248回 心頭滅却すれば火もまた涼し


猛暑である。
最高気温が25℃以上の日を「夏日なんだって!」と驚いていた、ほのぼのとした昔が懐かしい。いつも間にかそれでは間に合わなくなったため、30℃以上を「真夏日」と言うようになり、今では35℃以上の「猛暑日」も当たり前になった。
最近は最高気温がもう40℃にならんとしているので、40℃以上の日を気象庁がなんと命名するのか、楽しみである。

半世紀以上前の東京下町では、30℃を超えると今日はとても暑いねと言い合っていた。
気象庁のデータによると、1971年8月の東京の最高気温は、意外と34℃とかにもなっている。しかし月毎の平均気温を見ると、7月は29.5℃、8月は30.6℃と、30℃前後の日が多かったことがわかる。そしてどちらも湿度が70%台なので、実際かなり過ごしやすかったのだ。
当時はもちろんエアコンなどと言うものは存在しない。扇風機でもなんとか凌げる程度であった。夜になれば夕涼みと称して、湯上がりやアッパッパというようなラフな格好で外に出て、うちわで扇ぎながら煮出した麦茶(もちろんペットボトルはまだ登場していない)を飲む。
時は流れて2015年くらいから気温が上がってくるが、なんと言っても湿度の平均が80%を超えるようになってしまった。2020年7月の湿度はなんと89%だ。
もう東京は亜熱帯と言ってもいいかもしれない。

初期には空気調整機と呼ばれたルームエアコンは、1952年には量産が始まっていたが、当時はまだ高価だったので、本格的に普及し始めたのは1965年以降とのこと。
1958年に冷房のみのものを「ルームクーラー」と呼ぶように名称が統一された。1960年には冷房と暖房の切り替えができるヒートポンプ式のエアコンが発売されたため、「ルームエアコン」と名称を変更、JIS規格も制定された。
その後は省電力型、マイコン制御、インバーターと進化してきたエアコンだが、その原理というものは基本的に変わっていない。変わったのは使い勝手や各種仕様など便利な機能だけで、その根本的な、なぜ冷えたり温めたりできるのかという原理は同じなのだ。
その原理とは、学校の化学で習った気体と液体の性質に由来する。

液体が気体に変わる時、周囲の物体から熱を吸収する。これを「蒸発」と言う。このとき蒸発温度が低く、且つ圧力が低いほど熱の吸収は大きい。気体が液体に変わる時には、今度は熱を放出する。これは「凝縮」と言う。
「冷媒ガス」という物質を介してこの気体と液体の性質を利用したのが、エアコンである。
冷媒ガスはエアコンの室内機と室外機を結ぶ冷媒配管の中を循環している。冷房では、室外機の中の減圧器で低温の液体となった冷媒ガスが室内機に運ばれて、熱交換器を冷やす。室内機に吸い込まれた部屋の空気は、冷やされた熱交換器に熱を奪われて冷たくなり、その冷たい空気はファンによって部屋に放出されるので、冷たい風が出てくると感じるのだ。
室内の熱を吸収して気体になった冷媒ガスは、室外機に戻り圧縮器で高温の気体となる。そして室外機の熱交換器を通過する際にファンによって冷却され液体となるが、その際に出た熱が温風となって室外に放たれ排熱が起こる。
暖房の場合はこれの反対の現象になるわけだが、その場合室外機は外気の熱を吸収するため、外気温が低ければ低いほどその効率は悪くなる。
当初冷媒ガスには指定フロンR22が使われていたが、オゾン層を破壊して温暖化を加速させることがわかり、現在は代替フロンであるR410AかR32が使われている。
兎にも角にも熱エネルギーはどこかに行くわけではない。冷房では室内の熱が室外に出るだけなので、結果的に室外が暑くなる。東京に存在するエアコンが多くなれば多くなるほど、外の気温は高くなって然るべきなのだ。
おまけに今のエアコンには除湿(ドライ)機能は必須である。除湿というのも、室内の水分を室外に出していることになるので、外の湿度は高くなる。

エアコンは都市のヒートアイランド現象の原因のひとつだ。
ヒートアイランド現象とは、「都市がなかったと仮定した場合に観測されるであろう気温に比べ、都市の気温が高い状態」のことである。気温の分布図を描くと、高温域が都市の中心部を中心に同心円を描き、まるで島のような形状に分布することから、このように呼ばれるようになった。
都市化に伴ってこのヒートアイランド現象は深刻化しており、東京では都市がなかった場合より10℃以上高い状態が続いている。もちろんこれはエアコンだけの問題ではなく、人間活動の集中や高層ビルの林立、地面のアスファルトなど多くの要因が関係している。アスファルトは熱を溜め込む性質があるため、土の地面に対して熱くなる。夏のアスファルトの表面は60℃近くにもなるという。
ヒートアイランド現象は局所的なものだが、地球温暖化と相まって、この100年間で東京の平均気温は3℃も上昇しているそうだ。
いまや東京ではエアコン無しでは熱中症必発となってしまった。

実は我が家にはエアコンはない。今年はまだ扇風機も出していない。やっとうちわを出した。
いま住んでいる安曇野も、夏の日中は35℃とかにまで上がる。ただ標高が高いため、夜は一気に気温が下がり涼しくなる。別荘に来た高齢者が、夜に窓を開けたまま寝て肺炎になり救急車で運ばれたと聞いた。
安曇野でも開けたところはかんかん照りで暑いが、くぬぎ林の木陰に守られた我が家の周囲は2℃ほど低くなり、また家の中も密閉度が高いので熱気があまり入らない。外がいくら暑くなっても、26~27℃くらいにとどまっている。なのでエアコンなしで過ごせるのだ。
そして私自身冷房が極端に苦手なので、暑い暑いと言いながらでもこれくらいの気温なら何もしなくても問題ない。かえって職場の病院のエアコンで具合が悪くなる程である。
とはいえこれ以上気温が上がれば、そうも言っていられなくなるだろう。
30年前には殆どの家にエアコンがなかった安曇野でも、いまではない方が珍しくなってしまった。
いつまでエアコン無しでいられるかわからないが、願わくばこのまま木陰の恩恵に預かって、夏は扇風機とうちわで過ごしたいと思う。


登場した家電:エアコン
→本来は人間のために開発されたものではなかった。1902年ニューヨーク州ブルックリンの印刷所で、暑さと湿度で印刷物が駄目になってしまうのを防ぐための方法を、発明家のウィリス・キャリアに相談。彼が発明した温度27℃・湿度55%に保つ機械が、エアコンの始まりである。
今回のBGM:「Pinnapple」by 松田聖子
→松田聖子5枚目のオリジナル・アルバムで、大瀧詠一「Long Vacation」と共に、世界初のCDとして発売された。その中の「パイナップル・アイランド」は、作詞・松本隆、作曲・原田真二。温暖化による海面上昇と紫外線増加の影響で、ここに描かれる牧歌的な風景はもはや幻想となってしまった。


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