【座右の銘】人間は人に迷惑をかけて生きている


高校卒業くらいまでだろうか。

三重県という田舎にて、井の中の蛙として生活する分には、苦労というほどの苦労を感じることもなく、幸せに大学まで進学することができたと思う。いろいろと親には感謝である。

ただ、そのせいなのか少し自信過剰になって大学に入ってしまった気がします。

大学では、
・それまで得意だったはずの数学がさっぱり理解できない
・勉強できる割には、スポーツがめちゃ巧い人、パソコンなど専門的な知識が豊富な人など多い
・バイトで怒られる
とか、
いろいろと自分の鼻を打ち砕いてくれる出来事がたくさんあり、今となれば自分のレベルの低さを理解するためには、ちょうど良かったな〜と思います。

なぜ頑張って追いつこうとしないのか?
と言われる方もいるでしょうが、

「頑張っても仕方のなさそうな領域を見極めて、身の丈に応じた対応をする」

という考え方は、今のビジネスでも多分に活きていて、このあたりは自分の人生戦略にも関わるので、早めに身につけておいて良かったなと。
(このテーマはまた別途書くかもしれません)


前置きが長くなりましたが、このような状況をさらに加速するような体験ができました。

それが「スペイン独り旅」です。

・親友の1〜2名が先に行ったこと
・サークルの先輩達も海外旅行いく人が多かった
・同先輩が3人同時に1年間の世界1周に旅立ったこと

という周囲の環境にも背中を押してもらい、自分もやってみようと思い立ちました。

夏休みを使った1ヶ月。
確か4年生のときだったので、研究室配属もしてたので、教授に説明したときには「えっ」と驚きと呆れ顔とが混じっていたことを思い出します。

「自分試しの旅」 という意識もあったと思います。誰に止められても無駄なくらい意志は固かったでしょう。(このモードにたまになる)

旅の間の話を書き出すと長くなるので省略しますが、ここでたくさんの良い経験をさせてもらいました。

その中でも、とにかく必要だったのは、
「誰かに助けてもらわないと生活できないこと」
でした。

理由としてはいろいろありますが、特に、

・英語がほぼ通じない
・地域間移動はほぼバスなので、今どこまできたかさっぱり分からない
・貧乏旅行なので安く済ませないといけない

という点でしたね。
なので、とにかく優しそうな人を見極めて聞きまくり。
それをしないと、泊まるホテルもちゃんと見つけられないし、美味しい食べ物も食べたいし、
一番は、目的の地にちゃんと着けない、ってのが非常に怖かったですからね。

バスとかでは、ここに着いたら教えてほしい、って運転手さんに特別にお願いしたり。

この経験から、異国の地では、如何に自分が1人では何もできないか?を実感し、日本に帰ってからも、いろんな人を頼るように変化しました。

それがきっかけなのか、

・自分に足りないところは他人に補ってもらおう

・人の長所を見極めて、そこを頼ると楽に生きれる

・人には必ず長所があって、それを活かすと良い

このような思考に徐々に変化してきていて、経営者としてようやく何かが見えてきたような気もしています。


これと関連するようなエピソードを2つご紹介したいと思います。

一つ目は結婚式のときに妹からもらった手紙でした。
ある意味、何も知らない兄でごめんね、って話なんですが、
昔は妹をいじめてたり、親の関心は私にあって妹は親にあまり期待されてないことを感じてたらしく、それもあって、兄のことを疎ましいし、天狗であり、身近な存在として感じてなかったそうです。

その後、大学に入ってからは独り暮らししてたので、家族とも離れてたのですが、たまに帰省した際の出来事で、
妹が車のメンテナンスを多少できることに驚いて、素直にスゴイこと、また教えてほしいこと、を伝えたところ、
それが妹にとっては、兄の印象が大きく変わったポイントだったそうです。
それ以降、仲良くやらさせてもらってます(笑)

人を頼ることが、これだけ心を揺さぶるものなんだな、と思ったし、それはWin-Winの関係を作れるものだと理解してからは、なるべく人を頼るようにしています。


もう一つ。
これは子供の頃から父親からよく言われていたんですが、
「他人に迷惑をかけるな」
という言葉。

子供の頃はなんとなく理解できてたんですが、大学くらいになって、この人に頼るという思考が身についてからは、この父親の言葉がどうも違和感を感じるようになってきました。

たとえば、
年末年始に、旅行で近くに寄ったので、親戚に連絡とって会いに行ったことを親に報告したところ、
「そんな忙しい時期に行くなんて、信じられない。それはアカン」
と言われたんです。

しかし、毎度行ってるような親戚ならまだしも、何年も訪問してない親戚を、たまに頼ることは本当にダメなことなんでしょうか?

たしかに忙しいかもしれない。
でも、たまに来てくれること、つまり、何かしら頼ってくれること、は、先方にとっても何か嬉しい気持ちを与えるのではないか?
しかも、行くことによって、繋がりが維持できて、何かの際にも頼りやすくなる。

デメリットよりもメリットの方が大きい気がしたので、この点については、親に反発して、今でも気にしないようにしています。

まぁ、父親としては、自分の何らかの過去の経験があって、この言葉を伝えてきてるんでしょうが、視野の違いなのか、
このあたりから、ようやく父親を越えることができたかもな、と思い始めるきっかけだったかもしれません。


タイトルにあるように、「人に迷惑をかける」とネガティブな言葉にも見えますが、それをうまい距離感で使えば、実はお互いにWin-Winでハッピーな関係を作れるんではないか、

ってことで、今の自分の一つの価値観が出来上がっています。

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