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台湾人の色彩感覚と定義の力

台湾で生活していると日本と違うなーって思ったり、ん?なにそれ?という変な感覚になることがあります。

そんな不思議がいっぱいある台湾ですが、今回紹介したいのは「色」についてです。

台湾人と日本人とでは色に関する感覚が違うなと感じているのでそのことについて紹介したいと思います。


台湾人は色の感覚が緩い?

普段台湾で生活してて台湾人の色の区別の仕方に「え?」と思うことがあります。

例えば、ピンクやボルドーも「赤」と一括りにしたり、水色や紺も「青」と言ったりするので、日本人の感覚からしたら全然違うやん!と思ってしまいます。

しかもこれは年齢の問題ではなく、20代の若者でも同じように言っているので一般的な台湾の感覚なのかなと思います。

もちろん、それぞれを言い表す言葉もあると思いますが、日常的に意識して使い分けることは少ないような気がします。

逆に言うと、日本人は普段から細かい色の違いを区別していて、色に対する感覚が鋭いのかなと思います。


言葉が生む感覚の違い

ではどうしてこのような差が生まれたのかを考えた時に「定義出来る言葉がある」というのが大きいのかなと思います。

もちろん台湾でも色の区別に関する言葉は多様だと思いますが、日本語のように細かい違いを言い表す言葉がなかったり、その定義が曖昧だったりすることでこのような差が生じていると思います。

なぜこのように定義が曖昧になるかというと、曖昧になったところで困ることがないからだと思います。同じような現象は日本でも起きてるのではないでしょうか。

例えば雨や風。日本語では数え切れないほどの種類が細かく分けられています。しかし、現代の私たちには的確に言い分けられる人は少なくて大体の分類でしか言い表せられません。

それは過去の日本人からしたら、私たちが台湾人の色の区別に違和感を感じるのと同じくらいのインパクトがあることかもしれません。

そう考えると定義ができるということは実用性がありそれができないと困るということであり、区別ができていないと思うことはできなくても困らないことと言い換えることもできるのではないでしょうか。


言葉の区別を日常で生かす

ではこのような言葉の定義を日常生活で生かすことはできないのでしょうか?

そう考えた時に私は日常生活をより細い言葉で再定義する意義があることを深く痛感しました。

例えばストレスという言葉。現代人は意識することなく自分が感じた不快な思いをストレスという言葉でまとめています。

しかし、ストレスにもいろんなタイプがあり、一言ではまとめることはできません。

そこで自分が不快に思った現象を細かく定義してあげることで「これは嫌だけどこれは許せる」といったように本当に不快に感じていることを探し出し、それ以外のことには耐性ができ余裕が生まれる可能性があります。

これこそまさに「丁寧に生きる」ということを実践していて自分を理解することに繋がるのではないでしょうか。

言葉には力があります。

是非皆さんもその力を生かして、自分の再定義をしてみてはいかがでしょうか。

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