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私が世界一周をした理由

幼少の頃の私は引っ込み思案で人見知り。友達が少なく、空想上の人物や動物と遊ぶような変わった少女だった。

一方で、『グリム童話』『赤毛のアン』『小公女セーラ』『アルプスの少女ハイジ』など、外国を舞台にした童話や小説を好み、未知なる世界に胸をときめかせていた。


内向的な私の初海外は、小学3年生のとき。アメリカのサンディエゴに住む母の友人に会いに、母と妹の3人で1週間の家族旅行をした。

現地で受けたカルチャーショックは半端でない。ヘソ出しルックで颯爽と歩くブロンド美女に圧倒され、小さな女の子が可愛いピアスを付けているのを見て目を丸くした。

LAのディズニーランドで食べた虹色の綿あめや、高速道路を猛スピードで走る車など、全てが刺激的で「外国ってすげー!」と興奮したのを覚えている。

振り返ると、このアメリカ旅行が海外への興味や憧れの原体験だったと思う。


高校時代に世界史にハマり、特にヨーロッパが好きだった私は、大学で西洋史を専攻した。

桜が吹雪く頃、キャンパス近くの河川敷で行われた新入生歓迎会で、「格安でヨーロッパに行けるよ~」という誘い文句にまんまと惹かれ、とある国際交流団体に入部した。

大学1年の夏、ゆるゆると大学生活を送っていた私に転機が訪れる。どうしてもヨーロッパに行ってみたくて、団体を通してドイツ開催の国際交流プログラムに申し込み、奇跡的に選考を通過したのだ。

ドイツ・ケルン市のケルン大聖堂

2008年11月。底知れぬ不安に駆られつつも、1人で飛行機に乗ってドイツに飛び、ケルン市で1週間のホームステイを経験することになった。

憧れのヨーロッパの街並みはもう、溜息が出るほど美しくて……。13カ国から集った23名の学生と交流を深め、あらゆる価値観や異文化に触れるなかで、ビュワーンと新しい世界が開ける感覚があった。

インターナショナルディナー

断トツで英語が下手くそな私にも、メンバーは優しく接し、尊重してくれた。「世界には、こんな素晴らしい人たちがいるのか!」と、心が震えるほど感動した。

「いつか必ず、彼らと肩を並べて語り合える人間になる」
そう心に誓った。



ドイツでの経験を機に、海外への好奇心に火がついた。

大学在学中には7つの国際プログラムに参加。フィリピンの農村でファームステイをしたり、日韓学生会議の企画や運営に携わったり、東京で開催される国際学生会議でディスカッションに取り組んだりした。

韓国・釜山市で開催された韓日学生会議に参加

ひとり旅に目覚め、日本各地のゲストハウス巡りを始めたのもこの頃だ。新しい人や土地との出会いに最上級の喜びを感じ始めていた。

それにしても、昔の引っ込み思案な自分からはえらい変わり様である(笑)。



そんな私を世界一周へと突き動かしたのは、タイ旅行での出会いだった。

大学4年の夏休み。無事に就職活動が終わり、「よぉーし、残りの大学生活は遊びまくるぞ!」と意気込んで、人生初の海外ひとり旅でタイ行きを決めた。

食費を節約するべく、1袋12本入りのチョコチップパンをリュックに詰め、タイの首都バンコクへ。

2011年のカオサンロード

滞在の拠点は「カオサンロード」。”バックパッカーの聖地” として有名だったカオサンに、強烈な憧れを抱いていたのだ。

一泊280円の宿は、南京虫が出ると噂されていた。男女混合ドミトリーで、4つ並ぶ二段ベッドの上が私のスペース。毎日奇妙な旅人がひとり来てはひとり去り、混沌が入り乱れる異世界だった。

当時滞在していた安宿

その宿で私は、ショータという金髪の青年に出会う。彼は私と同い年で、同様に夏休みを利用して旅をしていた。それが単発の旅ではなく、「世界一周」だというのだ。

彼は日焼けした顔で笑った。
「東南アジアを周遊したあとは、インドに行く予定さ」

世界一周、か……。聞いたことはあるけど、実際の世界一周旅行者には会ったのは初めてだ。しかも私と同い年で、こんな大冒険をしているなんてすごい!

