見出し画像

松田青子『持続可能な魂の利用』について、兄との対話

はじめに

私はいま、友人たちと「ハロプロ楽曲と私たちの人生」をテーマにした同人誌を制作している。

その一方で、次回に出したい同人誌の構想も練りつつあり、そこで、あるテーマについて兄妹対談をやりたいなぁ、と漠然ながら考えている。というわけで、このnoteはそのための助走として始めてみようと思い立った。

まずは、私が最近気になっている本やコンテンツについて対話していきたい。

P……私(pirarucu)。最近、在宅時間が長くなって兄との通話時間が増えた。
……pirarucuの実兄。ボーアはバースの再来だと信じている。

P:さて、記念すべき第一回目は、松田青子『持続可能な魂の利用』(中央公論新社, 2020)を取り上げたいと思います。あやちょ(和田彩花)とイクニ(幾原邦彦)が帯にコメントを寄せてたので気になってたんよね。

兄:
読む前は、そういえば名前は聞いたことあるかもって感じだったかな。話題になってるの?

P:
「王様のブランチ」で取り上げられるくらいやし、話題にはなってるんちゃう。これは後でも触れるけど、女性が日々感じている生きづらさを丁寧に描写して可視化していく方法は、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』に通じるところがあるし、基本的にフェミニズム的な文脈で評価されてると思うよ。

兄:以下、ネタバレは気にせずやっていきたい
ので未読の方などは気をつけてほしいですが、この本はだいたいどんな話だっけ?

あらすじ

兄:ひとまず公式の紹介文を引用しておきます。

この国から「おじさん」が消える――
会社に追いつめられ、無職になった30代の敬子。
男社会の闇を味わうも、心は裏腹に男が演出する女性アイドルにはまっていく。
新米ママ、同性愛者、会社員、多くの人が魂をすり減らす中、敬子は思いがけずこの国の“地獄"を変える“賭け"に挑むことにーー
女性アイドルに恋する三十女の熱情が、日本の絶望を粉砕!
著者初長篇にして最強レジスタンス小説。

P:そうやね。ひとことでいうと、社会にはびこる「おじさん」に苦しめられている元派遣社員の30代女性が、推しの女子アイドルと一緒に革命を起こすという話だよね。

兄:ちょっとSF的な要素も入っているよね。時折、未来から当時を振り返るような描写があるし、どうやら「革命」後の未来の世界では、「わたしたち」は身体を超越した存在になってるっぽいし。

「おじさん」的感性について

P:それで、まずざっくりとした感想だけど、フェミニズム小説として話題になってたからけっこう期待して読んだんだけど、個人的にはちょっと引っかかる点も多かったかな。私がドルオタだからという理由もあるかもしれないけど。

兄:自分もそういう触れ込みに影響された部分はあると思うけど、確かにいくつか気になる点はあったかな。例えば、「おじさん」と対峙する側であるはずの主人公・敬子の視線ってけっこう「おじさん」的だったりしない?

最弱。
突然、その言葉が敬子の頭に浮かんだ。
そう、敬子には、日本の女の子たちが最弱に見えた。とても弱々しい生き物に。その事実に、敬子は脅威を覚えた。

物語の冒頭、妹のいるカナダから帰国した敬子は、ひさしぶりに日本の女性を目の当たりして、「これでは日本の女の子が負けてしまう」って危機感を覚えるんだけど、そういう発想自体がなんだか「おじさん」っぽいというか......。

P:確かに若干パターナリズムっぽい思想が透けて見えるかも。

兄:個人的には、ちょっと前に炎上していたNewsPicksの広告、「さよなら、おっさん。」を思い出したかな。

さよならおっさん

P:まじで全然知らん。何それ?おっさんが激怒して炎上したの?

