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小説:アルコールマジック

 三週間ぶりに居酒屋で会った道乃が新しい彼氏ができたという話を始めて、「今度の相手とは長続きすると思う」と言ったのだが、俺はその台詞をこの八か月の間に三回は聞いていたので、いくつか言葉を省略してから「何で毎回そのパターンになんの?」と言ってやる。
 すると道乃も「え、ちょっと待って。どういうこと?」と言って、手にしていた中ジョッキをテーブルに置き直す。「今回は今までと違うって」という言葉を、首と手を振りながら、ぶん、と放つ道乃は、何だか俺の母親を彷彿とさせるものがある。俺の母親も道乃に劣らず酒が好きで、酔ってくるとこういう仕草をよくする。
「毎回言ってるけど違ったことが一度もねーよ。今回だって一緒だろ」
 と言う俺も、まあ意識ははっきりしているが結構酔っている。俺は酒が強くない。それで損をしたり得をしたりすることはあるが、良いことだとも悪いことだとも言えない。
「いや違うんだって。違うの」
 道乃はとにかく「違う」という言葉を、微妙にアレンジを加えながら何度も繰り返す。「ほんとに今回は違うから」「マジで。今度の人は本当に違う」「違うんだって」違う違う違う。それに対して俺は「同じだ」という言葉を繰り返し、俺たちは禅問答のようなやり取りをジョッキ一杯分くらいの間続ける。これは禅問答に失礼だなという気はする。
「聞いてってば。今までの人と、楽くんは人間的に全然別なの」
 店員によって何杯目かのハイボールのジョッキがテーブルに置かれた時、道乃がようやく「違う」以外の新しい情報……知らない人間の名前を発し、俺はそれにすぐさま食い付く。
「楽くん?」
「彼氏の名前だよ。楽太郎」
「楽太郎!?」
 上半身をヘッドバンギングみたいにでかでかと振ってリアクションする俺に、道乃は「あっぶな!」と叫んで身を引く。持っていたジョッキの中のハイボールが、たぶん少し零れている。
「笑点かよ? え、落語家でもやってんの?」
 と、俺が目を見開いて聞くと、道乃が「いや、マジシャンだけど」と答えるので、俺は吹き出しながらがっくりと首を振って「そっちのジャンルの方の芸人なのかよ……」と呟く。
 そういう反応をしていると、道乃の方はやはり眉根を寄せながら「すごい腕前の人なんだからね? そういう業界のこと知らない人にはわかんないかもしれないけど、普通に売れっ子だから」と言って、ぐいっとジョッキを呷る。道乃とこういう場でこういう話をすることは定期的にあるが、ここまでお互いに酒が進んでいるのは珍しいかもしれない。そういう意味では、今日のこの時間は特別だ。ということは、道乃の今回の彼氏も本当に特別なのかもしれない。俺は酔った頭で洗脳されつつある。
「いや、つうか、マジシャンと付き合ってる奴とか初めてだわ。俺の知り合いにいなかったもん」
「だぁから言ってんじゃん。違うってさ」
 道乃の話し方を見聞きして、俺の頭に再び母親が浮かぶ。俺が小学校の高学年くらいの時、夏祭りがある日の夕方に昼寝を始めてしまい、祭りが終わってから目が覚めて、起こしてくれなかった母親に詰め寄ったことがある。母親は妹を連れて祭りに行き、近所のおっさんらとビールを飲んで楽しんでいたらしいのだが、号泣しながら怒りを爆発させている俺に「起こすのが悪いくらい気持ちよさそうに寝てたんだもん。また来年行けばいいじゃない」と言ったのだった。その軽さは、この軽さだ。
 テーブルの上のくしゃくしゃになったお絞りを見つめながら、ぐるぐると回る頭でぼけーっと考える。俺はやっぱりマザコンだ。だからこそ、母親を彷彿とさせる道乃と付き合ったりしたんだろう。
「違う。違うって」
 道乃が俺に言い、俺は頭を上げて道乃に視線を戻す。
「そういうんじゃないんだって」
 真正面から俺の目を見て、手の平をじゃんけんするみたいに振りながら力を込めて否定する。
「そんなわかりやすいことじゃないんだよ」
 聞いている俺は何だか少し面白くなってきて、ニヤけながら道乃の姿を観察する。
「何が?」
「マジシャンだとか、そういう表層的な部分で違うって言ってんじゃないの。職業じゃなくて、人間を見てるの」
 クサい芝居をする大根役者みたいに、大袈裟な抑揚で話す。言い方は嘘っぽいが、たぶん本当のことを話しているんだろうという気がする。
「人間か。へえー……」
 俺は返す言葉を考えようとしてみるが、特に頭は回らず、ビールを一口飲んで間を潰す。
「そう、人間だよ。やっぱりね、そういう部分をしっかり見た上で、今回は違うなって……思ったんだよ」
 喋りながら急激に抑揚がなくなり、トーンが落ち着いていった。
 俺も「そうかあ……そうなのかあ……」と、無意味な相槌を打つ。
 俺は、俺の人間性は道乃にとってどうだったんだろう? と考えていて、だから静かになっている。道乃が静かになっている理由は同じだろうか? そうかもしれないし、そうではないかもしれない。単に酔い切ってしまって、力尽きているだけかもしれない。
 楽太郎とかいう変な名前のマジシャンの人間性について俺は聞かないし、道乃も話そうとしない。
「そう。思ったんだよねえ」
「そうかあ。ううん。そうなのか」
 俺たちはずっと飲みながらそう言い合っている。



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