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去り際の美学

どうもピルクルです。

今日も阪神タイガースが勝ってくれたので気分が良い。
そもそも家にテレビを置かない生活をもう4年くらいしており、自分の欲しい情報だけ取り入れる生活をしています。
阪神タイガースの中継はサブスクで見ています。

テレビ無くてもそんなに不自由ないしこの先も買わないかも知れないなぁ。
もう少し大きい画面で映画とかは見たいと思うけど。


根っからの阪神ファンではあるもの、野球中継そんなに見ることなかったんです。去年までは。

今年は次男が色濃くボクの血を受け継いだせいか、開幕から阪神タイガースをするようになった。
一緒に野球観戦に行くようにもなった。

「僕に子供が出来たら阪神ファンとして育てるよ」

じいちゃん、オヤジ、僕、次男と親子四代、更には五代にわたって阪神ファン一筋の家系というのも少し誇らしい。

なにより阪神タイガースが離れて暮らしている僕と次男を繋いでいる。
いつまで続くかわかんないですけどね。


この時期になると有名選手が引退を表明するのをニュースでよく見ます。


スター選手としてファンや球団、皆に愛されて華やかな引退試合で幕を閉じる。
自分の意思で幕を閉じることが出来る幸せな終わり方。

一方で必要とされて球団に属したものの、予想を下回る実績で戦力外通告を受ける選手、ケガで戦力外通告などの方がはるかに多いのも事実。

これからの将来や家族の事など抱えきれないほどの不安と一緒に社会に放り出される人もいる。


僕はこの時期のひっそりと去っていく選手にすごくシンパシーを感じます。

去り行くもの、負けゆくものこその美しさがある。
脇役の選手の引退ドキュメンタリーなんか見てると知らずに泣いてたりする自分がいます。

絶対に勝つより負ける方が得るものが多いから。

日本人ほど負けや死に美学を追い求める民族もいない。
歴史を遡って見てみてもそれは間違いない。


多くの人が退職の時をもって引退する時期と定義すると、
残念ながら僕はフリーランスなので引退時期が無いんです。

皆さんが年金貰って遊んでいてもおそらく何らかの仕事には就いているだろうし、死ぬまで働くつもりではいます。


自営業を選んだ理由の一つとして、誰かに不要と思われるのが怖かったのもあります。組織から必要とされないと感じる怖さ。
自分がどれだけ貢献したと思っても、そのように判断されない。

社会から逃げたんですよ。
だから社会や組織に属すことが出来なくても仕方ない。


ただ一つありがたいのは自分で幕を下ろせること、死に場所を決められることは非常にありがたい。

世間から忘れ去られるのも良いかも知れないですね。


まあ、でも寂しがりなのでどっかで誰かに忘れてほしくないから死ぬまでに文書を書くんでしょう。







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