愛しきウクライナの記憶
2016年7月。世界一周中に急遽ウクライナ行きを決めたのは、時間稼ぎのためだった。
ヨーロッパ最大の目的地であるポーランドの「アウシュビッツ博物館」がまさかの一時閉鎖ということで、営業再開まで隣国のウクライナとハンガリーを周遊することにしたのだ。
ポーランドの首都ワルシャワから夜行バスに乗り、翌朝6時にウクライナ西部の街リヴィウに到着した。古びたバスターミナル周辺には怪しげな目つきをした男たちがたむろしていて、緊張が走る。
宿に向かうべく乗り込んだバスは超満員だった。運賃は当時の為替レートで16円と、驚きの安さ。
支払い方法はバケツリレー式で、硬貨や紙幣を後ろから前へと手渡しで、運転手のもとに運んでいく。「お釣りは…?」と不安だったが、ちゃんと手渡しで返ってきた。
「旧共産主義圏」という冷たくて暗いイメージから一転、ゆるくて素朴な風景を前に、自然と頬が緩む。
なんだか不思議な国だなぁ。解読不明なキリル文字表記の看板を眺めながら、高揚感が湧き上がってきた。
◇
ウクライナの旅でもっとも心惹かれたのは、「正教会」の教会だった。正教会はキリスト教の教派のひとつ。ウクライナ国民の半数以上が属するとされ、「東方正教会」や「ギリシャ正教」とも呼ばれる。
初めて正教会の教会に足を踏み入れたとき、息をのんだ。聖堂内は香の匂いが充満し、静寂に包まれている。フレスコ画が描かれた高い天井を仰ぎ見ると、重厚感のある巨大なシャンデリア。
仄暗い内部を蝋燭の灯りが照らし、黄金のモザイクに覆われた祭壇が静かに浮かび上がった。
「きれい…」
神秘に満ちた厳かな美しさに酔いしれ、呆然と立ち尽くしていた。西欧の華やかなローマ・カトリック教会とは大きく異なり、装飾が少ないシンプルな空間のなかに、荘厳でミステリアスな雰囲気をたたえている。
キリストや聖母を描いた聖画像、イコン。その瞳を見つめていると、なんだか吸い込まれそうで、心を見透かされた気持ちになる。
ウクライナには敬虔なキリスト教徒が多かった。幼い少女も、やんちゃそうな青年も、年配の貴婦人も、老若男女の礼拝者が絶えない。
彼らは香を焚き、胸の前で十字を切り、イコンに額をつけてキスをし、長い時間をかけて祈りを捧げている。
一心に祈る姿に胸打たれ、自然と涙が溢れた。
「目の前の女の子は、祈りながら何を考えているんだろう?」
私も見よう見まねで胸の前で十字を切り、目を閉じてみるも、脳内は雑念で埋め尽くされていた。彼らの純粋な信仰心が羨ましい。神に身を委ねる生き方とは、一体どんなものなんだろう。
「もっとウクライナを知りたい」
そんな衝動に駆られ、ウクライナ滞在を延長することに決めた。
◇
ウクライナはとんでもない美食の国でもあった。肥沃な大地からは豊かな穀物や農作物がとれる。多彩な食材を使用したウクライナ料理はなにを食べても美味しくて、度肝を抜かれた。
ウクライナの代表料理といえば、ビーツをはじめとした野菜と肉の煮込みスープ、ボルシチ。深紅色の鮮やかなビジュアルに反し、野菜の旨味と栄養がたっぷりの優しい味わいだ。
たいていスメタナというサワークリームが添えてある。スプーンで混ぜて食べると、まろやかな酸味が加わり、味の変化を楽しめる。
ヴァレニキもウクライナの郷土料理のひとつ。小麦粉でできたモチモチの皮に、肉やマッシュポテト、チーズ、野菜、果物、ジャムなどの具材を詰めて茹でたもので、水餃子のような一品だ。こちらもサワークリームとの相性が抜群。
「安くて美味い!」と人気の大衆向けレストラン、プザタハタには毎日のように通った。店内のカウンターには、種類豊富なサラダ、スープ、肉、魚、デザート、ドリンクなどがずらり。好きな料理をトレーの上に乗せ、最後にレジで会計をするシステムだ。
どの料理もクオリティが高く、500円前後でお腹いっぱい食べられる。私のお気に入りメニューは、フワフワのパンと、ボルシチと、チキン・キエフだった。
チキン・キエフはウクライナ伝統のカツ料理で、バターを鶏むね肉で包み込み、衣をつけて揚げたもの。ナイフを入れると、ジュワッとバターが出てくる。
世界を旅していると、飛び抜けて食文化が豊かな国に出会う。たとえば南米のペルーでも、ほかの中南米諸国とは一線を画すあまりの美味しさに驚愕した。
ペルー料理の独自性は、西欧の植民地支配や移民政策といった歴史のなかで、文化の融合を経て生み出されたものだった。
ウクライナ料理もまた、食材の豊かさに加え、多民族国家として多様な食文化の影響を受けながら、独自の発展を遂げてきたのかもしれない。
今でもウクライナ料理に恋い焦がれ、自宅でボルシチやヴァレニキを作ることがある。旅先で出会った心ときめく料理は、その後の人生をも豊かにしてくれる。
◇
首都キーウからリヴィウに戻り、さらにそこから列車を乗り継いで約20時間、ハンガリー国境付近の街、ウジホロドに到着した。ウクライナで過ごす最後の場所だ。
ウジホロドはこぢんまりとした街で、都会過ぎず田舎過ぎず、心地がよかった。人もフレンドリーで優しい人が多い気がする。
1泊500円の安宿に滞在しながら、美容院でカラーリングをしたり、スーパーで夏野菜をどっさり買ってキッチンでラタトゥイユを作って食べたりして過ごした。
時間稼ぎのつもりで訪れたこの国に、気付けばすっかり魅了されていた。「住みたい」とすら感じていたが、旅である限りそれは叶わない。
ウクライナ出発の朝、駅でブダペスト行きの切符購入に苦戦してアタフタしていたら、ウクライナ人の青年が「手伝うよ」と声をかけてくれた。
彼は私を販売窓口まで案内し、さらに「これでザホニー(ハンガリーの国境付近の街)まで行けるから」と切符の購入までしてくれたのだ。
「いやいや、払うから」と慌てて現金を渡そうとするも、受け取ってくれない。丁重にお礼を伝え、日本から持参した折り紙をその場で折って、折り鶴をプレゼントした。
すると彼は珍しそうに折り鶴を眺めたあと、「ありがとう」とはにかんで笑った。
ウクライナへの感謝を胸に、私はハンガリーへと旅立った。
◇
2022年2月。テレビ画面に映し出される悪夢のような光景を呆然と眺めていた。
私が記憶するウクライナは、国旗のとおり青空と豊穣の小麦の黄色がよく似合う国だった。深紅色のボルシチや、静寂の教会や、人々の笑顔が印象的だった。
あんな美しい国の大地が、なぜ血で染まらねばならないのか…… 行き場のない怒りが込み上げる。
折り鶴の青年は無事だろうか。一刻も早くウクライナの地に平穏と笑顔が戻ってくることを、ただひたすらに祈っている。
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