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わたしが障がい児看護、精神科看護を経て訪問看護師を目指したわけ—そしてこれから①

初めまして、ぴっぴです。
34歳、訪問看護師。
途中看護から離れた時期もありましたが
看護師歴はトータル8年ほどです。
今回は、わたしが今まで経験してきた看護を経て
何故訪問看護師を目指したのか
そしてこれからの展望を書き連ねたいと思います。

初めてのnoteでもあり
今回はわたしの初心を忘れないためという
ただの自己満足にも近いのですが(笑)、
同じようなフィールドで働くみなさんと想いが共有出来たり、
障がい児を取り巻く環境の現状と課題を一緒に考えるきっかけとなったり、
これから訪問看護を目指す方の一助となればいいなと思っています。

この内容は
①わたしがこれまで経験してきた看護
 精神科と医療型障がい児入所施設編
②重症心身障がい児、肢体不自由児の放課後等デイサービス編
③訪問看護を目指して、そしてこれから
の、3部にわたって編成しています。

1.わたしが看護師を目指したきっかけ

わたしは中学生くらいの頃から、心理学に関心を抱いていました。

それは漠然と、何に惹かれたからという理由はなく(あったのかもしれませんが、ドラマや小説の影響などが主で特に”これ”といったものではなかったと思います)、
ただわたしたち人間の目に見えない心の動きに興味があったのです。
また、わたしが中学生の頃には未成年による殺人事件や傷害事件も多く起きており、自分と年の変わらない子どもたちのいろんな情動に関心を抱いていたというのもひとつの理由でもあります。

なぜこんな事件が起きるのだろう?
どんな想いがあって、どんな苦しさがあって生きてきたんだろう?

思春期でしたので、そういうことには敏感な年頃です。
言ってしまえば中二病のさなか。(笑)

自分自身の成長の中での葛藤もありながら、なんとなくひとのこころについて学んでみたいと考えていました。

しかし、地元の国立大学には心理学専攻はなく、私立大学の高い学費を払うお金もない・・・
そこで高校の頃の進路指導の先生がわたしに”看護師”という仕事について教えてくれました。

「人の心に関わる仕事がしたいのなら、心だけじゃなくて身体もみれる看護師になったらどう?」

わたしの家族や親戚に医療系の仕事をする人はいません。
想像できるとしたら、風邪をひいたときにたまに行く診療所の看護師さんくらい。
全くといっていいほど看護師に対する知識はなかったのですが、
国立の看護学校だと学費もとてもリーズナブルだったということもあり、
先生に看護師について知識を教わるでもなく
当時のわたしはその先生のたった一言で、看護師を目指すことを決意しました。

そっか、心も身体も人間の全てを学び、関わることができる職業なんだ。
それって素敵かも!

・・・今考えるとそんな軽い気持ちでよくここまで来たなと思います(笑)
それ故に、看護学校に入学してたくさんの葛藤と挫折を味わいました。
シーツ交換や洗髪の実技試験で不合格をくらっただけでもう辞めたいと友達と愚痴っていたのを覚えています。(笑)
それでも看護師の資格を取れるまでやり遂げた日々がなければ、
当然今の看護師としてのわたしはいないので、
最初の動機の重さはどうであれ、人生の選択は間違っていなかったと今は胸を張って言えます。
進路指導の先生に感謝です。

看護師の資格を取ってはや12年。
あっという間でした。
その間、わたし自身の家族の問題に悩んだり、これから自分の人生どう生きていこうかと悩み看護師の仕事から離れることもありました。
なので途切れ途切れで、堂々と「看護師として~」なんて、ほんとは言えるほどの経験はありません。
でも、看護師としてもひとりの人間としても多くの挫折をしてきたからこそ、今後さらに学びと経験を深め、貢献・還元したいと思う気持ちは強く持っているつもりです。
そしてそんな未熟なわたしを救ってくれたことこそが、障がいのある子どもたちとの関わりでした。
この記事については、わたしを変えてくれた子どもたちへ今度はわたしが力になって支援をしていきたいという想いも込めて書いています。


2.精神科での経験

そんなこんなで、あっさり看護師を目指したわたしは看護学校を卒業してから、自分の人生に紆余屈折しながら、こころのケアを学ぶため精神科の児童・思春期病棟やストレスケアセンター、デイケアなど5年ほど精神科で働いてきました。

自閉症やADHDなどの発達障がい、摂食障がい、愛着障がい、統合失調症、うつなど、さまざまな課題を抱えている子どもたちの支援。
統合失調症の慢性期やアルコール依存症で入退院を繰り返してきた方たちの社会復帰(就労)支援。
精神科特有のゆったりとした時間の中で、こころのケアと一言に言っても、成長発達の段階や家庭環境、社会的な課題など個別性に応じた関わりの難しさを感じながら看護に携わってきました。

