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20代の頃には「40歳になる頃には働かなくてもよいくらいお金が貯まってるんじゃないかしら」だなんて根拠のない夢を見ていたものだけど、そんなふんわりした夢が叶うわけもなく、今もしっかり週5日間働いている。

土日は休みだが暇ではない。買い物に行ったり掃除したり子供たちと遊んだり、なんやかんやと忙しい。一日中ゴロゴロしているなど許されることではないのだ。

そんな生活を続けている中でふと考える。「自由」ってなんだったっけ?と。

それは仕事をしなくても良い日であり、一日中ゴロゴロしていても文句を言われない日であり、好きなものを食べて過ごせる日だ。自由とはあらゆる約束事や責任から解放されることだ。

思えば大学生だった頃はそんな自由な日がたくさんあった。

週に3日だけ大学で講義を受け、残りの4日は休み。1日中ゲームしたり、朝までのんだり、関西ウォーカーで紹介されてるカフェやらパークやらに遊びに行ったりしていた。夜中まで遊んで朝方に寝て昼過ぎに起き、さて今日は何をするかとぼんやり考え、思いつかなかったら思いつかなかったで家でゴロゴロする。

なんと自由な日々だったのか。大学生最高だな。

大学生には戻れないけど、大人はそんな風に自由が恋しくなった時は「有休」を取る。有給休暇、それは休みなのに給料までもらえるという最高の日だ。

平日に取る有給休暇は週末の休みとは一味違う。妻は仕事、子供たちは学校へ出かけている。一人だ。ソファで寝転んで1日中ゲームしていても子供たちの教育に悪いと怒られたりしないし、リビングで奇声を上げながら踊りまわっていても頭がおかしくなったと思われたりしない(やらないけど)。

これぞ自由な一日だ。

有休を取り、そんな自由な1日を満喫したら仕事へのやる気も満タン…というわけにもいかずもっと休みたかったと思いながらまた忙しい日常へと戻っていく。

この数年はそんな感じでだいたい月1回くらいのペースで有休を取って勝手にリフレッシュしている。


休みを取るようになったきっかけは痛風だ。あの痛みに泣いて震えた恐怖の夜については別のお話で書いたので詳細は省くが、暴飲暴食がたたって痛風を患い、しばらくの間診察と薬の受け取りのために医者に通うことになった。

1か月ごとに診察を受け「もっと痩せないと治らないよ、ほんとに運動してる?」などと医者に疑われつつ30日分の薬をもらって帰る。まじめにランニングしたり筋トレしたりしているのだけど、まったく体重が減っていないし体のポヨつき具合も変わっていないので全然信じてもらえない。

医者との信頼関係についてはさておき、この月に一度の診察を受けるため、毎月休みを取ることになる。診察は15分くらいで終わり、薬を受け取るまで長くても1時間くらい。10時には家に戻る。

家に戻ってから夕方家族が帰ってくるまでの数時間は完全なる自由時間だ。痛風になったおかげで月に一度の自由時間を手に入れてしまった。

気がついたらうれしくなっちゃって、「この自由な日を1秒たりとも無駄にしてはなるまい」と毎月診察をササっと終わらせて遊びに行くようになった。長距離のサイクリングに出かけてみたり、箕面の山へハイキングに行ってみたり、中華料理屋でランチを食べてみたりしてアクティブに過ごした。

いずれも妻子の好みから外れる行動であり、週末の家族と過ごす休みではなかなかできなかったことだ。サイクリングやハイキングには誰も興味を示さないし、うちの子供たちはなぜか中華料理が子供が食べるものではないと思っている。

初めて目にした中華料理がマーボー豆腐だったのがよくなかったのかもしれない。辛い料理というイメージをつけてしまったか。それとも酢豚の酸味がダメだったか。チンジャオロースーはピーマンが入ってる。春巻き…もピーマンが入ってる。単に我が家の中華メニューが子供向けじゃなかっただけかもしれない。

今後の食卓における中華メニューの組み立てについてはまた妻と相談するとして、そんなこんなで毎月有休を取ってはこれまで貯めこんでいたやりたいことをやり、楽しく過ごした。

有休もまだまだ残っているしこの楽しみはやめられない。通院期間が終わってからも月に1回くらいのペースで休みを取るようになった。


月に1回の休みでも何か月か経つとだいたいやりたかったことはやり尽くす。だからといって「もう満足したしこれからは仕事をがんばるか!」なんて気持ちはやはりというか当然というかまったく湧いてこない。

やることがなくなったらなくなったでぶらぶら散歩してみたり本を読んでみたりゲームしてみたりとのんびりした1日を過ごすようになった。

何ら得るものがない怠惰な1日も、特にやりたいこともないのだからと受け入れてしまえば、最初に薄っすら感じた罪悪感などどこかへ消え失せて気兼ねなく楽しめるようになる。最初の頃の「あれもやりたいこれもやりたい」と言っていた私はどこへ行ったのか、お昼に何を出前で取るか以外何も決めないで過ごす休みにすっかり慣れてしまった。

自由というのは中毒性の高いもので、味わえば味わうほどさらに大きな自由が欲しくなる。せっかく手に入れた月に一度の自由を手放すだなんてとんでもないことだ。

それどころか、特にやることもないくせに月に一度ではだんだん物足りなくなってくる。月2日…いや週1日…いや大学生時代のあの頃のように週4日休める生活を目指したい。

40超えたら週3日働くだけでも十分えらいんじゃない?気づけばそんな気持ちが強くなっている。

図らずも20代の頃にみたふんわりした夢が再び蘇り、上司にどう頼めば週3勤務で許してもらえるかを真剣に考え始めてしまうのだった。

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