第155回 封印を解く


ひとは何故シールを貼りたがるのか。

幼い頃、冷蔵庫や箪笥にシールをぺたぺた貼って、怒られた経験はないだろうか。きれいに剥がせなくて跡が残り、どことなく物悲しい気持ちになったこととか。
いまでも実家に子供の頃貼ったシールが色褪せて残っているという人も多いだろう。

小学生の時、学校でシールの収集が流行した。
シールを持ち寄って見せ合ったり交換したり、ブームは徐々に加熱の一途を辿ったため、ついには学校へのシールの持ち込みが禁止されるまでに至った。もちろん小学生が持っているシールなどたかが知れており、どれも他愛もないものであったが、当人たちにとっては大切なコレクションである。

それから十数年後の80年代、未曾有のシールブームがこの国を襲う。
そう、ビックリマンチョコのシールである。
名前の通りチョコレートのおまけという食玩と呼ばれるジャンルのものだが、このシールを集めることが大ブームとなったのだ。ああ自分も集めたという記憶がある人も多いと思う。
この段階でシールは単なるコレクションアイテムであるではなく、交換するという行為を通じたコミニュケーションツールという位置を確立したのである。
いまでもこのシールの人気は衰えることなく、コレクターの間で高額で取引されるようなマニアックなものもあるそうだ。

そしてプリクラである。
撮った写真がすぐにシールになる。それがどうしたという話だが、十代を起点に爆発的に流行った。1枚だけではいけないのだ。一度に沢山のシールが印刷されることで、交換することができる。
プリクラを一人で撮るのが趣味という人もいるだろうが、大概の場合何人かで撮る。二人の場合が多いだろうが、最近は大型の写真が撮れる装置もあり、大人数で撮ることもあるだろう。
手帳にびっしりとプリクラを貼るのが武勇伝のような時代もあった。
目を大きくする加工などは、おそらく将来ヤマンバギャルやルーズソックスと同様、青春時代の良い思い出となることだろう。

ここでそもそもシールとは何かについて考えてみる。
シールという言葉自体、ルーツは英語だがれっきとした日本語である。
英語のsealの本来の意味は、封蝋や印鑑に代表されるような文書が本物であることを証明するための印章類を指す。それがアメリカで裏に糊のついた紙片をまとめてシールと呼ぶ用法ができて、戦後日本に伝わったとのこと。
そもそも英語では大きさや材質などによって、steicker、decal、labelなどに分類されているため、ひとくくりにそれらを表す単語はない。

日本でいわゆるシールが初めて作られたのは、1911年のことだそうだ。英国国王ジョージ5世の戴冠式の時に宮内庁が贈り物をする際、菊の御紋章を印刷して封緘したと言われている。その後ドイツからシール印刷機を輸入して、一般的なシール印刷が始まった。ちなみにジョージ5世は切手収集家として有名である(切手もシールの仲間のようなものだ)。
一般的なシールは、表面基材・粘着剤・剥離紙という3つの層でできている。表面基材の材質は、大きく紙系かフィルム系だ。粘着剤はいわゆる糊のことで、永久粘着と再剥離そして再貼付という、読んで字のごとくの性質に分けられる。剥離紙も一般的なクラフトセパレーターと機械で貼る際に使われるグラシンセパレーターというものがある。

SNSの普及と共に2000年前後から、自作シールを作って公開する人が増えたのだという。即売会イベントも開かれているそうで、自作シールは着実にファンを広げている。
当初は二次創作ものが多かった自作シールも、徐々にオリジナルのキャラクタをモデルに作られたものも多くなり、自作シールファン同士で交換するなどのトレード文化となっている。シール自体1枚あたりのコストは安いものなので、気軽に交換できるというのが利点だろう。
今でもシールはコミュニケーションツールとして重要な役割を果たしているのだ。

思えばシールは貼ってしまったら終わりなのだ。
まだ貼られずにいる沢山のシールをうっとり眺めながら、いつか来るその日を待つこの瞬間が楽しい。


登場し(なかっ)た言葉:レッテル
→裏に糊のない札の総称。糊がないので紐をつけて下げたりする。そうすると「レッテルを貼る」という言い方があるが、レッテルは貼れないのではなかろうか。
今回のBGM:「弦楽四重奏曲全集」パウル・ヒンデミット作曲 デンマーク四重奏団
→ヒンデミットは、英国滞在時にジョージ5世の訃報にふれ、追悼のためにその翌日に6時間で「Trauermusik」という葬送音楽を書いた。

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