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大航海時代の功罪 ~ポルトガル(ポルト・リスボン)滞在記~

高校時代、とりわけ好きな授業は世界史だった。先生が黒板にチョークで板書する音を聴きながら、カラー写真で埋め尽くされた資料集をパラパラとめくる。過去の英雄たちや革命の歴史に想いを馳せる。

なかでも心惹かれたのが、スペインやポルトガルが世界の覇権を握っていた大航海時代。勇ましい航海士たちが命を投げ打って、世界の果てを目指して大海原に繰り出したんだ。

なんてロマンに満ちた時代だろう……私はうっとりした。

大学では西洋史を専攻した。ゼミの卒業論文のテーマに大航海時代を取り上げるほど、強く憧れを抱いていた。

2016年2月、会社を辞めて夢の世界一周に出発した。メキシコからブラジルまで5か月半ほどかけて南下したあと、ポーランドの首都ワルシャワまでひとっ飛び。

そこから西へ西へと進み、ユーラシア大陸最西端の国、ポルトガルに辿り着いた。秋の気配を感じつつ、まだ夏の陽気も残る9月のはじめだった。

ポルトガル第2の都市「ポルト」の街並み

地中海気候に属するポルトガルは、年間を通じて温暖で過ごしやすい。最初に滞在したのは、ポルトという港町。街のあちこちを「アズレージョ」という装飾タイルが彩っている。青と白のコントラストが美しい。

青と白のコントラストが美しいアズレージョ

見上げると洗濯物がはためき、のびやかなカモメの声が聞こえる。目が合えば気さくに挨拶をしてくれる現地民は、とてもフレンドリー。海の存在が人を開放的にするのだろうか?

海洋国家のポルトガルはシーフード料理が豊富だ。肉料理ばかりで胃が疲れ気味だった私は、街中で新鮮な魚介類を目にして心が踊った。

試しにレストランでオリーブオイル漬けされた「タコのサラダ」を食べてみる。さっぱりとして美味しい。

オイル漬けされた「タコのサラダ」とパン

海沿いを散歩していると、ポルトガル名物のパステル・デ・ナタ(エッグタルト)の店を見つけた。ひとつ買って食べてみると、とろっとしたカスタードクリームの素朴な甘さがたまらない。

真ん中にシナモンシュガーを振るのがポルトガル流のようだ。異国での食べ歩きは格別である。

ポルトガル名物のお菓子「パステル・デ・ナタ」

ポルト滞在中は自炊にハマり、毎日のように宿のキッチンに立った。和食が恋しくなり、肉じゃがや肉詰めピーマン、茶碗蒸しなどを作って食べた。これだからキッコーマンの醤油やだしの素は手放せない。

ポルトからバスで約3時間半かけて、首都リスボンに辿り着いた。

リスボンは起伏に富んだ坂の多い街で、「7つの丘の街」と呼ばれている。素朴で趣のある雰囲気がとても心地良い。オレンジ屋根が可愛い街を走るレトロなトラムやケーブルカーは市民の足だ。

リスボンの街を走る黄色のトラム

スペインで買ったワンピースがポルトガルの雰囲気にマッチすると思い、それを着て街を散策することにした。突き抜ける青い空、眩しい太陽。底抜けの解放感はリスボンのイメ―ジそのものじゃないか。

オレンジ屋根が可愛いリスボンの街並み

坂の向こうにテージョ川が見えてきた!

坂の向こうに見えるテージョ川

テージョ川の河口に開けたベレン地区は、大航海時代に多くの船が出港した歴史が香る場所。ついに憧れの地に辿り着いたんだ。

当時、スペインと共に世界の頂点に立ったポルトガルは、アジアにも勢力を拡大して香料貿易を独占して巨万の富を得た。16世紀前半のリスボンは、世界最大級の都市として繁栄を極めていた。

テージョ川の河口に面して建つ「ベレンの塔」は、ヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して、16世紀に建てられた要塞だ。彼は喜望峰を回ってインド航路を開拓した。

ベレンの塔

ベレンの塔から歩いてすぐの場所にある「発見のモニュメント」は、大航海時代を記念して造られた記念碑である。エンリケ航海王子を先頭に、ヴァスコ・ダ・ガマやマゼランなど、大航海時代の立役者33名の像が彫られている。

発見のモニュメント

「発見のモニュメント」前の広場には、モザイクで巨大な世界地図が描かれている。この地図に記されている数字は、ポルトガルの探検家が到達した年らしい。日本はどこだろう?

