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【恋愛・結婚】策士、策に溺れる。 〜恋愛テクニックの落とし穴〜

こんにちは、ぴぴちゃいるどです。

最近は【闘病】ネタが多かったので、今回は『恋愛テクニック』について、疑問に感じていることを共有していきたい。

ちなみに私は題名にもある通り、結婚願望強めだった20代半ばに『恋愛テクニック』を駆使した結果、自らの策に溺れて迷走(阿保)

以来「テクじゃなくて自分自身を充実させよ!!」に価値観が変化した。
※そのせいで仕事と趣味に打ち込みすぎて、20代後半は数年間パートナーがいなかった…単細胞野郎w

...テクニックって自分を偽って行う事も多いじゃないですか。

だから「自分を偽って上手くいかないくらいなら、最初から自然体でも大丈夫なくらい自分自身を磨いたほうが後悔しないじゃん」って思ったんだよ。

今回はテクニックの中でも俗に言う【沼らせ系】のやつについて考えたい!!

ちなみに私の考える【沼らせ系】とは、会ってるときは優しかったり最初はスキスキな感じなのに徐々に連絡を遅く返したり、雑に返したり、雑に扱ったり、忙しいアピールして途中で帰ったりするやつ。

要は『足りない状態にする』『希少性を演出する』ようなもののこと。

これについて考えていくよ!



沼らせの原理

会ってるときは優しかったり最初は好意を感じたのに、気付いたら雑に扱われている気がする…

なんでだろう?
私なにかしちゃった?
前みたいに戻りたい…

…などなど。

その答えはおそらく「脳内報酬系」と呼ばれる部位の機能異常と関係がある。

脳内報酬系とは、簡単に言えば脳の中の快感に関わる分野。
心地よい刺激や行動があると活性化され、快感をもたらすドーパミンの分泌を増やす。

これによって「優しくて心地良かったあの頃の感覚よカムバック!!」みたいな感じになってしまう。
そして過去の心地良さを取り戻すためにパートナーにアレコレしてしまい泥沼化…
ギャンブルみたいなもんだ

そう。沼らせって簡単に言っちゃえば、この方法を使って依存(執着)を引き起こしてる状態。


依存(執着)の危険性

沼らせ系のテクニックって要は依存(執着)のことで、そこにはコントロールする側とされる側の関係がある。

コントロールされる側(依存したり、メンヘラ、重くなってしまう)は、まあ分かりやすくシンドイのでイメージしやすいでしょう。

なので今回は割愛!!
こういう記事はすでに沢山出回っている。

それに、コントロールされる側は分かりやすく実害を被っているので「自分が変わらなきゃ!」と、危機感を持ちやすい。


…しかしコントロールする側はどうだろう。
コントロールされる側のように、傷付けられるわけでもなければ、利益すらある。

そのためコンプレックスの根本が改善されないまま「自分のやりかたが正しいんだ!」「自分が傷付くリスクも少ないし!」と考えてしまうので、ある意味ハチャメチャに闇が根深い…

そんなのぬかるんだ土地に家建ててるようなモン…

なので今回はコントロールする側の危険性のほうを考えていきたい。


コントロールする側のリスク

大きく分けて2つのリスクがあるんじゃないかと。

①本当の自分を見てくれるわけではない

みなさんマズローの欲求5段階は知っていますか?

人間の欲求の最高位は「自己実現欲求」。
つまり自分の夢を叶えたり、満足できるようになりたいって欲求のこと。
しかし、その前に「承認欲求」がくるわけ。
(「自己実現欲求」の上に「自己超越欲求」もあるらしいけど)

つまり自分を認めてくれたり、受け入れてくれる人がいるという満足感があってこそ、自分の夢を叶えられるってこと。

しかし、沼らせを使って相手に好かれたところで果たして本当に自分が『受け入れられてる』と言えるのだろうか?

沼らせはあくまでもコントロールされた相手が『好き』と『執着』を混同してるだけ。

『執着』は、あくまでも『執着』であって、相手は本当の自分自身をみてくれているのだろうか。

最初は良いかもしれないけど、長い目で見るとお互い幸せじゃない気がしている。

なぜならコントロールされる側は『執着』という色眼鏡をかけてコントロールする側を見ているから、相手に嫌われたくなくてアレコレ我慢してたりする

そしてコントロールする側も自分を偽っていたり、どこかで後ろめたさがある。

…すると「自分自身の全てを知られたらきっと受け入れてくれない...」って相手に対して壁を作ったり、自信を持ちきれないのではないだろうか。

なので私は全部を曝け出しても受け入れてくれる相手に出会えて初めて本当の意味で「承認欲求」が満たされると考えている。
(家族とか親友とかそうじゃない?私は友達自体は少なくて良いから、こういう相手と仲良くする派)

そう考えると、テクニックを使う前に、まずは自分を受け入れてもらえるように自分自身を成長させて、自信を付けて、清い生き方をするのが健全だと思わない?

