人生を映画にするならば(るんばさんとの交換note)
るんばさんとの交換note企画です。
人生経験と一口に言っても、どんな出来事がその人の糧になるかはわからない。
蚊を殺した時になにかに気づく人もいれば、母親が死んでも通りすぎていく人だっている。「人生を映画にするなら」というフレーズを思いついて、そんなふうに思った。
さぁ、劇場版ぴぴぷるのはじまりである。
基本的にダメな奴であるが、幼少から高校1年生くらいまでは、透き通った心で育っていたようにおもう。ここだけ切り取れば、不登校が治るまでという、澄んだ映画になるかもしれない。
でも、綺麗なだけでは綺麗なものは際立たない。
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僕を語る上で欠かせない、大切な友達の話をしよう。
彼のことを僕は大好きで、そして大嫌いで、やっぱり大好きだった。
彼はとにかく真っ直ぐであり、僕はそれに憧れた。太陽に手を伸ばすように、どんどんと僕の心は成長していった。
でも、近づけば近づくほど、眩しくて影がさした。グングンと伸びていると思ったものは、ハリボテであることに気がついてしまった。
そして、ことあるごとに「ハリボテだな」と言われた。
「憧れるな。お前はお前。」と言ってくれているんだ。頭ではわかっていた。それでも、だんだんと伸ばしていた手は下がっていき、気づけばだらん、と降ろしてしまっていた。
彼との強い繋がりであった詩を書くこともしなくなり、酒をのみながらアニメをみて、潰れるように寝る毎日。自堕落街道をバイクでぶっ飛ばしていた。
たまに会うことがあると、眩しくて眩しくて嫌になった。
でも、憧れが消えたわけじゃない。僕は彼に自分がいかにダメであるかを語った。そんな時、いつも涙がこぼれた。
「お前にとって、俺は教会なんだろうな」と彼が言ったことを覚えている。その通りだ。いつも、懺悔しにいくつもりで会いに行っていた。
しかし、懺悔しようが行動を改めるわけじゃないのだ。なにせ僕はダメなやつであるから。
そんなわけで、憧れと嫌悪に挟まれて、心は動けなくなっていった。
それは確かに呪いであった。教会に憧れて呪いにかかるのも、妙な話だ。
耐えられなくなった僕は、たったひとつの、とてもシンプルで、とても簡単な方法を僕は選んだ。
つまりは、彼と縁を切ったのだ。その日、僕は果てしない悲しさと空しさ、そして味の悪い解放感を味わった。なんでスッキリしないのか。すぐに気づいたからだ。呪いが解けていないことに。
心の中の教会から、神父がこちらを見ている。しばらくは、ずいぶんと居心地が悪かった。
今ではもう、十字架が遠くに小さく見えるくらいに、離れることができたけど。
でも、意識しなくなっただけで、やっぱり解けてはいないのだ。
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僕がだらしなく、汚いだけの話だ。
ただ、彼との出会いがなければ、僕の人生はない。彼に憧れて、自分も同じように輝こうとした、大切な思い出。
それがなければ、この幸せは、この平穏は、あり得ない。
僕という映画に、彼は欠かせない。そう言える。
呪いと共に生きていける。そのほうが、美しい作品になるから。
僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。