as it is の白い器
千葉県の小さな美術館 museum as it isは、古道具坂田の故坂田和實、建築家中村好文両氏によって創られました。
妻がこの美術館を知ったのは、当時娘が通っていた学校での父母を対象にした美術セミナーの先生からです。
as it is(ありのまま)という名称がアフリカ、ヨーロッパ、東洋などで普段使われている工芸品の展示によるものと知って、妻は面白そうだとセミナー仲間の2人と出かけて行きました。
美術館の所在地はとても辺鄙な山里にあり、乗り換えも多くて着くまでにかなり時間がかかったそうです。
今回の話は、このmuseum as it isのShopで購入した白い陶器が発端です。
美術館as it is museumで購入した薄手の白い器を妻は愛用していましたが、そのフチのあまりの薄さに不安を感じて、私はなるべく手を出さないようにしていました。
しかし時間が経つにつれ手頃な大きさもあって、時折は私が使用する回数が増えてきました。その結果、私の不注意でフチの一分を欠いてしまったのです。
ガッカリ顔の妻に、私は出来るだけ平静さを装って「同じようなモノがまた手に入るさ」と言いました。
けれどもその後同じようなモノを見つけることが出来ないまま8年余が過ぎ、私たちは東京を離れて静岡市清水の妻の実家に移り住むことになったのです。
ある日のこと静岡市のH家具店に椅子を見に行った時、通りの反対側に少し変わった店があるのが目に入りました。
営業しているのか閉まっているのかよく分からない感じの店でBiscuit Kingと小振りの看板が出ていました。クッキーか何かを売る店らしいのですが扉が開いていません。
店の前でしばらく思案していると、小さな男の子の手を引いた女の人が歩いて来て店の扉に手をかけました。
妻が店は開いているのかを尋ねたところ、男の子を幼稚園に迎えに行っていたと言いながら取り出した鍵で扉を開けました。
入り口の正面に焼いたケーキー類を納めたケースとクッキーの袋があり、左側にはテーブルと椅子が見えますが、テーブルの上には鞄などが置いてあって、あまりキレイとは言い難い。
しかしケーキやクッキーから美味しそうな匂いがして、かなり本格的な様子が見てとれました。私たちは少々空腹でしたので、店内で食べられるかを尋ねたところ、テーブルの上を片付ければ可能との言葉。
「あそこで食べるのか」と、ややタメライはありましたが、お茶も頼めるかを尋ねたところOKということで店に入る決心をしました。
空腹を満たそうと2人揃って大きめのアップルパイと飲み物にダージリンティーを注文。アップルパイがテーブルに置かれて紅茶が出て来るまでは少時の我慢、、、
白いポットと共に出された茶碗は普通の紅茶用カップ&ソーサではなくて、やや厚手の白い器。それを見た瞬間妻は何か感じたという目を私に向け、これらの器の作者を店主に尋ねました。
妻は店主の口にした氏名を手帳に書き込み、本格的なパイと香りの高いダージリンティーを楽しんだ後、しばらく雑談を交わしてからクッキーも買って店を出ました。
帰宅してから妻が以前as it isで買い求めた白い器の作者名を探し出してきて確認したところ、間違いなく同じ名前で喜多村さんと判明しました。
色は同じ白ですが釉薬や陶土の厚さなどは全く違っていて、私には同一人の作とは見えませんでした。しかしひと目でas it isで購入した器と同じ人の作と見抜いた妻の眼に狂いはなかったのです。
かくして10年ぶりに東京を離れた静岡の地で、全く偶然に出会った喜多村さんの器を、再度求めようとの思いが湧き起こったのでした。
喜多村さんの白い陶器に奇跡的?とも言える再会をして以後、静岡市内に出た時には何回かに1度はBiscuit Kingに顔を出して、お茶を飲んだりケーキやクッキーを食べたりするようになりました。
妻は店主の率直な人柄と店内の有りさまや焼き菓子の多くに好感を持ち、そのつど楽しそうに会話を交わしました。
何回目かの時に、どんな経緯で喜多村さんの器を使用しているかを尋ねたところ、思いもかけない言葉が返って来ました。何と喜多村さんは彼女のパートナーだと言うのです。
エッ!とビックリしました。これは、ある意味運命的な出会いなのでは⁈ そう思うほどに、何とかして喜多村さんの陶器、中でも紅茶ポットを入手したいとの思いが強くなりました。
Biscuit Kingの店では取り扱っていないと言うので、どこに行けば入手できるかを店主に聞きましたが、それについて要領を得た返答はありません。
即売の展示会などはないか尋ねましたが、今のところ予定はないとのこと(静岡県内ではということかもしれませんが)でした。
結局、東京元麻布の「さる山」というギャラリーで展示会が行われるとの情報を得たのは、あるセレクトショップの主人からでした。
「どこであろうとも入手可能なら出かける」というパッションの持ち主の妻に、私は半ば強制的に連れ出されました。
私は東京育ちですが、池袋が中心の城北地区が地元であって、JR環状山の手線でほぼ反対側に当たる城南地区は不案内。「ギャラリーさる山」を探し出すのにひと苦労しました。
当時話題を呼んでいた森ビルを背にして対照的な旧路地を探し歩き、ようやく着いたギャラリーは古い建物で、その薄暗い空間に喜多村さんの白い陶器が並べられていました。
私達は小声で幾つかのポットを見比べ、気に入った1つを選び出し茶碗も2つ買い求めました。茶碗には金継ぎを施された物が2〜3ありましたが、価格が倍以上するので見送りました。
ここまでに思いのほか時間がかかり少々疲れたので、他の買い物もそこそこに清水に戻り、当日の戦利品を確認。長年求め続けてきた喜多村さんの器をようやく入手出来たことに深く満足したのです。
ここからは後日談になります。我が家の朝はパン食ですから、購入した茶碗やポットはほぼ毎日の出番。
お気に入りの器での食事は格別、、、、こうしてしばらく親しんでいたのですが、やはり私の粗忽癖は治らず、その後茶碗の1つを壊してしまったのです。
またポットも蓋の端の部分を傷付けてしまうなどもあって、今では磁器や他の陶器を使用するなどして日常生活での出番も少なくなりました。
あれから10年近くの歳月が流れ、Biscuit King の店は長い休業の日を挟んで藤枝市に移り、以後も色々と異動があって目下は営業していません。
ただ休業前のBiscuit Kingで妻は喜多村さんと出会って話しを交わしたそうです。私は偶々その場に居合わせませんでした。
その時喜多村さんはボウルに入った生クリームを泡立てながら「たまには手伝わないとね、、」と言われ、店主は氏の傍らで黙ってニコニコ嬉しそうにしていたと、妻は少し羨ましそうに語りました。
ともあれBiscuit Kingの再開店を、心から待ち望んでいる昨今であります。
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