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「あなたがしてくれなくても」から見える自己愛の壁と、克服のヒント

はじめに

現在話題の「あなたがしてくれなくても」が、いよいよ次回で最終回。
第10話で物語がぐっと動き、一旦の結論がついたので、それぞれの人生について、自己愛の観点で感じたことをまとめていきたいと思います。

第10話は正直うおー、そうくる!?と驚きましたが、妙な納得感もありました。
ちなみに個人的には、毎回タイトルの出方が秀逸でお気に入りです笑

※ネットにはさまざまな見解があります。個人的な意見なので、これが正解ではないことだけご容赦ください。


画像はフジテレビTV様から持ってきてます。感謝です。

スーパーバリキャリな楓。
彼女の場合は、「仕事で編集長という夢を叶える」ことに依存していると感じました。
夢や仕事の楽しさは、人生のエネルギー源となるものである一方、依存しすぎると、自己犠牲が生じたり、他者との関係を二の次にしたりする危険があります。また、夢が叶わなかった場合、人生が終わったような気持ちになるかもしれません。つまり、何事もバランスが大切です。
「仕事で夢を叶える自分」は素晴らしいことですが、同時に、仕事で結果を出せなかった自分や、仕事を優先しすぎるがゆえに周りからの助けを見落としてしまう自分、配慮ができなかった自分なども存在します。自分を責めることで、ますます「配慮ができる自分であらなきゃ、家事をやろう、早く帰ろう」という偏った考えに陥ってしまうかもしれません。しかし、本当に大切なのは、家事をやることでも、一緒に過ごす時間を作ることでもなく、心と心の繋がりであり、その上での身体の繋がりであることに気づくことです。過去の過ちを責める必要はありません。むしろ、過去を受け止めることが重要です。自分のことを受け止められる範囲を少しずつ広げていくことが大切です。
受け止められる範囲が広がると、「仕事だけが自分を保つものであり、それが人生の正解である」という偏った考えから脱却できます。人生には必ずしも0か100かのような単純なものではありません。第10話でのまこととの対話において、楓は「誰も悪くないんだよ」という言葉で自分を正当化しました。しかし、もし自分を受け止められる範囲が広がっていたら、楓は、「私はこれからも仕事を頑張りたい。ただ、それが原因で犠牲にしてしまったこともあった。これまでごめんね。」とまことに伝えることができたかもしれません。つまり、自分を受け止めることができたのです。
自分を愛することの幅が狭いと、他者に対する配慮や寛容さも狭くなってしまうことを、楓は教えてくれました。


新名さん

献身的な新名さん。仕事もできて、イケメンで、優しくい人です。
彼の場合は、「相手に尽くす」自分に依存していると感じました。もう少しわかりやすくいうと、「自分を大事にする」ことよりも、「相手に尽くす」の方を優先してしまうということです。一見すると他者貢献的で素晴らしいのですが、バランスがやはり大事で行き過ぎは良くないです。
彼は、母親には献身的になりすぎなくていいよと語りかけながら、自らはかえでに献身的になりすぎてしまうというパラドックスを抱えています。親の影響がでかいなと感じさせられました。

少し脱線しますが、母のお葬式のシーンで父が泣き喚く時に、新名さんが「父さんもうやめなよ」的なことを言って、楓が「まぁいいんじゃない」と寄り添うシーンがありましたね。あれは、「父さん、献身的な母に頼りすぎるののはやめなよ → 父の自立を促す → それによって母ももう少し献身性から解放されたのでは = 自分を大事にできたのではという母への擁護 → つまり自分への擁護」と、楓の「まぁ支えられてたんだから、ちょっとはいいんじゃない → 献身的に支えられている私の正当化」が投影されたやりとりだったなと解釈しています。(ここはかなり過大解釈ですすみません)

話は戻りまして、自分よりも相手を優先しすぎてしまうと、自分のちょっとした気持ちを言えなかったり、要望を伝えられなかったりして、分断がどんどん生まれていきます。「相手を大事にしている自分」というベールを纏った、「自分を大事にできない自分」になるので、いつしか自分が分からなくなり、楓といることそのものが自分を大事にできなくなることにつながってきます。楓という存在は、尽くす自分でいなきゃ、とするスイッチを押す存在だからです。
大事なのは、ちょっとした「寂しいな」「もっと一緒にいたいな」などの一次感情をちゃんと出して、分かち合っていくこと(パートナーシップ理論では、アサーションといわれます)。それを押し殺すからこそ、どんどん自分の中で不満が溜まっていって、取り返しがつかなくなります。
みちの感情表現豊かで、「自分の気持ちも大事にする」という自分にはないものを持っていて、より惹かれたのかもしれません。みちに対しては、一見すると自分の好きという気持ちを大事に行動できていたようにも思いますよね。ただ、実際は「みちの気持ちを大事にする」「それが自分を大事にすることだ」という偏り(=みちへの依存)があり、これがみちとの関係をややこしくさせます。みちにだけはそれができるんだ、みたいな感じです。
第10話の水族館のシーンにて「今まで自分の気持ちを後回しにしてきたけど、あなたへの気持ちだけは大事にしたいから」と発言するのは象徴的なシーンでした。これは尽くす対象が楓からみちへ変わっただけで、依存構造は変わっていないように思えましたね。確かに、楓には自分自身を大事にする0%で、みちに対しては自分自身の「好き」という気持ちを大事にするという意味では100%です。ただこれは限定的で、みちという対象がいるから成り立っていることであり、「対象関係なく自分をまるっと大事にする」ことへの旅路の1歩にすぎません。
ただ、ちゃんと自分の気持ちを大事にして、行動しよう、とみちを通してできたことは、彼の人生にとって成長だったような気がします。だから、一旦振られたこと自体はすごい良かった気がしてます。
他者貢献100%自己愛0%から、自己愛に歩み始める勇気を、新名さんは教えてくれました。


