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ネズミ奮闘記 家と私(14)
父が「こんな良いとこ他にないじゃ」と豪語した六畳一間に住み始めて数カ月が経った。狭くて古いアパートの2階は、ベランダに続く掃き出し窓を空けても隣のビルの壁が目の前にあるだけで、日光はほとんど入らない。部屋には京都のあの盆地特有のじめじめとした熱気がこもり、アパート全体に独特のかび臭さが漂っていた。
そんな部屋のことだ。僕がまず一番に心配したのは害虫である。臭いや湿気は対処できても、部屋のあらゆる
ペットボトル1本分の 家と私(13)
2014年春、地元の高校を卒業した僕は、大学のある京都に住むことになった。アピタ前の「源」で買ったますの寿司と、大きなスーツケースを高速バスに積み込んで、母親に窓から手を振った。
夜行バスから見える景色は特別だ。電気が消えてもまだ眠りたくない時は、分厚いカーテンをめくって景色を見る。外は想像以上に明るくて、高速独特のオレンジ色のライトが、前から後ろに流れていくのを見るのが好きだ。
型の古い黄色
家と私(12) 鍵のない部屋
部屋をのぞく楽しさ実家の私の部屋には鍵がない。
そのせいか、よく母親や妹が戸を開けて中をのぞいてきた。
特に用もなく、何かと聞くと「なにしとるんかと思って」と笑う。
私の部屋はリビングの隣にあるから寄りやすいのかもしれないが、何がそんなに楽しくて部屋をのぞきにくるのか不思議だ。
母の場合母の場合、ケータイをいじっていたり、漫画を読んでいたりすると、「こっち(リビング)来てやられよ」といわれ
家と私(11) 犬と私
人の理想、犬の理想 実家には犬がいる。
薄いベージュ色のミニチュアダックス(に見えるが実は雑種らしい)で、名前はチョコ。
私が小学校3~5年くらいにやってきた。
犬との生活は思っていたものと少し違った。
骨型のおもちゃを投げるとくわえて戻ってくるのだが、返さない。
近くまで持ってきては「奪い取ってみろよ」と挑発してくるのだ。
散歩に連れていっても、家の敷地を出ると飽きたのかすぐ引き返
家と私(10) ゲバラとマーリー
旅人的なもの?高校生になって、部屋の小物や飾りに凝るようになった。
憧れたのは、ギターを弾くようになったせいか、「旅人」的なイメージだった。
ドリームキャッチャーやチェ・ゲバラのポスター、ボブ・マーリーの描かれたアフリカンな国旗―。
空いたスペースはすべてこういったもので飾り、場所がなくなると地球が印刷されたゴムボールは釣り糸で天井からつるした。
今思うとこれが旅人的なものなのかは分からな
家と私 (9)君の夢が叶うのは
ギターと押し入れ 中学1年の春、親から誕生日プレゼントでアコースティックギターをもらった。
YAMAHAのベージュのものだ。
特にほしがっていたわけではなく、唐突なチョイスだった。
母と私は当時コブクロにはまっていたので、弾いて欲しかったらしい。
もらった時の気持ちは良く覚えている。
「どうせうまく弾けずに押し入れに入れられる運命なんだろうな」と、もらったうれしさよりもプレッシャーと申し
家と私 (8)パーリナイ
金曜日のパーリーピープル夜8時には寝ていた少年少女時代の兄妹にも、夜の楽しみはあった。
金曜日のお菓子パーティーである。
畳の部屋の戸棚にはお菓子がたくさん入ったかごがあった。
普段は当然昼間しか食べられなかったが、金曜の夜は別だった。
夕食後、おもむろに母が「お菓子パーティ~♪」と歌い出すので、私たち兄妹もつられて歌ったり踊ったりした。
机の周りを走り回ったりもした。ポテチなりチョコな
家と私 (7)窓を割る
わざとじゃないけど、おっちょこちょいなので…これまでに2回、窓を誤って割ったことがある。
一度目は小学生くらいのころ、家の裏手で妹らと遊んでいたときのこと。
家の裏は道路の突き当たりと工場の駐車場を兼ねていて、ちょっとした広場のようになっていた。
敷地の最も奥には祖母の部屋があり、家の裏からブロック塀越しに窓が見えた。
そのため祖母は、裏にあるMの家の事情に詳しく、夕飯時には決まって「今日
家と私 (6)乳歯とビワの種
富山の家には庭くらいある家の裏にはそこそこの広さの庭がある。
ソテツやカエデなど、十数本の木が生え、昼でも薄暗いほどうっそうとしている。
手前には砂利の敷き詰められたスペースもある。
祖父が生きていた頃は、晩秋になると木が雪の重みで折れてしまわないよう冬支度をした。
ソテツは縄でぐるぐる巻きにし、木々は枝と幹に支えのロープを張るのだ。
私たち兄妹にとって庭は格好の遊び場だった。
小学校
家と私 (5)遠隔デュエル
キミはデュエマを知っているか私たちが小学生の頃、流行っていた遊びの一つにカードゲームがある。
私の周辺ではデュエルマスターズ(デュエマ)というカードが主流だった。
私も流行り始めは例によって「けっ、そんなもの」と反発していたのに(流行に乗り遅れないようにか、親はスターターパックを買ってきてくれたが、長い間放置していた)、いつの間にか好きになり、深みにはまっていった。
その熱狂ぶりはすさまじく
家と私 (4)壁の向こうの光
自分の部屋について実家の私の部屋について話したい。
部屋は2階のリビングの隣の六畳間で、ロフト付きの学習机(二段ベッドの下が机になっているようなやつだ)が置かれていた。
改装前は父親がの部屋だったような気がするが、小学校に上がる頃には自分の部屋として使っていたと思う。
日中はそこでゲームをしたりしていたが、夜は小学校高学年になるまでリビングの隣にある畳の部屋に布団を敷いて家族と一緒に寝ていた
家と私 (3)Nの出入り口
出入り口がいっぱいあります先日、昔の実家の玄関の話をしたが、実家には正面玄関のほかに出入り口が3つある。
一つは車庫の中で、階段の真下につながっている。
古くてかがまないと通れないほど小さな戸だが、正面に次いで使用頻度が高い。
みんなで出かけるときは最後に出る人が正面の鍵を内側から閉め、この戸から出るからだ。
帰りもこの戸から入って玄関を内側から開ける。鍵を使って正面玄関を閉めたり開けたり
家と私 (2)たんこぶのできる頃
山裾の家 最近の家について語る前に、しばらくは私の実家について話したい。
実家は富山市の山裾、かつてのO町と呼ばれた場所にある。
平野と山の境目にある高台の上の小さな町で、私たち一家は祖父の代からある一軒家に祖父母と両親、それに2人の妹の計7人で住んでいた。
家は覚えているだけで2回、大きな改修があった。
一度は小学校低学年くらいのころで、水回りや外壁が変わった。
(2度目については後日
家と私 (1)理想の家探し
ぬくぬくと暮らせれば
「あなたにとって人生とは何か」
大学3年生のころ、アルバイトの面接で聞かれたことがある。
従業員がそろいもそろって地味な人しかいないベンチャー企業だった。
それまでの質問は、適当な回答も含めてスラスラと答えられていたが、この問いには言葉が詰まった。
数秒間の沈黙のあと、答えた。
「家探し、ですかねえ」
なんじゃそりゃ、と自分でも思った。黙っていても仕方ないので