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ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌①1998年11月・上

「新聞研究」「忙中日誌」は、1998年11月1日から始まります。翌年の新年企画のブレインストーミングで1泊2日の合宿をしたことを記しています。当時は「新年企画」が新聞にとって最重要のテーマのひとつでした。

11月1日(日) デスク2人、記者7人が10畳間で車座になって話し合った。一晩たっても決めきれない。昨年は各紙、歩調を合わせるように『家族』がテーマになった。今年も『こころ』『生きる』系の話か。それも古いかな。不況もの? ウーン。『子ども』はすでに他の企画で取り上げたし、『高齢者』は朝日と毎日が一昨年やった…。

新年企画のメンバーに選ばれることは、飛び上がるような光栄であり、また重圧もありました。記者たちは、読者が新聞を開いた瞬間から新年が始まるという気概で臨んだものでした。ただ、現在は、新年企画そのものの位置づけが変わり、その熱量は大幅に失われているように思います。

新聞には「硬派」「軟派」という業界内の呼び方があります。「硬派」とは、主として、新聞紙面で言うところの一面、政治面、経済面を指し、「軟派」は事件事故や街の話題などを扱う社会面を指します。私は社会部デスクでしたので、「軟派」企画の担当でした。日誌では「硬派」企画にも触れています。

一面(硬派)企画も気になる。この数年、企画は日経にしてやられている。「官僚」「2020年からの警鐘」「女たちの静かな革命」などは、センスの良さに高度な論理と深い分析力を兼ね備えた、なかなかの連載記事だ。硬派記事は新聞の顔、軟派記事は新聞の魂。やはり顔の良し悪しは大切だ。

翌日は、読売新聞と中央公論社の共同記者会見が開かれたことを記してします。活字メディア再編の時代に、という見方もあったのですが、これ以降、大きな提携や再編はあまり目にしなかったと思います。米国と違って日本の活字メディアは、再販制度をはじめとする諸制度があり、再編には向かない事業形態なのでしょうか。

11月2日(月) 読売新聞社と中央公論社の共同記者会見。あの中央公論社が読売の傘下に入る。発表文を読む。「深刻な経営難に中央公論者の救済について、今週よち協議を重ねてまいりましたが……」。「今春より」という表現が気になる。そんな前から……。10月下旬、ある出版社の幹部から「読売が中央公論を買うらしい」と耳打ちされた。半信半疑のまま特段の取材もせずにいたら、10月31日の夕刊で朝日にきっちりと抜かれてしまった。

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1998年は金融危機の真っただ中でした。前年の97年には山一證券が自主廃業し、北海道拓殖銀行が経営破綻、98年は日本長期信用銀行が倒産するなど、連鎖倒産や経営破綻が続き、金融再編が一気に進みました。現在のコロナ禍の同じような経済対策もとられました。

11月10日(火) 自民党と公明党が「商品券」(ふるさとクーポン)で合意。街の声を聞かせに30代前半の記者男女3人を繁華街に向かわせる。3人とも独身。「15歳以下と低所得の高齢者だけに配られる」と商品券の趣旨を説明すると、記者たちから怒りの声。「このシングル志向の強い時代に何を考えているの」「消費を引っ張れるのは、独身者ですよ」。確かに天下の愚策。どの社も批判色の強い紙面をつくると思っていたが、翌朝新聞を開けると、意外におとなしい。

「天下の愚策」と書きましたが、そこには先見の明もあったのかも知れません。反省します。コロナ禍でも「一律10万円」の給付が行われました。今、欧州はもちろん、あの優勝劣敗・強者の論理の米国でさえも手厚い給付が行われ、「ベーシック・インカム」が世界の論点になっています。90年代末の金融危機の後、さっそうと現れた小泉純一郎首相のもと、新自由主義的な経済政策を推進した竹中平蔵さんも、今は「ベーシック・インカム」を支持する提起をしています。時代は変わり続けています。

日誌には「抜き、抜かれ」の記述がたくさん出ています。記者のスクープに懸ける思いは今も変わりませんが、当時は紙面に早く掲載することだけがスクープの基準でした。紙面に印刷して配達して初めてスクープが認定されていました。もちろん現在もその状況はあるのですが、一方で、デジタルでの一報が大きな評価を得るようになりました。日経が前日の午後6時ごろに、翌日の朝刊一面トップを「イブニング・スクープ」としてデジタルで報じ始めた時は、時代は変わったと感慨を覚えました。

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11月12日(日) 映画評論家、淀川長治さん死去。朝日に早版で抜かれる。1989年の美空ひばりさんの死去は朝日が特オチ同然だった。新聞とはなんと浮き沈みが激しい業界かとつくづく思う。死亡連絡ぐらいは競争なしに行きたいと思うが、渥美清さん、丸山真男さんらの「密葬」路線も珍しくなくなった。やはり取材のアンテナの数がものを言うことになる。せめて高齢の有名人については死亡予定稿を完全になものにすべく努力しよう。 

有名人の訃報のスクープ合戦は今も続いています。というより、弔い方の多様化もあり、競争はさらに過熱しています。特にスポーツ紙では激しく、2018年1月に亡くなった星野仙一氏の訃報はスポーツニッポンが特報しましたが、盟友の田淵幸一氏さえも知らなかった段階での報道でした。日誌にある98年当時、スクープは即売部数を左右するものでした。ただ、よほどのスクープでない限り、その影響はわずかでした。しかし、今は,、デジタル記事のページビューという数値で明確に映し出されます。リアルタイムで数値の変動がわかるだけに、より過熱している面もあります。

次回も1998年11月の日誌をみていきます。10月11日(日)に投稿する予定です。

                         

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