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みんな、我慢の糸が切れたんだ。

夫が、新しい MacBook を買った。数週間前から研究に研究を重ね、ようやく心を決めて発注したものが、先日、届いたのだった。そして、先代の MacBook に蓄積した落ちない汚れについて反省したのか、これからはとにかく汚れないように気をつけて使おうと誓った彼は、スクリーンに貼る保護シートも合わせて購入したのだそうだ。

家に届いた MacBook をるんるん気分で箱から取り出し、その勢いで保護シート貼りに臨んだ彼は、しかし、その思いがけない貼りにくさに直面した。それでもくじけずに試行錯誤し、小一時間ほどかかってどうにか貼り付けに成功したようで、満足げに MacBook を見せてくれた。「見て!できた!」。せっかくうれしそうにしているのだから、ここは一緒に喜んでおいたほうがよいだろう。わたしは、どれどれと言って、夫の MacBook に目をやった。そして、スクリーンの端に一つ、気泡ができているのを見つけてしまった。達成感に包まれている人をがっかりさせるのは気が進まないが、ここは悲しいお知らせでもせねばなるまい。しかたなくわたしが指摘すると、夫は肩を落とし、シートをすべてはがしてから貼り直しをし始めた。しかし、その後、シートは気泡なしで貼られることはなかった。

夫は言った。「何度やってもうまくいかないし、しまいには中にほこりが入ってしまった。このシートには失敗したら新しいものと交換してくれるサービスがあるから、もう新しいのに換えてもらう!」。最近は、そんな気の利いたサービスがあるのだなと感心するとともに、そこまで追い詰められていたのなら手伝ってあげればよかったなと反省した。忘れていたが、夫は手先が不器用な側の人間なのだ。いっぽう、わたしはわりと器用なほうの部類に入る。

――前段がだいぶ長くなってしまったが、これが数日前の話だ。そして今日、新しいシートが届き、夫は再び、シート貼りと向き合うことになった。しかも、今度はわたしも加わることになり、二人がかりの仕事である。人数は増えたが、一人は不器用、一人は新人だ。作業は難航した。ひとまず、器用側の人間として、新人であるわたしが説明書をたよりに指揮をとり、夫が助手を務めることになったのだが、なにしろこの説明書がわかりにくい。簡素なイラストと大まかな説明文しか示されておらず、簡単にきれいに貼るためのポイントなど、どこを探しても見当たらない。そのため、作業者は、自分なりに貼りやすい方法を模索しながら貼り進めなければならなくなる。

イメトレを経て、おそるおそる作業を進めていくが、途中、必ず気泡の群れに襲われる。少し前に戻って貼り直そうとすると、今度は前よりも大きな群れが出没する。途中、ふと、わたしたちは何をしているのだろうと、気が遠くなる。夫が「ムキーッ!」と声を上げる。そんなことを何度も繰り返し、ようやくそれなりのできばえで作業が完了した。が、スクリーンの隅には、ごく小さな気泡が一つだけ残っている。時計を見ると、1時間は軽く過ぎていた。できれば完璧な状態になるまで直したかったが、もう気力と集中力が続かない。そう夫に告げると、彼は十分に満足しているようで、これをもってミッション完了ということになった。

大人二人がかりで1時間以上かかっても、完璧に貼り付けられないとは、なんという難易度なのだろう。新品との交換が無料とはいえ、それと引き換えに、何か大切なものを失ってしまった気もしてくるようなシートだ。おそろしい。今回の経験を経て、次はもっとうまく貼れそうな気もするが、いつか新しいコンピュータを買ったとしても、このシートを選ぶのはやめておくのが身のためだと、自分に言い聞かせた。

お昼は、たまに訪れるバーが最近テイクアウト販売を始めたシンガポールチキンライスを食べてみることにした。中心街まで、車で受け取りに出かけたが、街には、もう外出自粛のムードはなかった。たくさんの飲食店が、扉や窓を開けながら営業を始めており、店内にはお客の姿も見える。みんな、我慢の糸が切れたんだ。そう感じた。

(2020年5月9日)

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