発見のモニュメント前の広場

あった!1541とある。1541年にポルトガル船が豊後国(現在の大分県)に漂着したそうだ。つまり日本は1541年に「ポルトガルに発見された」というわけ。日本人の私からすると不思議な感覚がするけれど(笑)。

1543年にはポルトガル商人が種子島に漂着し、鉄砲の伝来が起こった。さらに1549年には、スペイン出身のフランシスコ・ザビエルがポルトガル国王の命で鹿児島に上陸し、キリスト教の布教活動を行っている。これ以外にも、食文化など様々なところで日本はポルトガルの影響を受けてきた。

地図に記されたいくつもの年号を眺めながら、なぜか釈然としない自分の気持ちに気付く。脳裏に浮かんだのは、数ヶ月前に旅した中南米の国々だった。

半年近く旅をした中南米。メキシコ、キューバ、グアテマラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジル...… 

現地の至る所でスペインやポルトガルによる植民地支配の名残を目にした。各地でスペイン語が話され、キリスト教が信仰されていた。カラフルなコロニアル様式の街並みは、カラッとした気候に悲しいほどよく似合っていた。

コロニアル様式の街並み

スペインに富を搾取され、荒廃した大地が置き去りにされたボリビアのポトシのことも、強く印象に残っている。

ポトシの鉱山で出会った抗夫たちは、過酷な労働環境のなかで、顔を真っ黒にして鉱物を掘り続けていた。そんな彼らの日給は、たったの3ドル。翻弄され続けた中南米の国々には、今もなお奴隷制度の名残や貧困格差など、深い爪痕が残っていた。

ポトシの鉱山ツアーで出会った抗夫たち

アメリカ大陸には、古来から先住民が築いてきた言語や宗教、文化があった。しかしコロンブスによる新大陸の発見以降、ヨーロッパ列強はそれらの文明を破壊して土地を奪ったのだ。

ロマンに満ちた開拓の歴史は、裏を返せば残虐な侵略の歴史でもあった。その事実を現地で突きつけられ、私はもはや大航海時代に純粋な憧れを抱けなくなっていた。

情緒あるポルトの風景

故郷の日本に思いを馳せる。地政学的に恵まれた小さな島国。キリスト教信仰の禁止や鎖国政策、圧倒的な軍事力など、いくつもの要因が重なって、ヨーロッパ列強の植民地支配を免れた。それどころか、海外の進んだ文化を取り入れながら、独自の文化をこんなにも発展させてきたんだ。

あれ?私の国、めちゃくちゃすごくないか?今の日本があるのは奇跡のように思える。

「日本の歴史を知らなさすぎる。イチから勉強しよう」
そう決めた。

旅をしていると、点と点が繋がる瞬間がある。各地をめぐって新たな視座を得るうちに、断片的な知識が組み合わさり、少しずつ立体感を増していく。

「だから旅は最高なんだよなぁ」

そう小さく呟きながら、潮風が吹き抜けるテージョ川沿いをゆっくりと歩いた。ほかのヨーロッパ諸国にはないポルトガルの独特な雰囲気が大好きだ。

テージョ川沿いを散歩する

そこにかつての強国の面影はもうない。ポルトガルは国力をはるかに超えた植民地拡大に走って肥大化し、結果として国家の弱体化を招いた。まさに栄枯盛衰である。

「ずいぶん遠くまできたな」
しみじみしながら、意識はすでに次の目的地であるアフリカ大陸に向いていた。


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