見出し画像

日本はウクライナへの支援を継続すべきか?

結論から言えば、ウクライナが我々を顧みなかったとしても、日本は支援は続けるべきだ。なぜなら、この戦争は国家間の闘争であると同時にイデオロギーのぶつかり合いだからだ。自由民主主義と権威主義の、この先100年の趨勢を賭けた重要な局面だからだ。ウクライナは現在、自由民主主義世界の代表として矢面に立たされていると言ってもよい。
日本は民主主義の国家である。日本に暮らす私は、個々人の意思決定を信頼するし、尊重する。種々の問題があるにせよ、現段階においては結果的に自由民主主義の良さが勝ると思っている。権威主義を選び取るのも個人の自由であるが、我々の存続を脅かす行為は許容できない。
つまり、我々は自分達のためにウクライナを支援している側面も多々あるのだ。
そもそもウクライナへの支援は感謝されたいがためにやっているのではないはずである。重要なのは、暴力による現状変更を試みる者は割を食う、ということを世界に示すことである。その結果にたどり着くための道程を粛々と歩んでいけばよい。もちろん、道を歩むにも糧は要る。ここでいう糧とは、世界の国々や民衆からの関心である。民主主義国家においては何よりも民衆の関心が力になる。だから必要に応じて各方面へのアピールはすべきだが、自分の感情を満足させるための行為とは区別するべきだ。現地の人々も、感情という移ろいやすいものが原動力となっている支援をどこまでアテにしてよいか困惑することだろう。
当事者の声を聞こう。今彼らが必要としているものはなんだろうか。武器弾薬、車輛、装備、医療品、食糧。ゼレンスキー大統領は日本に戦後復興の支援を期待しているようだ。
国際社会の一員としてウクライナを支援する意味を今一度考え直したい。繰り返しになるが、一時的な感情の満足を得るだけではなんの意味もない。SNSでは件の動画に反発してウクライナの不支持を表明する人もいるが、正当な抗議から逸脱して進むべき道を誤ってはいけない(※現在はテロップに「Japan」を含めた動画が公開されている)。
すぐに報われるとは限らないが、我々の支援は確かに届くだろう。ウクライナの人々の心にもいつか届くだろう。しかし、ここで支援を怠れば、既存の秩序とは異なる価値観が世界を支配するだろう。その世界にはもうウクライナは存在しないかもしれない。私はそれを望まない。
私はウクライナで起こっていることにこれからも関心を寄せ続ける。支援を続けるよう働きかける。人々の寄せる関心が何よりの力なのだ。
Stand With Ukraine.
Слава Україні.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?