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#4 ピンと来てもそれは一旦置いておいく

日常生活の中で初対面の人とお会いした時、直感で「この人きっとこういう人だ」と思う事がある。話し方や仕草の癖、会話の序論から、主義趣向とか周りの人からこう思われてたり組織の中でこういう役割で立ち振る舞っていそうだなとか…つい思考を巡らせてしまう。

「こういう人だな」って思った時点では誰にも迷惑を掛けていないのだけれど、そこで思考停止すると、時として暴力になりうると実感する出来事があった。

その見立てが合っている事もある。しかし、世の中には他人との関わりで見せている人格と本心が、不完全一致の状態で真反対に在る人もいる。本来の自分自身と外からの評価が不完全一致の状況であり、かつ当人がその状況を望んでいない場合、とてつもなく苦しく生きづらい事は想像に易い。

「こういう人」というレッテルを半無意識化で相手に貼ってしまうと、”本当の意味で知り合う事”のハードルが上がってしまう

というのも、一年ほど前にある人と知り合い、幾度となく会話をする度に「私本当はそんな人間じゃないのに…」の連発だったのだ。どうしてこんなにその人と会話をしていてもどかしいのか、私なりに考えてみた。

まず、私が自分自身の事をどうしてもその知人に対して上手く伝える事が出来なかった。何故なのか。よくよく思い出してみると、彼は出会った当初から「君はこういう人だよね」という言葉を多用していた。彼の中に描かれた私のイメージを、何の疑いも悪気も無くストレートに、それが恰も正解としてぶつけられる感覚

次第にその知人に対して「本当に私と知り合う気ある?」という思いを抱く様になった。同時に、一向に彼の中にあるイメージを払拭できない自分自身にも嫌気が刺し、かつとても悲しくなった。「私、あなたと仲良くなりたかったのに」。どうすれば上手く知り合えたのか未だにその答えは迷宮入りしたままだし。

ただ聞いて欲しいだけで体験談を長々と書いてしまいましたが、要するに、

「この人きっとこういう人だ」とピンと来ても、その直感は取り敢えず置いておいて、真っさらスタートで向き合って”本当の意味で知り合う事”に注力したい。

以上の経験から得た教訓でした。私はピンと来やすい性質を持っている事を自覚出来たし、その知人の様に自分の中に描いたイメージを誰かにぶつけて誰かを傷付けてはいまいかと日々省みたいと思えるいい経験でした。

♪本日の執筆のお供♪ Commodores「Easy」

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