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こたつから出るために

優しい人と言ってもらえることが多い。
昔からそのことに喜びを感じていたし、そこに縋っている自分もいる。

ただ、僕が純に優しい人間かとかんがえると、そうは思わない。
大抵が角の立たないよう振舞っているだけで、人のために何か動くことはほとんどないのだ。

負の感情のこもった視線を向けられることが怖くって、保険で優しくふるまっているだけ。だから、僕はべつに外国の子供が飢えていたってどうでもいい。もっと言えば、国内だってそうだ。正直、東日本大震災の被害者のこともどうだっていい。

彼等の視線は、僕個人に向かないからだ。
自分に対する明確な拒絶や嫌悪を感じた時の、頭が真っ白で心臓だけが動いている、あの感じ。
あれが怖くて仕方ないだけなんだ。

ただ、優しく振る舞うには、やはりそれだけ優しい気持ちがないといけない。
僕は人それぞれの能力があると思っているし、だから僕を許してくれと、自分で自分に保険をかけている。
前のnoteでも書いたけど、成した結果の大小より、本人の気持ちに寄り添うべきだと思っている。

ポテチとコーラを貪りながらオンラインゲームをやりつづける引きこもりにだって、切実な辛さがあるはずなのだ。
それは皆が気づいていることだけど、自分の辛さと天秤にかけてしまうんだろう。辛いことは、ただ辛いことなのに。

こういう風に考えられることは、たしかに優しいのかもしれない。
でも、僕はそれで満足してしまうのだ。
自分がこういう考えをもっていて、人に対して優しい目線を持っているということに。

それはまるでこたつのようだ
他人の辛さに寄り添っているつもりで、自分はその満足感から行動を起こそうとはしない。
雪かきをしている母親を「大変だなぁ」と思いながら、暖かい部屋でみかんを食べているように。

来年は小さなことでもいいから、人のことを想って動ければいいなと思う。
僕がこんなんだから、嫁さんには色々と心配や苦労をかけている。
とりあえず、彼女が少しでも楽になればいいな。

石川はもう厳しい寒さになってきている。今日のところは、暖房を予約して寝よう。おやすみなさい。

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