255回 Eyes Wide Shut


このところクルマの運転をする必要に迫られて、久しぶりにメガネをかける機会が多くなった。
視力は悪くない。近眼も老眼もほぼない。なので普段は裸眼で全く問題なく生活している。ただ仕事でもプライベートでも液晶画面を見る時間がとても長いため、眼精疲労が激しい。そのせいか、毎年職場の健康診断で視力検査をするたびに、数値が上がったり下がったりしている。段々視力が落ちるわけではなく、1.2/1.0だった翌年に0.9/0.7になったり、その次に年には1.0/0.6になったりと安定しないのだ。ただ総じて右眼の視力より左眼の視力の方が弱く、その差が結構あるため、両眼視する際に距離感が掴みにくい感じがある。
運転の時にはこの距離感が大事なので、なるだけ補正されるように以前作ったメガネをかけることにしているのである。

視力が良いのになぜメガネを持っているのかと言うと、そもそもは視力が落ちていたフェーズの時、ライヴに行った際に少しでも観やすいようにと思ったような気がする。その後また視力が回復したため、メガネをかけなくてもよくなり、しばらくご無沙汰していたのだ。
それと同時に、ファッション小物としてのメガネに憧れていたという理由もあったかもしれない。メガネをかけると、かなり顔の印象が変わることは確かだ。一昔前は「メガネをとったほうが可愛いよ」みたいな馬鹿げた常套句もあったが、今ではメガネ好きも多い上、だいいち他人にとやかく言われるようなことではない。メガネにするかコンタクトにするかはその人の自由だし、場面に応じて使い分けている人が殆どだろう。伊達メガネ(という言葉もあるのだ)として愛用している人だっている。
コンタクトは苦手だが裸眼では見えないという人にとっては、メガネは朝目が覚めてから夜寝るまでの間、自分の身体の一部と言ってもいい。

メガネの歴史はレンズの歴史でもある。
現存する最古のレンズは、紀元前700年頃のニネヴェ(アッシリアの都、現在のイラク北方)のものとされる。水晶を研磨して作られた平凸レンズで、太陽の熱を集めるためのものであった。紀元1世紀頃のローマの皇帝ネロは、剣闘士の戦いを観戦するためにエメラルドのレンズを用いたと言われている。これは眩しさを避けるためだそうなので、つまりサングラスの起源と言えよう。
11世紀初頭、アラビアの数学者・物理学者・天文学者であり「近代光学の父」と言われたアルハーゼン(イブン・アル=ハイサム)が、カットされた光学レンズによって視力が矯正されることを書き記した。13世紀になると、イギリスの哲学者ロジャー・ベーコンが、凸レンズを使うと文字が大きく見えると著書の中で述べた。そしてその後20年余り経つと、各地でメガネの原型の開発が盛んになる。イタリアのヴェネチア地方は優れたヴェネチアングラスの産地であったため、レンズの製造技術もここで発達した。
ドイツの修道士が用いた「リーディングストーン」は、石英か水晶でできた半球型の平凸レンズで、直接本の上に置いて使うものだった。今で言うところのルーペに近い。当時一般民衆の間では、「目が見えなくなることも神の試練」として、それを矯正するようなレンズは「悪魔の道具」とされていたという。そもそも本を読むと言うこと自体エリート階級にしかできないことだったが、神に仕える修道士に「悪魔の道具」が使われていたと言うのが面白い。

最初のメガネは、単眼レンズであった。それが双眼になっても尚メガネは手で持つタイプのみで、300年もの間、耳を用いて顔に固定されることはなかったのである。
メガネが一般大衆にも使われるようになったのは、印刷技術が発明され本が出版されるようになり、教育が普及し始めた頃からである。15世紀末には行商人が他の商品と一緒に廉価のメガネを売っていたそうだが、その頃のメガネはまだ拡大鏡としての凸レンズのものだけであった。近眼用の凹レンズの登場は、16世紀を待つことになる。
16世紀になるとやっと、紐を輪っかにして耳にかけた「スパニッシュイタリアン型」と呼ばれる耳にかけるタイプのメガネが登場する。このタイプのメガネは宣教師によって中国に伝えられ、その後200年にわたって使われたという。
日本にメガネが渡来したのは、かの有名なイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、1551年に周防(今の山口県)の大名である大内義隆に献上したものが最初と言われている。残念ながらこれは現存していないが、徳川家康が愛用していたメガネが、静岡県にある久能山東照宮に保存されている。
さて、日本人は顔が平たい族だ。西洋人は彫りが深く眼窩が落ち窪んでいるので、スパニッシュイタリアン型のメガネをかけても、レンズはまつ毛に触れない。しかし顔面の立体感が少ない我々がそれをかけると、レンズが顔にくっ付いてしまい、いささか不便なことになる。
そこで登場するのが、鼻当てである。鼻当ては日本の発明と言われている。今ではどのメガネにも付いている鼻当てだが、発明してくれて良かったと言わざるを得ない。もしなければ安心して瞬きもできやしないのだから。

日本でも17世紀になると、長崎でメガネが作られるようになる。当時は象牙や鼈甲など高価なものが多かったようだ。
時代は下って1905年。「国産メガネの祖」と呼ばれる増永五左衛門が、冬は雪に閉ざされ産業がなく農業だけであった地元の暮らしを向上させるため、大阪からメガネ職人を招き農家の副業としてメガネ作りを広めた。これが今メガネフレームの日本シェア96%・世界シェア20%を誇る福井県鯖江市のメガネ産業の始まりである。鯖江市は、1981年に軽くて丈夫なチタンフレームの開発・生産にも成功している。
レンズもかつて牛乳瓶と呼ばれた厚くて重いガラス製のレンズから、今やプラスチック製の高屈折率で薄い多焦点レンズへと進化を遂げた。

メガネの発達は、近視・遠視・老眼の人たちに多大な恩恵をもたらした。
と同時に、ファッションとしてもコーディネートの可能性を大いに広げたと言えよう。
実用性とお洒落の両方を叶えてくれるメガネ。
また新調したくなっちゃったな。


登場した人物:フランシスコ・ザビエル
→46歳で中国に渡る直前に病没し、遺体はインドのゴアの教会に運ばれ安置された。ただしその後彼の遺体は聖遺物として、右前腕から先は切断(死後50年以上経っているのに鮮血が吹き出したことから奇跡と認定)されてローマの教会へ、右上腕はマカオ、耳はリスボン、歯はポルト、そして日本にも東京のカトリック神田教会など何ヶ所かに身体の一部があるというのだから、驚く。それは遺体損壊ではないのか、いいのかそんなにバラバラにしちゃって。
今回のBGM:「月光蟲」by 筋肉少女帯
→2曲目の「少年、グリグリメガネを拾う」。そう、「ネコのなかは薔薇」なんですよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?