傷付くリスクを恐れるのに、相手には受け入れられたいなんて弱すぎる。
その弱さを乗り越えないかぎりいつまで経っても、本当の強さと自信は持てない。

相手の『執着』という洗脳が解けたときに後から「あれは執着だったな。冷静に考えてみたら、人間性には惹かれてなかったや!」って思われるほうが余程傷は深くなると思う。



②戦略的に恋愛を行うと相手を人として見れなくなる

テクニックを使って上手くいくという成功体験を積んでいると、どこかで流れ作業的になってしまう。

正直付き合うまではある程度頭を使って進めても良いと思うけど、そこから先は人間関係だ。

相手を攻略対象として見るようになってしまうと、攻略する側はどこか相手に壁を作って接したり、舐め腐ったり、軽視してしまうものだ。
(この壁を越えてくる相手は余程攻略する側の好みド真ん中か、相手がウワテなんだと思う…)

するとどうなるか。
相手を軽視してしまうから、すぐに損切りしたり、雑に扱ってしまうようになる。
「まあ、この人がダメでも他がたくさんいるし」という気持ちになってしまう。

そのときは効率が良いし、自分も満たされているから何も感じないかもしれない。

しかしこの環境に慣れすぎると1人の相手と深く関わるスキルが薄れてしまう。

正直、1人の相手と深く関わるスキルの方がつけるのは難しい。
なぜなら、違う価値観を受け入れたり、相手と冷静に意見の擦り合わせをして歩み寄らなきゃいけないからだ。
そう、ぶっちゃけクソ面倒臭いのだ。

「惚れた弱み…」とか言ってなんでも受け入れてると対等じゃなくなるし、だからといってプライドが高すぎると「自分は折れたくない!!」みたいになってしまう。
(今は昭和じゃなくて、令和だぞ!!!!自立した人間同士がタッグを組まないとこれからの時代積む気がする)

「この人がダメでも他がいる」という考えは、心の余裕に繋がるので利点である。
しかし考えかたを変えると逃げグセにも繋がる。
なんでも捉え方しだいで毒にも薬にもなるんよね。

そしてこれは回避依存症にも繋がると考えている…


こんな感じで、沼らせテクは長い目で見てメリットが少ないと思う。
(逆に遊びには適している。危ないけど…)



まとめ


人をコントロールすることは、追求すれば結構簡単なのかもしれない。

しかし1番コントロールすべきは自分自身の脳。
私はそう考えている。

思考力は自分だけじゃなく、2人のために使いたい。

まぁ、あまりに考えすぎると疲れちゃうし、普段はスイッチ切って目の前のことをバカになって楽しめば良いけどね!

しかし根本にはブレない人間性と正義感を持って居られるように過ごしたい。


さいごに

私自身の恋愛偏差値はクソ低い(笑)
人間が好きなだけで、恋愛に関してはド弱者だ。

今はマッチングアプリという文明の利器があるから、過去に恋愛目的ではなく3ヶ月ほど腹を括って週に5、6人と会って色々な人の恋愛観を聞いたり、自己分析をしていた時期がある(笑)
今回のネタはそこで得た知見を書いている。

そのため私自身は最初に話したように、恋愛下手だし恋愛ド弱者だ。
自分の事に集中してて恋愛そっちのけだったのもあり過去にお付き合いした人数は片手レベルだし、遊びが楽しいと思える性格でもない。

そのため恋愛のことはよう分からん。
今回の話も恋愛の参考にはならないかもしれない。

なので恋愛強者同士なら【沼らせ】は最高のスパイスなのかもしれないとも思う。

そして正直、テクを使いたいなら使えば良いと思っているし、人には人の人生があるので基本的には好きにやればよろしい。

なんなら「結婚するまでは演技をしろ」っていう、女性向けの指南書もあるくらいだし、目的を達成するためにそこまで出来るのは尊敬すらする。
(私は良くも悪くも『裸一貫!!』みたいな性質なので、できないんだ…)


ただし【まずは自分の人生】

その軸があってこその恋愛や結婚だと思っている。

自分の幸せってなんだろう。
自分自身が本当に満たされるのはどんなとき?

大切にしてくれる存在がいること?
自分自身を認めてくれる存在がいること?
尽くしたい存在がいること?
周りに自慢できる存在がいること?
周りに羨ましがられる存在がいること?

【自分の人生】とは自分と向き合えば向き合うほど意外と他人の目を気にした回答をしていたことに気付くものだ。
多様性とか言われているのにね(笑)


私は自分と向き合ってから、ドキドキする恋愛は楽しいけど人生を味付けるトッピングであって、あくまで娯楽だなと感じることが増えてきた。

同時に最終的に求めたいのはトッピングじゃなくて、自分の人生に食い込んでくる気概のある人間だなと思うことも増えてきた。

だから、ある程度満足するまでは恋愛を楽しみ切るのも良いのかもしれない。
(たまに一生恋愛体質みたいな人もいるけれど…)


結局、なににおいても自分の人生の手綱は自分で握って楽しむことを忘れちゃいけないね。

幸せは自分の選択で作ることが出来るものだ。

ちなみに私が恋愛・結婚でひとつの指針にしてる名言は【結婚は一生遊べる友人を探すこと】


今日はここらへんで。

それでは皆さんお手を拝借、ぃよーお👏🏻
解散!!

本日のバナー:みんな同じ方向に泳いでるサカナ🐟

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