兄:「さよなら、おっさん。」の評価が芳しくなかった理由は、ここで名指されている「おっさん」たちが怒ったというよりは、この広告自体の醸し出す「おっさん」性が批判されたからでしょ。

「おっさん」や「おじさん」的なものが問題であるというのはその通りだと思うけど、そういうものに対する批判がどうしても自己否定っぽく響いちゃうところは気になるというか。それに近いものを感じたかな。

もちろん、この小説に出てくるカッコ付きの「おじさん」は、本質的には年齢や性別とは無関係とされているから、敬子が「おじさん」的であっても別におかしくはない。とはいえ、その後、自らの「おじさん」性を自覚して克服していくというようなプロセスも特になかったように思う(「おじさん」が裏で糸を引くアイドルを消費することへの葛藤は描かれていたけれど)ので、そこはちょっと引っかかったかな。

P:なんか見たことあるなと思ったら「東京の女の子、どうした?」と感性が同じなんだよな。

東京の女の子

「XX」=「平手友梨奈」問題

P:伏せてはいるけど、この小説で描かれている「XX」が元欅坂46の平手友梨奈だって絶対わかるようになってるんだよね。

兄:わたしはアイドルには詳しくないので名前は思い出せなかったけど、それでも誰のことを言ってるのかはわかった。戦時中の『改造』とかを読んでて、「XXXX」っていう伏せ字が、「あっ、これは『共産主義』ね」とわかるのと同じだよね。

P:「XX」もわかるし、「あの男」が誰かもわかる。そして、日本の典型的なアイドルとして引き合いに出される「『XX』系列のアイドルグループ」がAKBを指してるのもわかるようになってる。

とはいえ、AKBを仮想敵にする流れって、10年前のアイドル戦国時代からアイドル業界がずっとやってきたことではあるよね。いろんなアイドルがカウンターとして「AKBとは違う」を売りにしてきたわけだし、いまさら「欅坂はAKBと違う!」と力強く言われても、ドルオタ的には「まあ、そうでしょうね」という既視感はあったかな。

兄:なるほど。ももクロとか「アンチAKB」な文脈で見てるひともいた記憶はあるかも。

P:もちろん、小説内でも、「XX」のグループが既定のアイドル路線とは異なるプロデュースをされてるのは「あの男」の計算のうちだったと説明されてるんだけど、途中から「XX」は「あの男」の思惑を外れて、本当に「アイドルらしさ」への反抗を始める事になる。

じゃあ、実際の平手友梨奈がどうだったかというと、確かに「アイドルらしからぬ」態度をとることで有名ではあったんだけど、それをどこまで「反抗」と取るかは作者のさじ加減というか、どちらかというと作者自身の願望が込められているように感じたな。

兄:過呼吸で倒れはったニュースしか知らなかったけど、平手友梨奈さんってそういう方だったのね。

性的消費批判だけで十分か?

P:小説ではその後、自我を持って反抗するようになった「XX」と敬子が出会い、「おじさん」社会を革命することになるんだけど、これって結局のところ平手友梨奈との夢小説なのでは?と思った。

小説内に、男性ファンから自分との性的な二次創作小説を送りつけられてアイドルを辞めてしまった女性が出てきたじゃん?でも、この小説自体も非常に二次創作的なんだよね。

アイドルの性的消費について批判してるけど、実在のアイドルの言動を勝手に解釈して希望を背負わせて小説として発表するのは問題のない消費なのか?同性からのまなざしだったら、性的じゃなかったらいいのか?みたいな疑問はあったかな。私はドルオタだから、自戒も込めてそういう点には敏感になってしまうな。

兄:性的消費以外にも搾取的な(「おじさん」的な)消費形態はありうるということだよね。ただ、この小説だと、そうした搾取のバリエーションにはあまり注意が払われてなかった印象はある。

個人的には、背景には身体的なものへの忌避感があるんじゃないかという気がした。「革命」後の未来の世界では、「わたしたち」は、身体や感情を超越した存在として描かれているけど、そういう身体性も含めて肯定する「革命」があってもいいのでは。

設定について

「うわー、まだ産んでるよ」
「なんで産みたいと思えるんでしょうね、確実に育てにくい社会にしているはずなんですけどね」
「意外としぶといな」
「もう一段階、産みにくくしてみましょうか?」
「それで頼む」

兄:他にも設定で気になった部分といえば、実は日本は、地球規模の人口抑制のための「縮約国」に秘密裏に指定されていて、「おじさん」たちはその目標達成のために女性差別的な政策を推進していのだ、と後で明らかになるところかな。こういう形で合理的な理由づけをすることは、「おじさん」を免責することに繋がってしまう可能性もあるのではと思ったよ。

P:「そういう理由でもないと納得できない」という反語的な表現とも取れるけど、現実には、不合理の集積がただ放置されていることが問題で、そっちの方がより最悪だと思うけど。

兄:そこらへんはぼんやりとしか書いてなかったけど、他の国ってどうなってたんだろうね。少子高齢化は日本だけの問題ではないわけだし。

P:私は「ピンクのスタンガン」が気になった。けっきょく使わないんかいっていう。あれなんなん?