ショータの話は刺激に満ちていて、私の胸も高鳴った。同時に、世界一周というワードが一気に身近に感じられてきたのだ。そして、ふと思った。

「あれ、これもしかして…… 私にもできるんじゃないの?」


タイから戻り、ショータが教えてくれた「 世界一周ブログ」というものを読み漁った。そこで大勢の日本人が世界一周している事実を知る。世界各国から発信される彼らのブログを読んでいると、興奮とワクワクが止まらなかった。

その時、直感が舞い降りた。
「私がやりたいことって、これだ。もっと世界を見たい、知りたい、感じたい。一度きりの人生、やりたいことをやろう!」

この決断を後押ししたのは純粋な憧れだけではない。「なにか大きいことをすれば、今後の人生で武器になるのでは?」という打算的な考えもあった。


悩んだのは出発のタイミングだった。

旅をするなら体力がある20代が良いし、モチベーションが高いうちに出発したい。でも当時の私には貯金がなかったし、いただいた内定もあった。

まずは社会人経験を4、5年積んで、そのあいだに旅資金を貯めよう。30歳までには結婚したいから、29歳までには帰国するという段取りでいこう。

ベストな出発時期は26歳か27歳と定め、大学3年のときからエクセルで作成していた「人生設計図」に、世界一周を組み込んだのだった。



大学卒業後は、地元岡山の住宅リフォーム会社で4年間営業として働いた。アットホームな職場で、素晴らしい上司や同期にも恵まれ充実した日々を送った。

一方で、世界一周への意思が揺らぐことは1ミリもなかった。仕事でどんな辛いことがあっても、「数年後に旅に出るんだ」という想いが頑張るモチベーションになった。

夢を叶えるまでの準備期間はとにかく楽しい。世界一周に関する本を読んだり、イベントに参加して旅の先輩の話を聞いたり。節約生活も全く苦ではなく、服や美容にかける費用を削って年間100万円ずつ貯めた。

会社員時代、不器用な私は毎日のようにミスを連発し、一生懸命さも空回り。会社に多大な迷惑をかけまくる日々だった。それでも上司は愛情をかけて大切に育ててくださったから、辞職の意を伝えるときは辛かった。

社長の「みくさんが旅の資金稼ぎのために入社したのかと思うと悲しい」という言葉は忘れられない。

大好きな同期にも迷惑をかけたし、失ったものもある。会社に対し、これまで受けた恩を仇で返すようなことをしてしまったのかもしれない。でも、自分の生きたい人生を突き進むためには仕方がなかった。

前職で働けて幸せだったと心から思うし、今もずっと感謝している。



2016年2月、26歳のとき、ついに夢の世界一周に出発。メキシコを皮切りに、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、インド、東南アジアと、世界29ヵ国83都市を訪れ、1年後の2017年2月に帰国した。

世界一周がどれほど素晴らしかったかは、一言でなんて言い表せない。ただ確実に言えるのは、旅を通じて私の人生は圧倒的に豊かになった。

イスラエル・死海にて

2018年1月、東京にあるタイ料理店にて、ショータと6年ぶりの再会を果たした。大手広告代理店でバリバリ活躍する彼に、感謝を伝えることができた。

「ショータに出会ったおかげで、人生が変わったよ。ありがとう」

たったひとつの出会いが、運命を変えることがある。そして私は今、世界一周のきっかけをくれたタイに住んでいるのだから、人生って本当に不思議(笑)。



当時の自分を振り返りつつ、今の若者たちのことを思うと胸が苦しくなる。

コロナ、円安、情勢不安…… 海外に出たい若い世代の挑戦を阻むハードルがあまりにも多すぎるよ。

それでも私は、ひとりでも多くの日本の若者に世界へ飛び出してほしい。体力があって多感な時期に、好奇心に身を任せ、気の赴くままに冒険してほしい。カラフルな世界を、五感をフル稼働して味わってほしい。

そんな体験を通じ、人生はきっとより豊かで楽しく、おもしろくなるはず。

オーストリア西部の街、インスブルックにて

万人に旅を押し付けるつもりは一切ない。ただ、旅で人生が変わった人間のひとりとして、その魅力を今後も発信し続けていきたいと思う。

これからの未来を生きる若者たちのために、自由に旅できる世界が戻ってくることを切に願っている。

(▼世界一周の旅エッセイはマガジンにまとめています)


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