第112回 蜘蛛女のキス


この頃女郎蜘蛛を見ない。
以前はよく家の外にそれは見事な巣を張っていた。
真ん中に陣取った主は、脚を含めて10センチ以上はあろうかという大きさでなかなかの迫力であった。日に透かした蜘蛛の糸は金色にきらきらと輝き、張り巡らされた図形の美しさに見とれたものだった。
毎年1メートルに及ぶ巨大な蜘蛛の巣を見るのが楽しみだったのだが、ここ数年はさっぱり見かけない。小さな蜘蛛は沢山目にするが、立派な女郎蜘蛛はどこへいってしまったのか。残念である。

ご存知の通り蜘蛛は昆虫ではないが、昆虫と同様厄介者扱いされていると言っていいだろう。いや、もしかしたら虫よりも酷い扱いかもしれない。
蝶々やバッタは平気だとしても、蜘蛛だけは嫌という人は結構多いのではないか。なんといっても「アラクノフォビア=蜘蛛恐怖症」という症状があるくらいである。これは医学的な正式名称ではないが、ある特定のものに対する恐怖感からパニック発作を起こす不安障害の一種で、その対象が蜘蛛や蜘蛛の糸である場合を指す。
かのスティーブン・スピルバーグ総指揮で『アラクノフォビア』という映画が作られているが、この映画は蜘蛛恐怖症の主人公の医師が、毒蜘蛛と戦う動物パニック映画(というジャンルがある)である。
毒蜘蛛というとタランチュラのような大型の蜘蛛を想像することが多いが、実際は殆ど全ての蜘蛛が毒腺を持っていて、獲物の昆虫などを捕食する。人間に害を成すほどの毒を持つ種類はごく少数だが、何度も噛まれればアナフィラキシー・ショックを起こす可能性はある。
とはいえ外見や肉食性という性質とは異なり、蜘蛛は基本的に臆病な生き物だ。自分より遥かに大きい人間に対しては、近付けば逃げるのが普通である。蜘蛛が逃げる前に人間の方が叫び声をあげて逃げることの方が多いかもしれないが。

蜘蛛は、節足動物門鋏角亜門クモガタ綱クモ目に属する。節足動物なので「虫」ではあるのだが、昆虫ではない。
何が違うのかというと、昆虫の脚が6本(3対)であるのに対し蜘蛛の脚は8本(4対)であること、昆虫の体が頭部胸部腹部の3部であるが蜘蛛は頭胸部と腹部の2部であること、蜘蛛には触角がないことなどが挙げられる。
捕食者である蜘蛛の脳は体に比してとても大きい。幼虫では中枢神経系が体の8割を占めるなどという、信じがたい比率である。
全ての蜘蛛は糸を出すことができるが、巣を張るものばかりではない。半数は徘徊性といって、巣を張らないで獲物を獲る。人家でよく見かけるハエトリグモは巣を作らない種類である。前脚を持ち上げて構える姿は、なんとなく愛嬌があって可愛い。
江戸時代にはこのハエトリグモを「座敷鷹」と呼んで、ハエを捕らせる遊びが流行したそうである。強い蜘蛛は高価で取引されたり、蜘蛛を飼うための豪華な容器まで作られたとのこと。なんとまあ江戸時代というのは、贅沢で余裕のある時代であったことよ。

蜘蛛は嫌われるばかりではなく、その秀でた能力をモチーフにスパイダーマンというヒーローも生み出した。
自在に糸を操り犯罪と戦うこのマーベルが生み出した孤独なヒーローは、悩めるティーンエージャーであることが特徴であり、その弱さや成長の過程が共感を得て半世紀以上の間人気を博している。
また強靭さで知られる蜘蛛の糸をなんとか利用できないかと、人工的に作る試みも行われてきた。
山形市のベンチャー企業が、微生物の遺伝子組換え技術で蜘蛛の糸のタンパク質を合成して話題になったが、その繊維はそのままではアパレル商品に利用することは不可能だったとのこと。乾燥した状態では蜘蛛の糸は強靭だが、濡れると収縮してゴムのようになってしまうからだそうだ。
現在その企業は蜘蛛の糸から更に進化したタンパク質素材の繊維の開発を行ない、脱プラスティックに向けているという。

蜘蛛は他の虫を捕ってくれる益虫だから、などという事実は蜘蛛嫌いの人にはなんの役にも立たないだろう。蜘蛛女という言葉があるように、蜘蛛はどう猛な悪女のイメージが強く、到底少女とは縁がないように思える。
しかしちょっと頭を傾げてつぶらな瞳で見つめられると(目は8つあるが)、なんだか可愛く思えるし、なかには毛が生えてむくむくしたぬいぐるみのような蜘蛛もいる。
ゴシックなモチーフには欠かせない蜘蛛、もっと愛されていいのではと思うのは私だけだろうか。


登場した映画ジャンル:動物パニック映画(アニパニというらしい)
→なんといってもスピルバーグが『ジョーズ』でこのジャンルの先鞭を取った。なんでも襲ってくればいいというものではないがいまだにサメ映画は絶大な人気を誇っている。ちなみに3大動物は、サメ、ヘビ、ワニだそうだ。
今回のBGM:「レティクル座妄想」by 筋肉少女帯
→「蜘蛛の糸」の歌詞は切ない。


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