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ジャーナリズムよ。私の記者20年日誌⑨1999年5月

事件記者にとって一番つらいのは、捜査当局の動きを言葉通りに寝食を忘れて追いかけ、懸命の報道を続け、その結果が「無罪」となることです。日本長期信用銀行の元頭取ら3人が粉飾決算をした罪に問われた事件は、2008年7月18日の最高裁判決で逆転無罪となります。逮捕された幹部以外にも自殺者が2人出ました。捜査が続いていた頃から、罪に問うのは難しいとの見方が根強くありました。そうした声を報道に生かし切れなかったことは悔やまれます。

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5月6日(木)長銀の元頭取が宿泊先のホテルで首吊り自殺。わずかだが面識はあっただけに落ち込む。失礼な質問をしても決していやな顔をせず応対してくれた。頭脳明晰、人格円満、包容力のある人だった。59歳。疑獄事件のたびに繰り返されてきた悲劇。この日本の自殺文化はなんとかならないものか。
5月27日(木) 毎日と東京が長銀捜査大詰めと報じる。日曜日あたりから各紙とも連日「きょうにも着手」を見越した前打ち報道を続けている。確かに「きょう逮捕」を特落ちするのは怖い。だから、保険の意味も込めて前打ちする。でも、読者にとって前打ち報道ほど迷惑なものはない。何の新鮮味のない記事が「特落ち防止」という新聞の都合だけで大きく扱われるのだから。もういい加減にやめるべきだとみんなが考えているが、でも、だれもやめられない。

捜査当局と報道機関との攻防も激しくなります。私が記者になった1980年代前半は、捜査当局が特定の報道機関を露骨に「出入り禁止」処分にすることはなかったと記憶しています。「出入り禁止」処分は、その後の後付けで「庁舎管理権」が処分の根拠とされましたが、そもそも「庁舎管理権」とは何なのか、「報道の自由」との兼ね合いはどうなるのか、と微妙な問題があります。そのために、1980年代前半までの「出入り禁止」は、捜査幹部が「毎日新聞の報道は我々の信頼関係を踏みにじるものだ。毎日新聞記者がいる場では何も話せない」と意思表示し、それを受けた記者クラブ側が「捜査幹部が何も話せないのは困る。毎日新聞は遠慮してくれ」とあくまで報道機関同士の話し合いで、毎日新聞が会見や懇談の場を退席するという論理立てが用いられていました。また、記事も、とりわけ検察については「・・・の判断を固めた模様だ」という婉曲表現がとられていました。それが劇的に変わったのは、1988年に朝日新聞の調査報道で発覚したリクルート事件だったと思います。「逮捕へ」という直接表現で各社が特ダネを打ち合うようになり、これに業を煮やした東京地検特捜部がいきなりの「出入り禁止」処分を連発し、それが全国の捜査当局に広がったとみられます。

6月8日(火) いよいよ長銀に捜査のメスが入る。家宅捜索の取材には若手を動員し、大掛かりな取材態勢をしいた。各紙とも朝刊で着手を予告している。毎日などは「元頭取らきょう逮捕」と大見出しを打っている。長々と続いていた「前打ち報道」がやっと終わる、と思っていたら、なんと着手見送り。検察幹部がメディアの予告報道に激怒したためとか。メディアもメディアだが、検察も検察。子供の喧嘩のようなことはやめてほしい。疲れるだけだ。

事件は、大きく分けて「強行犯」「知能犯」に分けられます。長銀事件のように東京地検特捜部や警視庁捜査2課が手がける事件は「知能犯」にあたります。法解釈によって争われる「強行犯」は、殺人や傷害、強盗事件などですが、この分野では、誤認逮捕や無罪判決による人権侵害が最も深刻に現れます。真の殺人犯なのか、潔白の無実なのか、報道する立場として神経をする減らすことになります。

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5月13日(木) 和歌山カレー事件初公判。動機不明のままの冒頭陳述を弁護側は「小説」と批判する。千葉大チフス菌事件のように、動機が特定されないまま有罪になった事件もあるが、今回はどうか。5000人を超える傍聴希望者を撮った写真は壮観。オウム真理教の松本智津夫被告の初公判を思思い出した。あの時の傍聴希望者は1万2000人を超えていた。記者クラブの要請もあって地裁は傍聴席を増やしたとか。裁判所にしては柔軟な対応をしたものだ。

