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私の育ち③ ~中学校、高校、そして短大を中退するまで

中学時代

中学生の間、ラッキーなことに呑んだくれ父は
マニラに単身赴任をしました。

たまに来る手紙の返事には
「次のテストも頑張ります」みたいな勉強の話はマスト。
一応言っておいて、母は教育熱心ではないし、
私はのびのびと友達第一で楽しく過ごしました。
将来のことなど考えられず、自我も芽生えていない子供でした。

小学校まで学級委員だった私も、
実はクラスをまとめる力や発言力、発表力がないので
化けの皮がはがれ、
中2からは学級委員は免れました。
独創性がなく、言われたことしか出来なかったのです。

筋トレの激しい部活は辛かったけど、三年間頑張りました。
ところがこの時も、顧問の先生に呼ばれ、
「お前は部活で一番背が高いのに、
どうしてもっと頑張れないんだ」
と言われました。
これは理不尽なようで、
確かにガッツが足りなかったのは認めざるを得ない。
友達といて楽しければ良かった。
先生の目は節穴ではないのです。人によりますが・・

高校の志望校は、志が低いためアンパイを狙い、
先生が勧める学校より一つランクを下げた高校に入学しました。


高校時代

高校でも友達第一の私。
部活にバンド(バンドブーム到来)に夢中で徐々に成績は下向。
やはり将来の夢などない。
親に何になりたいか聞かれたこともありません。

さて今度は大学受験。
父が難関校を勧めてきました。
私は反抗することもできず、他に行きたい学校もないため、
見学もせずにそこを目指すことになりました。

担任の先生に告げると「それは無理だろう」と言われ、
英語の先生は「君ならいけるよ」と言ってくれたのが嬉しかったです。

かくして部活を引退後、
当時は当たり前だった一般入試に向けて初めて猛勉強をしました。
それだけは褒めたいと思います。
受験校は全て合格。一番喜んだのは父だと思います。

短大時代

さて、入学して学校に行ってみると、
いわゆるキャンパスではなく、
普通の高校のような建物で夢見た生活と大違い。
見学もせずに受験した結果です。

そこでも友達第一でグループができたのですが、
今までで初めてのタイプNと知り合いました。

お互いに地味な学校生活に辟易していました。
Nは美人で誰からも一目置かれるタイプ。
私と一番の仲良しになりましたが1:1だと毒づいてくるのです。

「辞めないの?どうするのよ」
Nと、どちらが先に辞めるか、会話はそればかり。
Nのなぜかキツイ質問に、
ホントにどうすんだ私?と追い込まれました。
気の置けない友達を、初めて作ることができず
グループでふわふわしていました。
私の自我がようやく目覚めた時です。

学校がつまらなくなりました。
他に仲良しはいましたが、その子も一番ではありません。
(でも今も連絡を取り合う唯一の友達です)
授業はきついけど苦ではなかった。

いつの間にかグループはNが仕切っている感じ。
勉強だけの人生なんてありえなかったから、
初めて虚無感を感じ、
内省的で陰キャになった私は1学期で休学することにしました
人生の意味が分からなかった。
孤独を感じ、哲学書を読むようになりました。

夏休みは両親がアメリカ留学を勧めてくれました。
復学を願ってのことでしょう。
楽しい思い出ですが、
私の気持ちが変わることはありませんでした。
両親も悩んだんだろうな、と今なら分かります。

休学している間、なぜそうなったのか忘れましたが、
私が好きだった英文学の授業の先生と
喫茶店に入ることになりました。

先生は私の休学を心配して小説も送ってくれていました。
本の内容は残念ながら私には何も響きません。

喫茶店で、
「文学なんて堕落した人間がやるものだよ。
思考は停滞だ。大事なのは行動だよ、こうやって」と
私の胸を目の前から手を伸ばして触りました。
私はギョッとしました。
今ならセクハラです。というか、堂々とした痴漢です。

確かにその先生は先生の中では一番好きだったけど、
異性として見ていたわけではありません。
髪も薄くなりかけた50代のせいぜい「面白い先生」。

先生の意図は未だに分かりません。
でも考えてるばかりの私には、真意を突いてる気はしました

バイトするうちに、次年度が始まり
私はずるずると再スタートする形で復学しました。
また一年生・・みんなと顔を合わせるのもバツが悪い。
一つ下の子たちと話ができない。
段々足が遠のき、私は今でいう不登校になりました。

その頃はまだひきこもり、不登校という
言葉も現象もなかったので
私は母の作ってくれたお弁当を持って
「行ってきます」と大好きな動物園で暇をつぶしていました。
そのうちそれにも疲れて、
退学を親に切り出しました。

あまりにも暗くなり別人に変化した私を
両親はどう思ったでしょう。
予想していたのか、止められることもなく、
退学届けを父と一緒に学校へ提出に。

帰り道、言葉もなく前を歩く父の背中が小さく見え
申し訳なく思いました。

父は勧めた自分の責任を感じていたようですが、
私は幼稚で弱くて馴染めなかった自分が
100%悪かったと思っていました。
友達って何だろう。常に親友を求めていた私。
遅くきた自我の目覚め。(父も、私も、息子も中退。中退家系です)

それからはバイト三昧。
ひきこもり概念がなかったから
どこかへは行かなければいけません。

ただ、父はこれからは情報社会の時代だから、
パソコン教室(懐かしの「一太郎」!)には行くように言われ、
そのおかげで派遣社員として働けるようになりました。

派遣先で出会ったのが、今の主人Pです。
人生何が起こるか分からないものです。

こんな話、皆さんにとって面白いでしょうか。
この先も書いていいのか悩みます。
でも、to be continued!


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