こころの揺れ動く子どもたちに触れて
特に児童思春期病棟では、病棟のルールを何度も破ってしまう子や同じ病棟の子と喧嘩して感情をコントロールできず手を出してしまう子、
どう他人とコミュニケーションをとっていいのかわからず人間関係をうまく構築できず、また、自分の気持ちを伝える術を知らずストレス反応で摂食障がいになってしまっていたり。
みんな平穏な生活がしたいだけなのに、どうしてもうまくいかずつまづいてしまう。
そんな子どもたちへの支援は、自分自身のひととしてのスキルが必要で、関わりの難しさを痛感していました。

生育環境が整っていなかったり、両親も精神的に問題を抱えていることも少なくなく、面会になかなか来られなかったり
必要なお小遣いやお菓子を置いて帰るだけの家族もいました。
今思えば、わたしも新卒のただ若いだけの看護師でしたから、目の前の子どもたちの反応や家族関係にセンシティブになりながらも必死になっていましたね。
——どうしてこの子はこんなに可愛くてこんなにいいところがあるのに、あのお母さんはちっとも会いに来てくれないんだろう。
そんなことを思うこともありました。

家族も発達段階にいるということ
わたしも結婚して4年目になりますが、家族って他人が一緒に住んでいく中で形成されるものですよね。
自分の両親も他人同士。そこから子どもが生まれて、血のつながりができて、関係性をいちから作っていく。
そしてそれぞれがプライベートや学校、仕事などいろんな環境の中で人格形成され、その相互作用で家族関係も成長していきます。
家族看護の定義は、「家族を看護の対象とし、家族が本来有する機能と家族の健康に関するケア機能を高める援助を行うこと」です。
その家族それぞれの発達過程に応じ家族機能をアセスメントし、本人だけでなく帰っていく居場所としての「家族」がセルフケア能力を発揮できるように関わっていくこと。
家族も危機的状況に陥っているということに目を向けることの重要性に気づきました。

結婚して出産し、慣れない子育てに悪戦苦闘したり、夫家族との関係づくりにも四苦八苦。
その子どもに障がいがなかったとしても子育てはとても大変。
そしてそこに子どもの障がい、発達の遅れを指摘されたら・・・。
元々家族の精神的問題がある場合もありますが、そうなれば更に具体的に介入して、家族全体のフォローが必要です。
(わたしも妊活中の身ですが、やはり子育てを経た看護師はその経験から、お母さんの気持ちを理解する能力が高いと思っています。尊敬しています。子育てを経験していないので、少しでもお母さんの気持ちを知り、理解できるよう努力をしていくことが必要ですね。)

こころを守る看護
ひとりの人間を取り巻く環境に良くも悪くもいろんな刺激にあふれている中で、こころを大切に守っていく、看護。
善かれと思って出した言葉もそのひとにとって重荷になっていることもある。
ひとのこころを慮る。
ひとつの言葉も雑に吐くことはなく、看護師としてその方の生きる今に寄り添っていることへの責任感を感じた精神科での経験でした。
目に見えない部分だからこそ、慎重に。
そして五感、ときには六感をも駆使してその方の変化に気づくこと。
本人だけでなく、家族のこころも大切に守っていくこと。
わたしの看護観の礎を作ってくれたのは精神科で培ってきたそのような感覚だと思っています。

3.重症心身障がい児の看護と出会って~病棟での関わり~


忙しさの中で現実を知る
そしてご縁があり、医療型障がい児入所施設で働くことになったわたしは、そこで看護学校の1日体験実習以来初めて、重症心身障がい児と呼ばれる子どもたちへの看護と出会うことになります。

そこの施設ではわたしがいた当時、2歳から74歳までの入所がありました。
病棟では、重症部屋と一般部屋で分かれて勤務。
重症部屋のほうでは、呼吸器をつけた子たちが半数以上。そのほかの子どもたちも呼吸状態が不安定でIPVが必要であったり、ほとんど脳波がフラットの子たち。そして大半が経管栄養を必要としていました。
一般部屋では、経管栄養やてんかん発作が頻回なこともありますが、状態の安定している方たち。

