やってみてから考えよう
仕事を複数にするなどどっちもダメになるからやめるべき
なんて言葉は昔よく聞いた。
多分それは、どちらかに偏ればしっかり集中できないからどちらもうまくいかないという事なんだろう。
フォーエバーの仕事ですでに自営として収入を得ていたから
点描曼荼羅を講座にするまではよかったけれど、
法人にするのはさすがに悩んだ。
でも点描曼荼羅の奥義のようなものをつかんでしまった私は、これを知らない人、深さのわからない人に見様見真似で描かれるのは「嫌だ」と思った。
やってみて後から考えよう
私にとってはどちらの仕事も自分で「これをしよう!」と選んだものではなくて
「自分を全うしたい」と考えていた私に向かって
勝手に向こうからやってきた。とか
「これをどうしたらいいの?」と思っていたら
どこかの岸に着岸した。というものだった。
何かになりたくて必死に求めたわけでもない。
けれど、小さな時母親から
飽きっぽくて何をやっても続かないと言われ続けた私は
派遣生活のおかげだと思うのだけれど
私を選んでせっかくやってきてくれた仕事には
生真面目に取り組む人間になっていた。のだと思う。
大切にしてきた言葉
なににでも一生懸命5年取り組めば必ず何かしらの形ができる
これは誰が言ってくれた言葉だったか思い出せないのだけれど
デパ地下でその5年を3クールくらい過ごしそうになって
何やってんだ自分はorgと思ったけれど。
私が大切にしてきたその言葉が私を支えてくれていた。
後、今思い出したもう一つ大切な言葉
仕事は「やめないでほしい」と言われるくらいになってから辞めるもの。
でなければどこに移っても同じ
私はいつもこれを目指していた。
いてもいなくてもいい人間ではいたくなかった。
アロエを飲むお金はアロエが連れてくる。
フォーエバーの仕事は
「神様、私が望む仕事をください」と願ったから私のもとへやってきた。
望みとは「時間の自由」「家にいて仕事がしたい」というものだった。
ネットワークビジネスだなんてネガティブな手垢がついていて、人見知りの自分にとってしたい仕事ではないと思っても、
頼んだ挙句にそれじゃない!と神様に返却することができなかった。
神様はプレゼントをきれいな包装紙に包んでリボンをかけて渡してくれるわけではないことを知っていたから。
(そしてそれは最終的に私にとって最高の感謝をささげられる仕事だった。)
と、わかったようなことを言いながらそれでも逃げようとしている私にこんなシンクロが立て続けになだれ込んできた。
2016/9/20に書いてた「なぜ私はアロエベラジュースに出会ったのか?」という連作から書きぬいてみる。
そもそも、Cちゃんからアロエのことで電話が来たとき私はパソコンで野菜を一切食べない父親のために「青汁」を検索していた。
ということもびっくりさせるシンクロだった。
シンクロはまだまだ続く
「宇宙への広告」と書かれていた赤い手帳
つづけて私のブログから「観念してこの仕事をまじめにやってみよう」と思わせたシンクロがこれ。