見出し画像

[日記]「推し」と「ファン」と「夢中」

ついさっき三拍子高倉さんのラジオアプリRadiotalk生配信(たかくらじお)で「推し」についての話題が出た。

「推し」

ここ数年で出てきた言葉で「ファン」とも「オタク」とも違う。今調べたらAKBの「推しメン=一推しのメンバー」という言葉が元になってるんですね。

元はファンがアイドルに対して抱く感情のことで、人に推薦できるほど好きという意味で使われていました。
今では「応援している人」、「お気に入りのキャラクター」、「好意を抱いている」などの意味で使われるようです。好きな対象のことも「推し」といいますが、応援することも「推す」と表現します。
(略)
「推しメン」はアイドルグループの中で「応援しているメンバー」を指す言葉でした。業界内でのみ知られている言葉でしたが、AKB48の流行に伴い一般の人に広く知られるようになりました。

今日の生配信では好きな対象にどっぷり浸かって一人で楽しむのが「ファン」、対象を支えたい、活動を一緒に楽しみたいと思うのが「推し」なのではないかという意見が出た。(記憶力が悪いので間違ってたら申し訳ない。)

新しい言葉なので解釈は人それぞれだし、きっと確固たる定義もまだされてないので使われていくうちに意味も変化していくのだと思う。

ただ、「対象を支えたい」「活動を一緒に楽しみたい」という好きの形は私にとっては初めてのことだなと思った。

昔からテレビっ子だったので好きになるものと言えばテレビに出ている人や番組やアニメが多かった。芸能人の具体例を挙げればウッチャンナンチャン。めちゃくちゃ好きだったし、最近はあまり見ていないけれど今でも好き。特報王国もウリナリも笑う犬も内Pも見てたので幼少期から青年期までウッチャンナンチャンと共に歩んで来たと言っても過言ではない。初めて買ったCDはブラックビスケッツの『スタミナ』

彼らは既に押しも押されもせぬ売れっ子だったから「支えたい」と思いもしなかったし(そもそも私は子供だった)、様々な活動をしてはいたけれど全てテレビの中のショーとして完結していたので「一緒に」楽しんでいる感覚は無かった。

「支えたい」とか「一緒に」と思えるのはテレビ以外のネットを通じてだったり直接会って双方向コミュニケーションが出来るからなんだろうなぁと思う。

さっきの生配信で言えばラジオなので配信者は音声のみ、リスナーは文字のみでのやり取りなのに、まるで会話をしているかのような気分になった。話される内容もチャット欄の書き込みで流れが出来ていくので、まさに「一緒に楽しんでいる」状態。投げ銭で微力ながら「恐れ多くも支えさせて頂いている」状態。

…どうも「支える」と言うのに抵抗がある。恐れ多い。「支える」は投げ銭などの金銭面だけでなく、例えばイベントやライブに参加したりYouTube動画をCM込みで見たりコメントを書いたりSNSのイイねやRTをしたりすることらしいけれど、それはもうこちらが好きで勝手にやっていることで、投げ銭も「いつも無料でこんなに良きものを見せて頂いて本当に申し訳ないですありがとうございます!!!」って感じで節分の豆まきの如く小銭を投げつけているだけなので、それを「支える」などと思うことはなんか…少なくとも私は、痒い。痒いので「応援している」に言い換えましょう。

話を戻すとウリナリ社交ダンス部やドーバー海峡横断部等の企画で「頑張れ〜」と思ったことはあるものの、その人の活動そのものを“応援したい”という気持ちになったのは三拍子が初めて。
よく「売れてほしい」なんて声も耳にするけれど、テレビに出るとか出ないとかよりも「やりたいことを心行くまでやってほしい」と言う意味での“応援したい”と言う気持ちが強い。なんでかって言うと…なんでかって?

おもしろいから。楽しいから。

結局これに尽きる。

もうすぐ1周年を迎える毎週の生配信も9月から始まった毎日の動画公開も全部おもしろく、楽しい。それに加えて金曜日の教養漫才は義務教育で習ったはずのことを学び直すきっかけまで与えてくれるから、本当に良い漫才コンビを好きになったと思う。

最新の教養漫才「三権分立」(10/9)↑

これだけ次々とおもしろかったり楽しかったり役に立つコンテンツを提供してくれて、その全てが「多くの人に自分たちの漫才を見てもらいたい」と言う一つの信念に基づいてたら、そりゃあもう夢中になりますわ。

信念のある人はかっこいい。

知ったのは去年の年末、ハマり始めたのは今年の1月半ばからだけど“好き”の熱量が一向に下がる気配が無い。怖いくらいだけどもう諦めた。

来月は遂に生の漫才を見られるし、きっと更に熱量がおかしなことになるんだと思う。

今回の日記のタイトルにある「推し」と「ファン」と「夢中」

さっきの生配信で何かの歌で「幸せというのは夢中になるものがあること」というフレーズがあるということを聞いた(うろ覚え)

幸せってなんだろうと思うことはあるけれど、これだけ夢中になれるものがあって、毎日笑っている私はきっと幸せなのだろう。

私は三拍子のファンであり、三拍子が推しであり、三拍子に夢中です。






お金をください。