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あなぐらで雑魚寝じゃ寝れるわきゃない
わたしのぉー おはかのぉー まぁえでー
なかないでくださいーーーーー〜
この記事のオープニングテーマを盛大に歌い上げてみた。僕は歌がうまいのが自慢である。文章でも最後に「~」とビブラートできるのだから、大したものである。
石川の歌声プリンスであることを熱く語っていきたいところだが、ぐっとこらえて本題にうつる。
お墓というものは、大抵は受け継がれていくものらしい。ぴぴぷる家は訳あって俗世のイベントから離れており、「盆の墓参り」という文化もない。我が家の墓の場所を知ったのは26の時であった。盆というものの意味も、高校生になるまでよくわかってなかったくらいである。
そんな家庭で育っているので、墓というものへの理解が薄い。いまいち、あの四角い石に意味を感じない。
昔から「どこで眠りにつきたいか」と妄想することがある。それは海の見える丘の上であったり、暮らしの灯りを感じる住宅の側であったりする。どれだけ安らかだろうかと思い描くのが、心地よくて好きなのだ。
墓は一家に一つと知った時は落胆した。そして、Coccoの遺書よろしく、自分の遺骨は粉々にして、お気に入りの場所にまいてほしいと思ったものだ。
先祖を大事にというけれど、僕は顔をみたこともない奴と一緒に眠りたくなんてない。死ぬまで一緒どころか、もう死んでいるのだ。一蓮托生どころの騒ぎでない。死んでもごめんである。あぁ、もう死んで(略)。
もっと言えば、顔を知ったおじいちゃんおばあちゃんとだって嫌だ。一日一緒にいるのも疲れるのに、どうしてずっと一緒にいることをよしとできるのか。第一、我が家の墓は大きな駅の側であった。あんなやかましい場所で眠ることなんてできない。・・・案外そういう睡眠不足でお化けが生まれるんじゃないか。
僕は、嫁さんと共に眠れればそれがいい。先祖なんて知ったことではない。
駅の側の墓・・・
そこにぃー わたしはぁー いませんー・・・
ねむってなんかーーーーーー いませんーーーー~~~~~!!!
圧巻の歌唱力である。
でも、千の風になりたくはない。
僕は僕のままで、安らかでありたいのだ。そこが、ゆっくりと眠れる素敵な場所であるといい。
あ、でも嫁さんはいびきがひどいから、これまた安眠できないかもしれない。その時はお化けになって散歩しよう。楽しみである。
僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。