よーちゃん

自分を表現せず、時に素直すぎて相手を傷つけてしまう不器用なよーちゃん。
彼の場合は、自立ができておらず、「かわいい自分」への依存状態だと感じました。
みちを親だと見立てた時に、大きな子ども状態です。ふうふというよりも親子関係であると言った方がわかりやすいかもしれません。

例えば。
「夫婦だから一番俺が気持ちをわかっている」「子ども産むとお世話がなくなるから嫌だ」「みちがいないとダメなんだ」「なんで俺は一緒にいたいのに別れないといけないのか」
などの発言から分かる通り、相手視点には立てず、自分のことしか見えていません。自己中心的な世界線です。
向き合いたくないものからは目を背けがちな逃げ腰のよーちゃん。居心地が悪いと、自分が解放されたくて、相手の気持ちを考えずに発言してしまうよーちゃん。
表層的な発言や行動だけを見ていると、一側面では、不器用な愛情と優しさがあるとも取れますが、もう一側面では常に「かわいい自分」を立脚点にしている印象でした。
彼の愛における課題を考えると、依存から自立へ進化していかないとなかなか誰ともうまくパートナーシップをフラットには構築できない構造です。

そんなよーちゃんが、なんと第10話では、「かわいい自分」を超えるシーンがありました。離婚届を書くシーンです。みちという親離れのシーンともいえますね。大きな一歩を踏み出して、素晴らしかったです。
ただ、「俺と結婚して無駄な時間過ごさせてごめん」と言ったのは、彼の「そんなことないよ」って言ってほしいという弱さが出たシーンです。親なら、言ってくれるはずだから。よーちゃんはまだ自立とみちへの依存の揺らぎの中にいます。しかし、ひと足さきに自立に歩み出していたみちは、一人の女性としてフラットに「ちゃんとごはん食べてね」と伝えます。ここのやりとりは、ふたりの関係性が初めて人と人としてフラットになったシーンだったような気がしました。
一生懸命埋めようとしていたパズルのピースも、結局は色褪せていて周りのピースと溶け込むことはできていません。最後自らパズルをぐちゃぐちゃにするのは、周り(みちとの関係)を見ずに、一つのピース(自分自身)のみを見て色を塗って対応しても結果は崩れ去ってしまった二人の関係を暗示しているようでした。でも、崩した後はきっとまた0から構築していけるはず。よーちゃんがんばれ!って気持ちです。
自分がまず自立していないと、いつまでも自分の世界から抜け出せず、相手視点に立ってパートナーシップを構築していくことができないことを改めてよーちゃんは教えてくれました。


みち

純粋で感情が表に出るおっちょこちょいなみち。
みちは、自己愛が足りないことに揺らいでおり、自分を大切にする勇気が持てません。そのため、ちょっとずつ新名さんや華ちゃんに依存しています
自分一人で大丈夫だと思えないこともあり、自分で進めたいことがあっても、勇気が出なくて流されてしまうことがあります。この葛藤に共感する人も多いのではないでしょうか。

みちは、新名さんと華ちゃんという存在を通じて、勇気づけられるシーンと、流されるシーンが交錯しています。行動してみた結果、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、一喜一憂します。
しかし、物語の進行中に、みちは少しずつ自分が精神的に自立し始めます。

その一つの象徴として、よーちゃんとの離婚があります。これは、みちがよーちゃんに一人の女性としてフラットに関わることができたと考えられます。
もう一つの象徴として、昇進試験の勉強を始めます。結果は不合格でしたが、自分で決めて自分で努力していくことが、みちの次の変化を支えていました。そのため、不合格しても落胆しすぎることはなく、未来の変化に向けて前向きに捉えられていたと思います。「昇進」というチャレンジが、みちの自立に向けた一つのゴールとなっています
そして、水族館で新名さんの告白を断るシーン。最初はえー!と驚きましたが、考えてみると妙な納得感がありました。なぜなら、新名さんは、みちにとって「逃げてしまう弱さ」の象徴であるとみえるからです。もちろん、みちの心がアップデートされれば、新名さんと一緒になれる未来もあるかもしれませんが、現時点では、みちはまだ自立していません。
だから、少々無理をしてでも、自分だけで生きるというチャレンジに挑戦することで、みちは新しい人生を始めようとしています。みちが得たかった自立は、経済的なものや社会的なものではなく、精神的な自立です。昇進は一つのマイルストーンで社会的なものに過ぎませんが、精神的な自立につながりますように、応援したいと思います。
今の現状を変えるためには、まず自分から。一歩踏み出す勇気を、みちから教えてもらえました。


最後に

今回のドラマを見ていて感じたことを最後に記します。
セックスレスは、ふたりの間に浮かび上がってきた1事象にすぎず、本質的に向き合うべきはそれぞれの自己愛であり、ふたりの関係性であることがとても感じられました。
どうしても私たちは「相手」「身体の関係がない」「仕事」など外側の世界の何かのせいにしたくなりますが、向き合うべきものは「自分の愛」「相手に対しての気持ち」など内側の世界なのかもしれません。

結構まとめたつもりなのに、なんだか超大作になってしまいました・・・。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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