第239回 May I help you?


前回歩けなくなった話を書いたが、その時いくつか気付いたことがあった。
その話を書こうと思う。

職場の病院は、通常1階下の職員玄関から入って、階段を登り医局に向かう。なんとか杖をついて歩けていた頃はまだ良かったが、本当に一歩歩くのも激痛だった時は、患者さん用の車椅子を使わせてもらった。
医局と同じ階の正面玄関から入って、車椅子でスタッフに医局まで連れて行ってもらうのだ。医局から自分の担当病棟まではまた1階登らなければならないので、杖に頼り足を引き摺りながら通った。患者さんの診察にもいちいち病室まで出向けないので、ナースステーションまで来てもらって診ていた程だ。
とにかく気軽にさっと立ち上がって歩けないのがこれほど不便だとはと、痛みとは別に難渋したことだった。

その頃上京する用事が結構あったのだが、いつ歩けなくなるかと怯えながら高速バスに乗り込む。
女性専用席で隣り合った同世代か少し上くらいの女性が、私がなかなか立ち上がれないで杖を使っているのを見て、目を輝かせながらご自分の股関節症の手術について語ってくれた。「あなた、早く手術した方がいいわよ、楽になるわよー」とさかんに勧めてくれたのだが、実際問題私の場合は股関節症ではないので、その場はお茶を濁すほかなかった。
さっと立ち上がるという動作が、如何に無意識に身体を使って行われていたか、そのどこかが上手く働かなくても立ち上がれないのだと、二足歩行の奥深さについて考えたかというと、痛みでそれどころではない。

東京はまたどこにいくにもかなりの距離を歩く。
地方はその点近場でもクルマを使ってしまうので、意外と歩かないのだ。
電車の乗り換え、駅から目的地までの距離、エスカレーターがあればまだましだが、エレベーターは遠く不便なところにある。足の不自由な人にとって、まだまだ優しくない都市である。
山手線で座って、新宿駅で降りようと立ち上がった途端、激痛が走る。手すりと杖にすがりなんとかホームに降りたが、痛みでそこから動けない。混雑するホームで、乗り降りする人々の邪魔になっていることは重々承知だが、歩けないのだから仕方ない。
息が止まるほどの痛みをなんとかやり過ごし、恐る恐る足を引き摺りながら歩き出してふと周りを見ると、杖を使っている人が結構いることに気付く。それまで目に入ってはいても見てはいなかった存在だったのだと、自分がその立場になってみてはじめてわかった。
杖を使う以上その人たちは歩くことに不自由なわけで、早くは歩けない。ぶつからないまでも、いかにも邪魔だと言わんばかりに足早に追い抜いていく人もいれば、そっと気遣うように速度を緩めて追い越す人もいる。
これまで自分はどうしていただろうか。なにもなければわからなかったことだった。

帰りの高速バスの待ち時間に入ったバスタ新宿の飲食店でも、いざ立とうとしたらあまりの激痛で動けなくなってしまった。
何度も姿勢を変えたり杖に体重をかけたりもしたが、このときはもう本当に一歩も歩けず往生した。バスの時間は迫ってくるが、歩けない。
私の様子をみて心配した店員が、「車椅子を手配しましょうか?」と声をかけてくれた。もうどうしようもなくなっていたので、お願いしますと答えたのだが、さすが駅ビル、ある種公共施設みたいなものなのか、すぐに警備員が車椅子を持ってきてくれた。
みっともないとか情けないとか思うよりも、バスの時間の方が気になっていたので、なんとか車椅子に移乗してそのまま乗り場まで押して連れて行ってもらった。
職場で車椅子に乗った時は、せいぜい何十メートルの距離を病院の中で乗っただけだったが、この時は周りに沢山人が歩き回っている中でかなりの距離を乗ったので、衝撃的な体験だった。
まず視線が低い。他人の腰の辺りの位置をそれなりの速度で他動的に動かされるのは、かなり怖かった。ちょっとした段差も響いて堪える。車椅子自体大きさがあるので、人混みの中を通る際には声をかけながらかき分けなければならない。
車椅子ユーザーのご苦労が身に沁みた。

障害(「障がい」などという欺瞞的な書き方はしない)というのは、「ものごとの達成や進行の妨げとなることやもの」という意味である。
障害者と呼ばれる人にとって、本来「障害」であるのは周囲の環境であり、本人の身体ではないのだ。歩ける人にとってわずかな段差は何も問題がなくても、車椅子ユーザーや杖をついた高齢者にとっては、超えられない「障害」となる。
もちろん足だけではない。眼も耳も手も、身体でなくても、表に現れていなくても、何かその人にとって障害になるものやことがあれば、それを少しでも楽に越えられるような工夫を、周囲の人や環境が整えられればと思う。
ヘルプマークが周知されることも大事だが、そのような目印がなくても想像してみよう。
延いてはそういう社会こそ、誰にとっても生活がしやすいものとなるだろうから。


登場した道具:杖
→色や柄など結構豊富。どうしても歩けなくなった時に、杖があって助かった。今でも遠出をする時はお守りのように、必ず折りたたみ式の杖を持っていく。
今回のBGM:「METEO」by 浅井健一&THE INTERCHANGE KILLS
→リード曲「細い杖」。25年前の彼のように声をかけられるだろうか。

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