爪先立ちを続け、一人でステップの練習をする。次の段階は相手と組んで動く練習だ。社交ダンスは一人で踊るものではない。必ずペア(通常は男女だが別にこだわらなくても良いと思う)になって、踊る。男性(役)が女性(役)を支えてエスコートしながら踊るスタイルである。男性(役・以下省略)は相手の体に添えた手の力の入れ加減で、阿吽の呼吸で動く方向を示唆したりするのだ。
これはまさに非言語的コミュニケーションそのものではないか。

思えばダンス自体が、非言語的コミュニケーション手段の最もたるものなのである。
文明が興る遥か昔から、世界中のあらゆる場所で、人々は折に触れて踊ってきた。雨乞いなどの宗教的意味合いを含むものから、求愛の手段、娯楽や芸術。身体というハードウェアがある以上、それを動かすことは必然の欲求だったに違いない。
記録に残る最古のダンスは、お馴染み古代エジプトで8000年以上前の壁画に残されている。王のために宮廷で踊る女性たちの姿が描かれており、これが現在のベリーダンスにつながると言われている。
ハワイのフラダンスも1000年以上の歴史を持つが、こちらは神や自然に捧げる神聖な踊りである。文字を持たなかったハワイの民族は、手の動きなどを使って言葉を織りなし物語を紡ぐ。
日本のダンスの起源といえば、これはもはや神話的になる。天岩戸に籠った天照大神を岩戸の前で天鈿女命(アメノウズメノミコト)が踊ったという、ご存じの話だ。

社交ダンス自体は、12世紀ルネサンス時代のヨーロッパで民衆が踊っていたヴェニーズワルツを宮廷に取り入れたのが起源とされている。当時は全員が輪になって踊るラウンドダンスが主流だったが、18世紀後半から男女が向かい合って踊るスタイルが徐々に浸透していったとのこと。
社交ダンスという言葉自体は、「sociality dancing」の誤訳だそうだ。日本では「Social Dance(ソーシャルダンスまたはソシアルダンス)」と呼ばれて、それがそのまま「社交ダンス」になったわけだが、英語では「Ballroom Dance」と呼ぶのが一般的。
日本で最初の社交ダンスは、明治時代に鹿鳴館で踊られた。時を経て第二次世界大戦後、進駐軍向けのダンスホールが多く開館し、やがて庶民にもダンスパーティーが流行した。
大学の社交ダンス部にいた時に、一度だけ「ダンパ」と呼ばれた他校主催のダンスパーティーに行ったことがあった。まだろくに踊れもしないくせに、某大学の男性に声をかけられ張り切って踊ったことを覚えている。思えばダンパというのは一種合コン的な意味合いもあったのだろう。帰り際にその男性から電話番号を渡されたが、全くその気がなかった私はその番号にかけることはなかったし、ダンパに参加したのもその一回きりだった。

先輩に連れていってもらった靴屋さんで、ダンスシューズまでオーダーしてあつらえたが、結局タンゴをかじったあたりで挫折してしまった。
大学の実習が大変だったとか、通学時間が長かったので部活の時間が取れなかったとか、いろいろ言い訳はあるのだが、結局はスポーツに向いていなかったのだと思う。
うっかり踊ったら転倒骨折しかねない歳なのでもう踊ることもないと思うが、たまに爪先立ちをすると「もっと肩の力を抜いて」と指導されたことを思い出す。
先輩、あの時は言えませんでしたが、いかり肩なので力を入れないとこれ以上下がらないんです。


登場した場所:ダンスホール
→かつて沢山あったダンスホールもいまや絶滅危惧種となった。東京に1軒だけ残る鶯谷の「ダンスホール新世紀」は半世紀以上の歴史を持つ。生バンドをバックに踊る気分は格別だろう。同じ建物にある「東京キネマ倶楽部」はライヴにも利用されることが多いが、もとグランドキャバレーだったという内装は大正時代のダンスホールをイメージしたものだという。因みに今はダンスホールではなくボールルームと呼ばれることが多いのだとか。
今回のBGM:「Dancing Queen」by ABBA
→史上最高のディスコミュージックと言われる大ヒット曲。当時ディスコで踊りまくった人は多いのではないか。ABBAは2021年に40年ぶりの新作アルバム「Voyage」を発表、いまだ健在である。


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