脳死臓器移植報道の余波はまだ続いていました。今はニュースにもならないことを考えると、複雑な思いにかられます。これと似た例に、体外受精があります。日本で初めて体外受精の赤ちゃんが誕生したのは、1983年10月、東北大病院でのことでした。まだ「試験管ベイビー」という言葉があった時代です。この時、報道各社は大報道を繰り返し、毎日新聞は当事者を実名で報じました。「体外受精は祝福されるべきものであり、匿名にすると、かえって体外受精への誤解を招く」との考えに立ったものでしたが、当事者をはじめ様々なところから批判されました。現在、生まれてくる赤ちゃんの16人に1人、5万7000人は体外受精だと伝えられています。不妊の悩みを解決するまさに「祝福の技術」になっています。実名匿名の判断はいつの時代でも難しく、正解はないということを強く感じます。

5月11日(火) 臓器移植のドナーカードを持った二人目の脳死患者が出そうだ。今度は東京が舞台。高知の時のような衝撃はないが手落ちは許されない。社会部、科学部で急きょ取材班を結成。最初は独自ダネになるかと思ったが、取材を始めると先行している社もあった。午前1時すぎには共同電も流れた。病院の前に集まった報道陣は50人以上。騒然とした雰囲気になってきた。
5月12日(水) 新聞を開けると、メディアの対応は大きく分かれているた。一面大トップの読売、東京、一面二番手が朝日。毎日、産経は一行もなし。夕刊で毎日、産経がなぜ報道を見送ったのかを説明している。はっきり脳死と判定されるまで、その患者は生きている。家族の意思も揺れているはずだ。なのにまるで死を待つかのような報道をするのはいかがなものかーー。産経は「報道の論理はわずか『半日の礼節』さえ許さぬのだろうか」とまで書いている。両紙の主張にはそれなりの説得力がある。重く受け止めたい。毎日も産経も報道を見送ったのが一紙だけではなかったことにほっとしているのではないか。正論を言っても他紙に書かれると「ニュースの感度が悪い」と言われてしまう世界だから。ふだんは主張がまるで違う両紙が足並みをそろえたことも面白い。
ただ、報道を見送ったことについて理論武装する、という感覚にはなお違和感がある。どうやってプライバシーを守りながら迅速に報道していくか、が大切なのではないか。報道に前向きの姿勢を保ちながら編集技術を磨き議論を昇華させていくべきではないか。そう思ったりもする。この件で編集幹部に意見を求められたが、考えがまとまらず、珍しく何も言えなかった。
5月18日(火) 脳死報道の各紙の対応の違いについて毎日がメディア面で検証している。「脳死判定を行ったという事実そのものが社会的に大きな関心事」「プライバシーの保護と速報は両立できる」。これが報道した側の論理。3例目はあすあるかも知れない。すべてが足並みをそろえる必要もないが、メディアあげての議論が必要だ。

最後に、当時を象徴する二つの出来事を引用しておきます。

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5月7日(金) 情報公開法が午後の衆院本会議で可決、成立。二年後の施行までにこの法律を縦横無尽に使いこなずノウハウを身につけなければ。よかった、と思っていたら、盗聴法(組織犯罪法)が衆院で可決される見通しになってきた。組織犯罪への対抗手段が必要なことはわかるが、盗聴を合法化するのはいかがなものか。この法案の持つ意味をもっと知らせる努力を心がけたい。
5月25日(火) ポケットベルの東京テレメッセージが会社更生法を申請。そう言えば、今ポケベルを持っているのは新聞記者と医者ぐらいか。3年ほど前までは、ポケベルで連絡し合う「ベル友」づくりが大流行していたのに、携帯電話・PHS、そしてパソコンの「メル友」にとって替わられた。最盛期の4分の1にまで急減したら万策尽きたというところか。あるテレビ局が渋谷で若者にアンケートしたところ、「21世紀に消えてなくなるもの」のトップがポケベルだったという。デジタル時代は栄枯盛衰まで、0か1の二進法で進む。恐ろしい。

次回は1999年6月と7月の日誌をみていきます。

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