兄:あれは最初ローターに見間違えられてバカにされてたのが、最終的に「おじさん」を倒す武器になる可能性を秘めてるっていう、この小説を象徴するようなアイテムなんじゃないの?まぁ、こういう「爆弾」って、フィクションではけっきょく爆発しないのはあるあるかなと……。

書評について

兄:この小説は、文芸誌にもけっこう書評が出てたよね。ざっと目を通してみたけど、何か気になったのはある?

P:冒頭でもいったけど、女性が日々感じている生きづらさを丁寧に描写して可視化していく方法は、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』に通ずるとこがあるな〜と思ってたら、文學界(2020年8月号)の小澤みゆきさんの書評、「魂の解放としての、わたしたちの『語り』を」と、群像(2020年8月号)のひらりささんの書評、「それは、私たちだけのもの」で『キム・ジヨン』のことは触れてたね。

兄:やっぱり思い出すよね。『キム・ジヨン』との共通性を指摘する書評は多かった。

P:この小説も、ピルの話だったり新米ママの話だったり、人生のいろんな場面における女性の生きづらさを描いている。そういう、日本の女性たちが男社会の中で「魂をすり減らして」生きてる様子に共鳴する人はやっぱり多いんじゃないだろうか。

兄:すばる(2020年8月号)の小川たまか氏の書評、「私たちの共有する絶望 彼らには見えない絶望」は、そういう共感ベースで書かれていたね。

P:ひらりささんの書評では、モチーフになってる「少女革命ウテナ」についてがっつり言及してる。アンシーとウテナがそうだったように、敬子も自分の魂を「賭けて」しまえるほどの相手がいたから革命を起こすことができた、ということだけど、この「賭ける」という言い回しは最近Twitterで話題になってたね。

そう考えると、この小説は「女が女に賭ける」話なのだ、というのがこの書評の主旨だよね。

兄:この話題は知らなかったけど、そういうネットの文脈に接続しつつ書いてるとしたらかなり高度な書評だなと思ったよ。

P:文藝(2020年秋季号)の北村紗衣さん「ファンフィクションの成熟」では、好きなアイドルを好き勝手に二次創作することの罪を指摘しつつ、この小説には自覚を伴う批評的な視点と政治的主張があるから評価できると書いてる。

実際、平手友梨奈の夢小説としてのクオリティは高いんじゃないだろうか。「推し」と世界を変える妄想はいつの世もオタクのロマンだし。
ただ、過度に持ち上げたり背負わせたり、自分の解釈に沿うような振る舞いを期待するところまでいくと危ういと思う。

小澤みゆきさんの書評でも、「しかし、このようなメタな『語らせ』かたもまた、『おじさん的<ふるまい>』につながる危うさを孕んでいることを、忘れないでおくべきではないだろうか」と指摘されてたよ。

兄:さっきもいったけど、搾取的であるか否かの基準が、身体性の有無に重なっているようにみえるのはやや単純な気がしていたので、この指摘には納得させられた。

今回はどちらかというと、そういう「危うさ」の方にフォーカスした対話になったけど、注目されてる作品ではあるし、個人的にはこのタイミングで読めてよかったかな。

P:アイドルファンによるアイドル文化への問題提起って今めっちゃホットな話題やと思うので、批判的なことも結構いったけど、この小説の意義はでかいと思う。とりあえず今回はこれくらいで。

ひさしぶりに兄と話して思ったのは、意外と細かい感覚まで含めて意見の一致したこと。そこは家族なのである意味当たり前なのかもしれないけれど、次回からは、もっと兄妹間で意見の分かれるようなテーマを選びたいと思っている。いつになるかわからないが、続けていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?