一日があっという間に終わる忙しさでした。
特に重症部屋では呼吸器管理はもちろん、1日2回IPV回して、その合間に更衣、おむつ交換。
週に2回入浴介助。
自発呼吸のない子の入浴介助では看護師がひとりアンビュー係。
支援学校の先生が訪問してきてくれていたので、移動できる子はバギーに乗って呼吸器を押して教室に移動。
気づいたらもうお昼の注入の時間・・・!
そんな子どもたちを1日3人受け持つだけでやっとなのですが、定期検査やIVH交換、胃ろう交換、週に一度の経管栄養チューブ交換、点滴・・・多岐にわたる内容をこなしていきます。
病棟は1フロアしかなかったのですが、入所者は70名ほど。
一般部屋担当では食事介助や入浴介助をメインに行います。
夜勤も朝の3時から起こして、7時の食事に間に合わせる。
2人看護、3人介護士の5人体制。
(そんな暗い夜中から起こすなんて・・・と思いつつも忙しさでそんなことは言ってられないというのが現状でした・・・)

精神科で、医療的処置の技術がほとんどなく採血すらめったにしてこなかったわたしなので、本当にその部分では苦労しました。
(今でも苦労していますが・・・)
そして、難病を抱える子どもたちが多いため、全身の病態生理の学び直しと、疾患の特徴、発達の仕方、予後・・・
ポジショニングや排痰介助などなど、本当に学ぶことの多い毎日でした。

本当に充実していた日々だったのですが、ただひとつわたしが残念だったことがありました。
それは、個別性のある療育がなされていないということ。
保育士はいましたが、朝の会をするだけでベッドサイドで遊んだりすることもありません。
OTやSTが工作したり嚥下訓練のためお菓子を一緒に食べる・・・というようなことはあっても、ただ「遊ぶ」ということがほとんどなかったように思います。

今でも忘れられない1人に、NHKのお母さんといっしょが好きで歌を覚えるのが得意だった子がいます。
挨拶や2語文が言えるようになり、しっかり目を見てコミュニケーションをとろうとしていました。
でも、その大事な発達の時期に、個別で関わって成長を引き出すことができないジレンマが常にありました。

もっと笑顔を引き出せる看護がしたい
病棟の中では「遊び」に触れることが極端に少ない。
関わるのも大人ばかり。
“もっと遊びたい”を気づいてもらえない子どもたち。
成長が著しいその時に、必要な療育を出来ないもどかしさ。
(あくまでもわたしの経験上の思いです。ほかの施設ではいろんな取り組みをされているところもあります。その施設ならではの利点、欠点、いろんな部分がありますので、ここで断っておきます。)

好きなアニメや絵本の話をすると目の下の涙袋がぷっくり膨らんで笑った表情を見せてくれる子、一緒に歌うと楽しんでくれる子。
反応を見つけられなくてもHRの変動で教えてくれる子。
いろんな子のいろんな発信を出来るだけ取りこぼさないように、
時間の合間を見つけてはできるだけ、処置やリハではない関わりをするようにしました。

本当にみんなかわいくてかわいくてたまりませんでした。
子どもたちを楽しませたいけれど、自分も本当に癒されてしまってる。
いつかどこかの上司に、「自分が癒されるのは看護じゃない」と言われたこともありましたが、そんなことは絶対にないと思っています。
関わる子どもたち、利用者さんたち、年齢問わず、笑顔になってくれたら嬉しいし、ハグをして温度を共有して、オキシトシンが出て、お互い癒される。
楽しさの中で脳を刺激して、五感を使って、成長していく子どもたち。
その子なりの発信力をもっと高めてあげられるように。

医療者だからこそ囚われてしまう「リスク」
どうしても看護、医療者は「リスク」を考えることが先立って
そんなことはできない、危ない、何かあったらどうするの、と言っていろんなことを敬遠してしまうがちですが。

看護師なら、医療者なら、「リスク」を挙げるだけではなくて、どんなことが起こる可能性があるのか洗い出し、それを回避するにはどうしたらいいかを考えることも出来るはず。
ただ遊べばいいじゃん!ではなくて、根拠に基づいた安全に守られた中で普段行けない場所に行ったり経験をして、精いっぱい楽しむことができるのなら、わたしはその遊びの「リスク」のほうを取りたいと思っています。

療育を学べる場所を求めて
そしてわたしは放課後等デイサービスの看護師として勤務し始めます。
看護処置としては少なくなりますが、子どもたちといっぱい抱っこして触れ合って、子どもたち同士遊べる。
人前で歌うのは恥ずかしさもあるけど、目立つことも苦手だけど、子どもが喜ぶ療育がしたい!
その思いから見つけた場所でした。



次の②わたしがこれまで経験してきた看護~放課後等デイサービス編~
で詳しくお話していきたいと思います。

①から長くなっていますが、書き出すと思いが止まらなくなるんですね。(笑)
もっともっと想いはありますが、最後の③訪問看護で爆発させたいと思います。

では、また②で。
読んでいただきありがとうございます。

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